ミカコさん5~審美的感性を貫いた純真な生き方~
ミカコさんは、岡山市の高層商業施設クレド岡山で、ハンドメイドのアート作品や工芸作品を扱うセレクトショップを営む、異色の経営者です。
近年、岡山市の商業の中心地が、それまでの表町周辺から、JR岡山駅周辺に移動し、クレド岡山のある表町界隈はかつての賑わいが失われてしまいましたが、その経営には揺るぎがありません。
主力店舗であるdouce(ドゥース)には、ミカコさんが、様々な縁で知り合った、個人で活動するアート作家や工芸作家から直接作品が納品されます。それらの作品はすべてハンドメイドの一点もので、作家の希望する価格で販売されます。いわば、アートギャラリー的な性格を帯びたショップです。ですから、唯一無二の存在で、競争相手がありません。
扱っている分野は、絵画、造形作品のみならず、服飾、アクセサリー、陶器、木工製品、玩具など生活全般の多岐に渡ります。すなわち、アートに囲まれた生活を提案し、作品と消費者との出会いの場を演出します。
ミカコさんは、今の事業を無借金で達成されました。それは、投資資金によって力ずくで達成されたものではなくて、人との縁を大切にして、自分を認めてくれる他者からの誘いを受け入れて来た結果でした。
ミカコさんが歩んだ道を振り返ってみましょう。
ミカコさんは、瀬戸内海に面した、造船業の町で、工業技術者の父と医療技術者の母の間に長女として生まれました。生まれた直後からの、生い立ちの記憶があり、幼い頃の写真をみると、既に大人びた表情をしています(トレードマークのハットをかぶっていて、幼い頃から帽子好きだったのがうかがえます)。そんなしっかりした子供だったのですが、かといってリーダーになるわけではなく、小・中学校時代は図書委員でした。
高校時代は、東京の美大に進学することも夢見ていましたが、それよりも資格を取得して堅実に生きる道として、キュレーター(学芸員)を目指しました。文学部国文科に進学し、資格を取得し、卒業後は、公立の施設で事務職員として働き始めます。
しかし、その仕事はミカコさんの感性に適うものではありませんでした(ミカコさんは、その体験を、「将来がイメージできなくなる」、と言われます)。
その後、父親の経営する設計事務所を経て、画廊の営業を経験されます。
好きな絵を扱う画廊の仕事は天職でしたが、会社が多角経営に失敗して倒産してしまいます。その後、法律事務所の事務なども経験されます。
その様な激動の転職経験の中で、不思議と次のステップへ手を差し伸べてくれる人が現れたとのことでした。今から振り返ると、この時代に経営に必要な会計や財務、社会保険事務の実践的な知識や身につけることができたそうです。また経営者を、お手本や反面教師として身近に見ることができたのも役立ったそうです。
その後、ミカコさんは、いよいよ単身でビジネスの世界へと舟を漕ぎ出します。
最初は大手アパレルメーカーの一社員として、デパートの売り場に配属されました。職場の人間関係による様々な試練に遭いましたが、ミカコさんの仕事ぶりを見ていたデパートのフロアマネージャーから手を差し伸べられて、違うブランドのショップ店長に抜擢されます。
一見順調に見える昇進の中で、またしても将来をイメージできなくなっていたところに、あるアパレルブランドから、運営会社から独立してショップをやってみないかとの誘いがありました。経営者としてのミカコさんの舟出です。
数年経験を積んでいたところに、表町に近接したビジネス街に新しくオープンした商業施設「クレド岡山」への出店の誘いがありました。ミカコさんは、慣れ親しんだ内海(ホーム)を出て、いよいよ外洋(アウェイ)へと漕ぎ出すことになります。
クレド岡山は、ミカコさんにとって“約束の地”でした。
ミカコさんがアパレルブランドのお店の顧客であったハンドメイドの作家を集めて、雑貨販売のマルシェを何度か企画したところ、それがクレド岡山の幹部の目に留まり、フロア改装の際に店舗を出さないかとの誘いがありました。ミカコさんは、それを機会に、アパレルブランドショップと同時進行でアート作品を扱うショップ(art space MUSEE)をスタートさせます。
ミカコさんの新たな快進撃がはじまります。
アート作品を納品してくれる作家は、作家同士の知り合いの数珠つなぎで、次々に増えました。
そのあたりの具体的な経緯は、ミカコさんのブログ、「Musee de M」に詳しく綴られています。https://limited5.exblog.jp
時が流れ、お店の経営が順調だったところに、仕入れ先のブランドから、他の大型商業施設への出店要請がありました。
ミカコさんはその商業施設への出店に懐疑的だったのですが、取引先との付き合いの上で断ることができず、出店に応じました。今から8年前のことです。ミカコさん自身を含め4名だった社員は、8名になりました。
客観的には事業拡大に成功したことになります。
しかし、どうしても継続させて行くイメージができないので、ミカコさんは2年で撤退を決意します。
