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小さな野の花でいい……☆☆
高校に入学してすぐに、自分は社会に必要とされていないのだと感じて勉強をするのが嫌になった。入学式の日に教頭に呼ばれて「せっかく入学したのだから頑張って卒業しましょう」と言われたが、私はきちんと合格して入学したはずなの師、なぜそんなことを言われなくちゃいけないのか? 身体障害者だからか、と悔しかった。
英語の先生には無視されて、一年間一度も指されなかった。だから授業が聞こえなかった。毎日学校に行きたくなかったが、行くだけは行って、二年生からは英語の時間は図書館二いるようにしたが、先生は注意もしなかった。
いらない人間だと思ってからは何にもする気が亡くなったが、家には可愛がってくれる祖父母がいたから、死ぬわけにはいかなかった。
社会に出るのが嫌で勉強もしていないのに進学したが、卒業してもすぐに就職はできなかった。
やっぱりお荷物なんだ、どうしよう、と思っていたらある歯科医院が雇ってくれた。しかも言語障害のある私に「あなたの言語障害は他人に通じないほどではないから受付と医療事務を担当してください」と言ってくれた。
ここから、私は欲を出してしまった。
他人に認めてもらいたいと。
それで柄にもなく「いけばな」を習い始め、障害者福祉に関わろうと転職し、ケアマネの資格を取り、ケアマネの仕事に就きました。
だけど、どこかむなしくて、キリスト教の教会に通い始めました。
神さまを信じ切れていませんでしたが、実家を出るときに受洗しました。いま所属している教会は、妹が保育士をしていたときに担任した息子さんがいたので、母が亡くなったときに介護が必要になってしまった妹をどう慰めたらいいかわからずに、おすがりしました。
いまも、私は神さまの存在をよくわかっていないと思います。
ただ、私は野の花のたとえ話が好きです。
えらぶらずに、ひっそりと咲きたいです。
私は自分の能力以上の栄光を求めてしまったのだと思います。
だから、与えられなくて当然だったのです。
神さま、見栄は捨てます。
妹の命をたすけてくださったことに感謝します。
猫のクララの命も助けてくださって感謝です。