自分がほかの子供と違うと気づくまで、幸せだったと思う……❣❣
子供のころから注意力が足りない。あんまり周りを見ないように歩いていたから、人込みはきらいだ。
歩くときは下を向いて歩くことが多いから、よくひとにぶつかって「気を付けろ」と怒鳴られる。大抵は自転車の人で、今は自転車は基本「車道を走行する」だから、注意しなければいけないのはあなたよ。と言ってやりたいが自転車のほうが速いから、こぶしを握って、怒りをおさめる。
子供のころは、田舎だから、車もそんなに走っていないから、わたしが前を見ずに、よたよたと歩いていても、ひとにも車にもぶつかることなく、学校にも駅にも行けた。
だから、自分が真っすぐに歩けないことに小学校に上がって、体操の時間にみんなと行進するまで気がつかなかった。真っすぐに歩こうとするとよろけてしまうのだ。なぜ、私だけできないのだろう。
もっと小さかったころ、生まれたばかりの妹をおぶって転んで腕を骨折した。今思うとまっすぐ歩けない私によく妹をおぶわせてくれたものだと思う。
自分がほかの子にできることができない、と気がついてから、周りのひとの目が気になって前を向いて歩くことをしなくなった。
おしゃべりが大好きで、自分の作った話をおばあさんにしながらお絵描きをしていたころは楽しくて幸せだったのに、話をすれば、聴き返されて、笑われたから、人前で話はしなくなった。
漫画の絵を真似して描くのも好きだったけど、ひとに見せるのはやめた。
小学生の私には楽しかった記憶はないにひとしい。
ただ、ひとりだけ、わすれられない校長先生がいる。先生は全校児童の名前を知っていて、会うとフルネームデ挨拶してくれた。
3年生のとき、まえのオリンピックがあって、校長室のテレビで開会式を見せてくれた。みんなで見たのか、私だけ見たのかは覚えていないが、見たことははっきりと覚えている。
パラリンピックがあったことは知らなかった。
思い出したくない記憶を振り返るのは難しいことだが、やれるだけやってみよう。
いじわるもされたが、いじわるもした。
やられたらやり返せ、とおばあさんに言われてからは少しだけ前を向いて歩けるようになった気がする。
中学までは、前を向いて歩けたけど、高校生時代はつらかった。
それでも、学校には毎日行った。
おばあさんが毎日お弁当を作ってくれたから。おばあさんを悲しませることはできないと思ったから。
おかあさんがいったのだ「あんたはおばあさんがいなければ死んでいたかもしれない」と。
ずるいよ、おかあさん。それじゃ死ねないじゃないの? と思った。
でも、生きていてよかったよ。大人になって、認めてくれるひとたちに出会えたからね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?