母が亡くなってから、日焼けして、太った。そして髪を切れなくなった
数えきれないくらいの変化があって、それをひとつひとつ数えて、見つめながらnoteに蓄積している。
今日は容姿のことを。
母が亡くなったら、引きこもって色白になり、食べ物が喉を通らず痩せる。
と、思っていたけれど…実際は反対だった。
洗濯物、お布団を干したりよせたり、ゴミ出し、庭の落ち葉掃き、草を取ったり。
ちょっとした家事、いちいち屋外になり…
墨田にいた頃はものすごく歩いていた。
車なんて無縁だったから、ちょっとの距離はチャリ。
電車に乗るにも、乗り換えにもけっこうな階段の上り下り。
実家に帰ってきたら歩く機会が激減した。
しかも外出自粛も重なり。
運動不足になるし、家事から仕事に切り替える時、家で仕事をしていて集中力が途切れた時、意識的に10分ほど散歩に出る。
そんなことをしていたら、「サーフィン始めたの?」って聞かれるほど日焼けした。
そして、悲しくてもお腹は減る。
しかも、今まで1日1食だったのに、1日3回きっちりお腹が空く父と暮らすようになって、一緒に食べるようになってしまい。
太りました。
なんか、パッと見、健康的に変化。
人生最大の悲しみ直後の人の変化じゃないわな、と思いながら。
それでも、見るからに力を落とした感じになって「大丈夫?」っていちいち聞かれるのもしんどいからいいか。
容姿のことでもうひとつ。
髪を切れなくなってしまった。
「もう髪を切らない」と決めたわけではない。
ただ、なんとなく。
飽き性なので、伸ばそうと思ってもすぐに切ってしまい、思い描く髪型にはなかなか到達しない性格なのに。
「この髪は、母を覚えている」と思ってしまって。
体のいろんな細胞は、悲しかろうがなんだろうが生まれ変わっていく。
もちろん、脳では母を記憶している。
心にも母がいる。
それで十分。
髪なんて切ってしまっても、私が母を忘れるわけではないのに。
なんでか髪を切れない。
こんなに髪を伸ばしたのはどれくらいぶりなんだろうか。
母の写真を飾るために昔のアルバム見ていたら、母もお尻ぐらいまで異様に髪が伸びていた時期があって。
日付を見ると、祖母(母の母)が亡くなった頃だった。
ただ髪を切るという気力がなかっただけかもしれないけれど、もしかしたら、母も今の私のように思っていたのかな。
ひとつ大きく違うのは、祖母が亡くなったあと、母は全然食べ物が喉を通らなくなり、何をすすめても一切何も口にしなくなり、娘として心配になるくらい痩せたこと。。。
外食も減ったことだし、父の健康と私のダイエット、両方意識して献立考えよう。