事業を撤退・縮小する際に最も困難なのは、社員のリストラです。事業拡張よりも撤退の方が難しい所以です。それにもかかわらず、このときも、不思議と自ずから問題が解決されたそうです。まさにベストタイミングでの決断でした。
クレド岡山のショップに専念できる体制が整い、再び時が流れました。
ミカコさんは、自身のショップ(douce、art space MUSEE)のみならず、クレド岡山の商業スペース全体の充実・発展に気を配ります。昔の仲間を大切にして雇用を維持し、また、才覚のある人に出店のチャンスをしつらえます。
クレド岡山の商業スペースは、最盛期と比べると大幅に縮小されましたが、残ったお店は皆、活気があります。
ミカコさんは、今、経営者として充実の時を迎えています。
それは一見、受け身な生き方によって運良く達成されたように見えますが、自分自身のイメージに従うという価値判断を貫いた、能動的で純真な生き方の結果でした。
【考察】ミカコさんの「イメージ」について
さて、ミカコさんは、人生の岐路で重大な判断を迫られたとき、イメージできることは必ずできる、イメージできないことは避ける、ことで判断していると言われます。イメージは明瞭なので、ほとんど迷うことがなく、決断は即座に成され、誰かに相談することもないそうです。今回は触れませんでしたが、海外の事業への誘いがあったのを見送ったこともあるそうです。
ミカコさんの体験している「イメージ」を理解するのに、山口周・氏の論説*が参考になりますので、以下にその主旨を紹介します。
従来、企業活動の良し悪しは、「資本回転率」や「生産性」といった数値化できる指標で論じられ、そういった指標から合理的に導かれるのがよい経営だとされてきました。
山口氏は「経営を数値だけで管理することはできない」と指摘します。
そこにはリーダーの美意識が問われる、と言います。
山口氏の言う「美意識」とは、経営における「真・善・美」を判断するための認識の仕方です。この認識の仕方を徹底的に追求した哲学者・カントの考えによれば、認識を「理性」だけに依存するのは危険であり、正しい認識や判断には「快、不快」といった感性の活用が不可欠だと言うことです。とりわけ、その事業分野のトップランナーであったり、お手本や既存の目標がない、未知な要素が多い、クリエーティブな事業には、理性以外の判断基準が不可欠になってきます。
経営者が今後向き合うことになる問題は、数値化が容易でなく、論理だけでは、はっきり判断がつかないような問題に、意思決定するための判断力です。そこで未知の領域に挑む経営者は、自分の関わる仕事を、「アート作品」だと考えてみてはどうかという提案をしています。
ミカコさんが述べている「イメージ」とは、事業という「アート作品」を、そもそも制作できるか否か、それが美しいか否か、ひいては、それが、自身のこころをつかみ、わくわくさせるかどうか、道徳や倫理に適っているか、自身の強みや弱みに合っているか、顧客を魅了するコミュニケーションや製品を提供できるか、ということを心のなかでシミュレーションしたものなのだろう、と理解されます。
*山口周・著:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」. 光文社新書891, 光文社, 2018, P9-98
【追伸】
過日、広島在住のアーティスト、入川千春さんの個展がクレド岡山3Fの art space MUSEEで開催されました。来訪者は、涙滴形の板にメッセージを書き込んで千春さんにエールを贈ります。1畳ほどのメッセージボードは、有力神社の絵馬奉納場所のように板で埋め尽くされ、千春さんの人望がよくわかる光景でした。
“絵馬”は、どれも来訪者の思がこもった素晴らしいものでした。その中にミカコさんによる作品が2点あり、ミカコさんのアートセンスの高さが偲ばれましたので、紹介します。
一点目は、ミカコさんの自画像です。
自画像は、図案化された表現のなかに、ミカコさんのチャームポイントである眉間のほくろが描かれています。その正中から少しずれた位置の再現が絶妙です!
全体を簡略化しても、些細だけれども大事なポイントは逃さず押さえる、ミカコさんの素晴らしい審美的感性がうかがえました。
統計的に物事を判断する人工知能であれば、小さなほくろは無視してしまいます。こうした感性による選択が、過去の集積や延長でない、クリエーティブな未来を立ち上げるのでしょう。
二点目は、犬の造形です。
涙滴形の板に耳の垂れた小型犬が見えるなんて、なんと柔軟な発想力なのでしょうか。ミカコさんは、常日頃、多くの視点をもって世界を見つめ、柔軟な想像力を働かせて新たな世界を創造しているのがうかがえます。
このような認識能力をもった経営者は、日本全体が縮んで行く、これからの困難な時代のビジネスにおいても、その舵取りに間違いがない、と確信しました。
違う分野から見ても、生き方が純真で美しくて、敬愛できる人、
そ・れ・が、ミカコさん。
つづきは、こちら。