生と死の境目〜睡蓮への憧憬〜
フリーダイビングは空気タンクなどの呼吸器材は一切使わず人の息だけでどれだけ潜れるかを競うスポーツです。世界ランク1位になったことがあるプロ・フリーダイバーの篠宮龍三・氏は、その経験を著書で具体的に詳しく述べています1)。その概要は以下の通りです。
真っ白なガイドロープが海底の奥深くまでまっすぐに伸びている。頭から真っ逆さま降下し、全身をバネのようにしならせ、水中に深く溶け込むかのように滑り込んでいく。30メートルに達すると浮力がなくなり、重力に身をまかせてあとは静かにゆっくりとおちていくだけ。ライトブルーからディープブルーへ。ディープブルーからダークブルーへ。青のグラデーションの中を降りて行く(表題画像2))。
あたりは次第に闇に包まれる。光の届かない、静寂に支配された世界である。水深100メートルを超える世界は光も音もなく、重力も感じない、永遠の静寂と無限の暗闇の世界である。自分の体と海水の境目さえ曖昧で、心臓だけが動いているのを感じる世界であるという。
そこは水面の10倍の水圧がかかり、肺は圧縮されてこぶし大に縮んでいる、空気から最も離れた場所である。そのような死に一番近づいているところであるにもかかわらず、生を一番感じる場所であるという。「死んじゃうかもしれない」という意識よりも、自分は自然の一部であり自然によって「生かされてるな」という意識のほうが強く、自らの生に対して感謝したくなるという。
フリーダイビングの到達点は記録が伸びるほど死の危険が高くなる。そこは生と死の境目の象徴であるといえる。あらゆるスポーツのフィールドのなかで最も人間の手が及ばない、自然に任せるしかない地点である。水深100メートルを超える世界にいるのは、時間にすれば数秒にすぎない。到達したしるしとなるタグをつかみ、すぐに潜行から浮上に切り替える。
篠宮氏はこの切り替えの瞬間に、フリーダイバーは人間らしさを取り戻すのかもしれないと述べている。
反転することによって、生の世界へ戻る。長い旅を終えて自宅へ帰るようなほっとした気持ちが芽生える。内側から「さあ、還ろう」という冷静な闘志が震えるという。海は自分を受け入れ、「神聖なものは外側でなく、自分の内側にある。それを大事にしなさい」と教えてくれる、と自らの体験を語っている。フリーダイビングは、生と死の境界を往復するスポーツといえます。
一方、水と空気の境界に生き、境界をつかさどる花があります。それは睡蓮です。睡蓮に強く惹かれた晩年のクロード・モネは、フランス北部ジュヴェルニーの自宅に睡蓮の池を造り、200点以上の「睡蓮」の連作を描きました。
1920年(大正9年)、児島虎次郎は、ジュヴェルニーのモネの自宅を訪れ、「日本の人々に公開するために作品を譲って欲しい」と頼み込み、モネが大切に手元に置いて手放さなかった「睡蓮」を入手しました。現在その作品は、大原美術館を代表する所蔵作品として常設展示されています。
モネは、日本の美術を作品や庭に取り入れており、非常な親日家でした。彼の日本に対する慈しみがこの快挙をもたらしたのでした。ちなみに、東京上野の国立西洋美術館の礎となった、「松方コレクション」を築いた松方幸次郎も、1921年、ジュヴェルニーのモネの自宅を訪ねて、モネ愛蔵の「睡蓮、柳の反映」入手しています。戦時中の混乱を経て、保管中に上半分が失われてしまった傷みが激しい状態の作品でしたが、2016年にフランスから日本に寄贈され、現存部分が修復を経て公開され、話題になっています(松方コレクション展、国立西洋美術館.2019.6.11-9.23.)。
日本とジュヴェルニーを結ぶ児島虎次郎とモネとのエピソードを記念して、大原美術館と、児島虎次郎の出身地の成羽町にある高梁市成羽美術館には、モネの庭にあった睡蓮が株分けされ、モネの描いた睡蓮の孫やひ孫にあたる睡蓮が、初夏から秋にかけて水面に花を咲かせています。
入れ子構造の精神、すなわち自己を見つめる目をもつ人間は、観念的に死を知る生き物です。他の生き物のように生きるために生きる一方で、観念的に死を想い、死への衝動を持っています。
水中と水上の境目に咲く睡蓮の花は、生と死の境目に置かれたフリーダイビングのタグの様です。睡蓮をじっと眺めていると、ふと吸い込まれるように死の衝動の駆られ神秘的な妖しさがあります。しかし同時に、それはタグであり、タグを取って、生の世界へ反転する身体感覚も蘇ってきます。人間は、身体に支えられたあくなき生の復元機構によって生きるのです。
文献
1)(篠宮龍三: 素潜り世界一 人体の限界に挑む. 光文社新書705, 光文社. 2014.)。
2)1)P55
追伸:倉敷のブルーについては、こちら。
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