数学の存在意義をメタファーを使って理解する
今日も画像は msy. さんのイラストを使わせてもらいました。
中性的な感じがたまりません(*´▽`*)
さて、今回のテーマは数学。抽象的学問といってもいいかもしれない。
ではまずみなさん、メタファー(比喩)は日常的に存在しているというのをご存じですか。
例えば、議論は戦争であるとして僕らは理解している部分があります。「戦争の構造とは似ても似つかないような議論をしてください」と言われると、おそらく大半の人が「議論ってなに」という疑問にぶつかるはずです。
これを概念メタファーといいます。国語で習うようなレトリックとは別に、僕たちは新しいものを知っている体験との構造的類似から理解しているのです。
上の例では、議論より戦争のほうが内実が理解しやすいです。これは戦争が古来から知っている体験だからです。
だから僕らは議論という新概念を戦争という旧概念で理解していると考えられるのです。
この概念メタファーを用いて数学の学問的な立ち位置を理解することが少しできたので、今日はその紹介をします。
概念メタファーは要するに比喩であるので、数学より抽象度の低いもので例える必要があります。
そこで僕が用意した例えは歯車です。
歯車のイメージは湧きますよね。ぐるぐると、他の歯車を巻き込みながら回る感じです。
図にしてみたので、まずは見てください(汚い図で失礼します💦)
さて、読めますでしょうか。
数学はよく、生きていく中で必要ない、と言われますよね。でも個人的にはこれって当たり前だと思っていて、数学というのは理科の歯車を回すための歯車なんです。さび付いてはいけないのです。
理科の世界というのは世の中とのつながりが見えやすいです。これは世の中に触れている歯車だからだと思うのです。
どうでしょう。個人的には結構面白かったのですが...(笑)
「別の概念メタファー見つけたよ」って方はぜひコメントしてください!
今日のところはこれで終わろうと思います。ちなみに画像の論理学の歯車ですが、これは伏線です。次回書いてみようと思います。
ではまた!次回お会いしましょう。
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