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今日は妹の誕生日でした……🍰🍰🍰
なので、実家のある馬立の駅です。
この駅は大正14年に開業した時のままなので私が生まれたときも弟が生まれたときも妹が生まれたときも、もっと昔の母が生まれたときもずっと同じ形でここにあったのだと思うと、不思議だなぁ、と思います。
妹は今日63歳になりました。
市原市で生まれて、20歳で習志野市に就職して、家を出て、ずっとそっちに住むつもりでマンションを買いました。
ずっと飼いたかった猫を飼うためです。
しかも、モデルハウスを見た母が「ここ買うべ」といって、貯金もない妹とふたりで盛り上がって、父に頭金を出してもらおうと言い出しました。
父も「おめえたちが結婚するときのために貯めておいたお金があるから、それ使えよ」といったので、マンションを飼うことになってしまい、私もいっしょに住むことになりましたが、私は都会が苦手なので本当は行きたくなかったのですが、ひとりぐらしをする経済力もないので習志野市に引っ越すことになりました。
妹は市の保育士だったので、住宅ローンの審査もすんなり通ってしまいました。
しかし、妹はお金の管理が苦手なのでした。
毎月の住宅ローンはどうにか返済していましたが、後は全部遊びに使うような性格で、毎月不安でしたが、元気だから大丈夫だろうと思っていたら、病気になって、仕事を休みがちになり、ついには休職して退職しました。
人間の一生はどうなるかわからないものです。
健康に生まれて、希望通りの職業に就いて思う存分遊んでいた妹が病気になって、障害を持って生まれて希望通りの職業に就くこともできず、ただ負けず嫌いな性格が功を奏してケアマネになったけれど、本当は図書館司書になりたくて、司書資格の取得できる短大に行きましたが、市原市には図書館はないし、司書にはなれずじまいだったので、何の苦労もせずに公務員になった妹を羨ましく思っていました。
それなのに妹が病気になり、私は介護をする立場になりました。
不思議なことにわたしの負けず嫌いの結果が役に立ちました。
これが神さまのご計画だったのかと思いました。
私はクリスチャンに憧れて教会に通い洗礼も受けましたが、本当の意味でのキリスト教は理解できていないと思います。
いまは教会にも行っていません。
どんな牧師さんなのかと考えると行くのが怖いのです。
以前通っていた牧師は何かにつけて献金ばかりを要求する人だったので信じられなくなってやめたので、牧師も人間なのでいろんな人がいるのはあたりまえなのですが、やはり怖いです。
でも妹が体調を崩したときは、死んでしまうのではないかと思いましたが、今日誕生日を迎えることができました。
ケーキを買ってお祝いしました。ショートケーキですが半分は食べられました。
いい年になりますように、神様にお祈りしました。