怖いなりにも自身を大切に
「病は気から」とは言うけれど、絶対的なポジティブ(以下、ポジ)になれるわけない。私は特にそういうタイプだ。
ここ数日の寒暖差と日に日に近付いてくる入院・手術を目の前にすると、どうしてもネガティブ(以下、ネガ)モードから1日をスタートしなくてはいけなくなる。超ポジと超ネガが同居してる性質の人間なので、調子の良い悪いで今の自分がポジなのかネガなのかはすぐ分かっていたつもりだったけれど、初めての入院・手術は、自分の中でどんどん不安のモヤが膨れ上がっているようだ。日に日にネガな自分が大きくなってきて手強くなっている。これはなかなかというか、面倒くさいほどに厄介だ。久々の"初めて"の体験は、「不安」「怖い」が前に前に出てきたがっている。ビビりはこういう時に面倒だ。
ネガもポジも持っているからこそ分かるんだけど、ネガは過ごしやすい寝床で毒を吐いてるに過ぎない。前進するためには、底抜けのポジが必要な時が大概だ。とは言えど、ネガを否定するのは、両方を持ち合わせてる身としては、片方だけを蔑ろにすると、それはそれでバランスが保てなくて、しんどい。
ネガからスタートするのは、ある種しょうがないこと。この性質は変えられない。そんな時は、とことんネガをループさせる。調子悪い時は、無理せずに思いっきりネガのぬるま湯に浸る。ループさせて、どんどん思考を廻して、もう気が済んだかなって思ったタイミングで、ポジに変換する。脳内のスイッチをパチパチと切り替えて意識を変える。
その時に大事にしてるのは、ポジの時間をネガの時間よりも多くとること。ネガモードで使った労力分以上をポジモードに費やす。そうすると前進するためのカードがたくさん見えてくるわけだ。前進した方が楽しいことがいっぱい待ってる。
自分の感情を操るのは、身近な外的要因なんかじゃない。その外的要因を受け止めてる自分自身じゃなかろうか。誰かにイライラとか負の何かをぶつける暇があるならば、自分に絆創膏でも貼って、消化して、身に降りかかった火の粉を払って、新しい前進をしていく方が個人的には合ってる。
今の思考のサイクルとしては、ネガループでいろいろな予想をした後で「いやいや。どうなったとして、なった身体で生きるしかないやろ。」というポジループを起こして、全て終わった後の楽しい要素を考えるパターン。
後は、看護系の文献(これとこれ)を読んで、「自分が看護師だったらどう患者をサポートするか」という自分とは違う別視点を取り入れて不安要素を別角度から考えてみてる。
時がくれば終わることではあるし、ある程度の心算は出来てるけど、やっぱり怖い。今から挑むのは、身体の手術ではあるけれど、知らずに心も消耗してるんだなと思う。どれだけ周りから「大丈夫」と言われても自分を本当に助けるのは自分だったりするので、心に絆創膏をつける練習をして、あらゆる立ち上がり方を模索しているのです。
いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。