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しぶとく生きる

しぶとい人というと、どのような人を思い浮かべるでしょうか?目標を定めて、最後まで決してあきらめずに、達成する人でしょうか?それは粘り強い人と同じなのでしょうか?何をいわれても、へこたれない人でしょうか?それは、ずぶとい人と同じでしょうか?

粘り強いには、耐え忍ぶ力が強いというポジティブな語感があり、褒め言葉として使われます。しかし、しぶといはそれだけでなく、批判的であったり、あきれ果ててしまったり、皮肉であったりするネガティブな話し手の意図も含まれ、複雑なニュアンスをもつ言葉です。ずぶといには、自己主張する強さが感じられますが、しぶといには自己主張がなく、むしろ抑制的な響きがあります。

有名人で例えると、ずぶとく粘り強いのがプロ・サッカー選手の本田圭佑で、しぶといのが三浦知良ではないでしょうか。

本田は小学校の卒業文集で既に今の成功を思い描き、はっきりとした目標をもち、他人の何倍も努力をしてきたことが知られています。多くのメディアに批判されようが意に介さず突き進み、当初描いた夢を大方実現させています。

一方、三浦知良は、全盛期に子供の頃からの夢であったワールド・カップ出場の道を断たれます。しかし彼はその後も黙々とサッカーを続け、今は現役最年長のプロ・サッカー選手です。格の低いチームに所属するのも気にしていない様子ですので、彼は多くは語りませんが、彼の目標は地位や名声といった世間から評価されるものではないようです。本当の目標は本人にしか知り得ないものなのでしょう。

彼に対する、しぶといという形容は、当初は呆れ果てるというネガティブな意図で語られたこともあったでしょうが、今は驚きと尊敬に代わっています。「しぶとい」の神髄は努力を継続する粘り強さだけでなく、それに加えて、こうあらねばならないのだという固定観念を捨てて、状況に合わせて目標や手段の移り変わりを受け入れる心身のしなやかさにあり、いつしか美しさや清らかさや強さに通じてくるものではないでしょうか。

画像は、ブルースターの花です。

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ブルースター 初夏から秋まで咲き続ける

背が低い花なので、畑に植えられていると、強い雨に打たれて、泥を被ってしまいます。ですから、観賞用に育てる場合は鉢植えが推奨されています。最近は異常気象で激しい雨が多いので、葉だけでなく花も泥まみれになってしまいます。しかし、それでもこの花には気品を感じてしまいます。それは何故なのでしょうか?

この花は、孤高を保ち、汚れを寄せ付けずに「凜」としているという感じではありません。むしろ泥まみれだからこそ、いっそう美しく、清らかで、厳粛なオーラを放っているのを感じます。

この花の青色は、泥とグラデーションをつくらず、くっきりと分かれています。泥にまみれながらも、泥に染まらない、と言いましょうか、鮮やかな空(そら)の青を保ち続けて生きています。しかし、自己主張せずに、控え目に背の高い花の足下で咲いています。

この、野外に生きて、環境が変わろうとも、目立たずにひっそりと青の発色を極める生き方に、「しぶとさ」が美しさや清らかさや強さに置換されて、気品となるのを感じるのではないでしょうか。そうして、小さな草花が、生き抜こうとする力を伝えてくれているのだと思うのです。

追伸
表題画像は、倉敷市在住のアーティスト、ほったいくみ さんによる水彩画「ブルースター」です。


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