現在の私は「ボーナスステージ」を生きている〜平成最後の夏の振り返りと言葉と〜
本来ならば『平成最後の夏の振り返りと言葉と〜②〜』及び数編に渡って綴るつもりだったが、「そんな長ったらしいことをする時間ある?今、思ったことを記せ!」と内なる声が叫んでいたので、このように綴る。
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夏を振り返る前に、私自身の前提条件を記しておかねばならない。
私は、今年の2月に手術をし、入院をした。
それは1週間弱のものであり、療養に1ヶ月かかり、半年以上経った現在、完治しているかと言われれば、再検査の数値を診てないので何とも言えない。医師から最後に言われた言葉は「ボーダーラインより少し上なので完治とは言えないし、再発する可能性は大いにあります。」というものだ。
この文章を両親が見たら、きっと病院に連行されて、血をたくさん抜かれることだろう。場合によっては、また闘病生活を送るかもしれない。それは、今、急を要することではないので、ここに綴るのは控える。
そんな真っ暗な冬を過ごした私は、京都に戻り、日々を過ごしている。
変わらずに日々を流れているけれど、変わったこともたくさんある。変わったことの方が多い。仕事内容とか、自分の考え方とか。
いろいろあるけれど、「自分との向き合い方」と「サシ飲みが増えた」「今まで複数人でしか会えなかった人とサシで話す」といったことが自分にとって大きく変わったな、と捉えてることだろうか。
「自分との向き合い方」については、過去の私がnoteで綴っているので、そちらを読んで欲しい。私は、自分自身を殺し続けることなく、手を差し伸べて過去も未来も救っていくことを選んだ。それが現在の自分に出来ることだと思うからだ。それを自覚してから「生きる」ことを始めているような気がしている。この1年は自身との対話が例年以上にめちゃくちゃ多い。それは自分にとって、きっと良いことなんだろう。
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「サシ飲みが増えた」「今まで複数人でしか会えなかった人とサシで話す」。これは闘病より前から始まっていたこと。そうだな、去年の今頃からか。仙台に行ったのが大きかったな。それから大学時代のボスとやっとサシ飲みが出来た。本人にも伝えたのだが、私は怖さを克服したんだろう。自分で勝手に作り出していた怖さを。そこからいろんな人達とサシで話すことが増えた。
これについては、私をどのように見ているかによって、抱く感想が変わるだろう。「えぇ、意外ですね。」「そんな風には見えないのにね。」という反応が大半だけれど、「やっとだな」「待ってた」と辛辣に言ってくれる人達もいた。そんな返答をくれた人達は、喜んでいたように思う。私はそう感じている。
元来、話すことが苦手で根暗で臆病で繊細な性質な私は、人が好きで多方面に興味があり好奇心が旺盛で開拓し続けたいという性質もあるのだが、時と場合により、前者の性質が勝ってしまう時がある。それ故に1対1の場面を避けることがほとんどだった。そんな人間が、1対1の、サシの場面を自ら望んで設け、実行している。
過去の私からすると「えぇ、なんで、あの人とそんな恐れ多いこと出来るの。よく話せてるね。」言うだろう。未来の私なら、きっと一言で「遅いよ、バーカ。」と笑いながら片付ける。現在の私は、過去の私が羨む存在で、未来の私のきっかけになっているんだろうと思い行動している。
私はまだまだ変化の渦中にいる。
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「他人が評価してくれている自分と自身の内面との擦り合わせ」
それが対面対話を望む理由だ。私は、ようやく他人から見る自分を知り、理解し、それを受け入れることが、咀嚼出来るようになってきた。
今までの経緯も含めたそんな話を、この平成最後の夏に、あらゆる場面で話しまくったのだった。
縁があって新しく出会った人達もいたが、多くは古くから私を知る人達に。現在仲良くしている友人達、学生時代の恩師やクラスメート、お世話になっている年上の人達とかとか。
「やっと、人の話聞くようになったな。」
「待ってた。遅いわ。」
「逃げなくなったじゃん。」
と反応をもらうと「私は彼らにとことん心配されてきたのだなぁ」とようやく身を持って感じられる。今更ながら、私はやっと"気づく"ことが出来た。誰かに言われて理解するのではなく、自分自身でようやく。"気づき"とはそういうものなんだ。
「あれやな。クラは『じたばたしてた』んだなぁ。」
「ぁ〜そうすね。『世紀末が来ます」ね。」
「いや、ホンマに、それよ。」
「何はともあれ、『お待たせしました』。『長い目で見てくださってありがとうございます』ですよ、本当に。」
そんな会話を終電でゲラゲラ笑いながらしていた。
こういった台詞は、創作物の中で展開されるのではなく、現実世界でつぶやいてこそ真価があるんだろう。声に出しながら、そういった考えが脳内を駆け巡った。
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平成最後の夏は、「平成最後だからやりたいことやろう」と詰め込んだ日々だった。
