わたしの目には、あなたは高価で尊い……♰♰
尊いは(たっとい)と読むのですね。
今日の礼拝で知りました、ずっと(とうとい)だと思っていました。
わたしは選ばれたクリスチャンになりたいわけではありません。
神さまが注いでくださる光を、浴びられるようになりたいと思っただけなのです。
わたしは身体障害者で、社会から認められることなんてないのだ、と思っていたときに、この言葉を見つけました。
こんな言葉が載っている聖書というものに興味をもちましたが、わたしが当時住んでいたところには聖書が売っているような大きな本屋さんはありませんでした。それで、そのことを産経新聞に投書をしたら、新聞社経由で読者のクリスチャンの方が聖書を送ってくれました。
わたしの声が神さまに届いたのだと思いました。
それから教会に行きたいと思っていたら、学生時代の友人でクリスチャンになったひとに電車の中で十年ぶりくらいに会って、教会に連れて行ってもらいました。
その教会は小さくて、牧師は高齢でした。楽しく充実した教会生活でした。が、わたしは家庭の事情で引っ越すことになり、いまの地に住むことになりました。
こちらに来てから20年近く教会から離れていました。
クリスチャンだといわれて信用したひとに陰口を言われて立ち直れませんでした。
その人は本当はクリスチャンではなかった、と後で知りましたが、一度離れると教会の玄関が重くて押せませんでした。
それでもいつか帰りたいと思っていました。
教会に帰る機会は母の死がかかわっていますが、書くと長くなるので、今日はここまでにします。、