初めて行った関西の花火大会。びわ湖は壮大。
流しそうめんを始める前に仕込んだ、欲望を詰めたフルーツポンチ。
鴨川でビールを飲んだ後に夏の終わりを流しながらラムネを飲む。
東京では展示を巡る合間と呑みにいく合間に友人の家でハンモックで寝る。満天の空の中、夜の日本海へ行き怖がる。暗闇は怖い。
台風でキャンプが流れたけど車で遠出をする。仲間内ではしゃぐ。
青とオレンジのグラデーションが激しい鳥取の空。
生涯を終える前に眺めていたい透明度の高い鳥取の海。
もっとたくさんあった。流れゆく美しい景色の中に、たくさんの会話と対話があり、旅立ちを多く見送る夏でもあった。
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そんな夏を振り返り、これから平成最後の秋を進もうとする前に立ち止まり思ったことが『現在の私は「ボーナスステージ」を生きている』というものだった。以前に「ボーナスステージ」について書いてるが、この時とは少し違う。たぶん。あんまり言語化出来てないけど感覚的に。ちなみにこのように感じた日は、病気のことが分かる前日のことだ。予兆だったのかもね。
自分の感覚としては、こうだ。
私は、手術後に蘇生した。無事に起きることが出来た。自分の意思で息をしていた。そこから私の「ボーナスステージ」は始まっている。
リセットされて生まれ変わったとか、第2の人生が始まったとか、そんなご都合主義じゃない。リセマラが出来たらなんと良いことだろう。でも容易に出来るものじゃない。現在の私は、間違いなく過去の私が積み上げてきたものだ。それは変わらない事実で、否定してしまうと過去の自分を泣かせつづけていることになる。そんな悲しい思いはさせたくない。だからリセットじゃない。
ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」って曲あるじゃないですか。私、初めて自分のお小遣いで買ったCDがそれなんですけど、まさに歌詞の通りじゃないかなと。過去の私は、手術後に起きず人生を終える選択肢もあったけど、起きて自分の意思で息をしたということは、まだ私として生きていたいという現れなんだろう、とそう思うわけです。
「ボーナスステージ」といえば、大量取得。その分量は行動で変わる。コントローラーを持っても、操作しなければ始まらない。操作を始めてガンガン手を動かすとしんどくて疲れて休む。そういうのと一緒。この時間は、なんら日常と変わらない。
私が考えている「ボーナスステージ」というのは「追加時間」。場所というよりかは時間。今まで撮り損ねたアイテムやスコアが取得が出来る時間。今まで出来てなかったことを乗り越えていくような克服していくような与えられた時間。日々流れる時間となんら変わりは無いけれど、捉え方次第で感覚は変わっていく。日々にスパイスを与えると楽しくなるのと一緒。だから私は、こう考えることにしたんです。
『現在の私は「ボーナスステージ」を生きている』。
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コントローラーを持った私は、この「ボーナスステージ」の中で大量取得は望まない。私が取りたい行動は、「過去」の自分が泣き続けないための行動。ただそれだけ。
「過去」と「現在(今)」と「未来」の3人の自分が楽しく酒盛りをしたい、という考えをするようになったのは、2,3年前のこと。最近はより強くそう思う。
私の人生は順風満帆じゃない。泣き虫だし、挫折したことも多く、闇やら沼やら樹海が心の中にある。そんな自分を否定したくない。私は、自分が辿ってきた「過去」を捨て去るなんて非情なことは出来ない。
そんな自分を救うために生み出したのがこの考えだろう。
「現在(今)」の自分の行動が「過去」と「未来」を救う。来世に期待して良いのは、やりきったやつだ。現在を生きていこう。
そうすると、ほら。「現在」の時間を大切に考えるようになってきた。救うのは「未来」だけじゃない。「過去」もだ。「過去」出来なかったことや渋っていたことも実現するのは、「現在」の自分だ。
だから、私は「現在」という「ボーナスステージ」の中で、「過去」に出来てなかったことを乗り越えていく、克服していくような行動をとる。ハードルは低く、回数を多く。それはきっと「未来」の自分が笑えてる行動になるように。そうやって動く。
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相変わらず長々となってしまったけれど、「現在」の考えはこう残しておく。少し先の「未来」はまた違った考えになっているだろう。それも良い。少し年上の、人生の先輩が言ってたよ。「自己変容こそが人生の醍醐味☆」って笑
まぁ「過去」となってしまった私からすると、この文章を読んでいる「現在」の私が生きていて良かったと思うよ。何時終わるか分からない時間をなんとか生きているんでしょ。それってスゴいことだから。それじゃ残りの「ボーナスステージ」楽しんでいこうよ。そしたら「未来」の自分は笑っていられるはずだ。平成最後の秋も冬も春もしっかり楽しみなよ。以上。