“やらなきゃ”オバケが出てきたら、理由や目的を考えてみる
「やらされに来るんじゃなくて、やりに来なさい」
高校の部活の顧問に言われた言葉を、ふと思い出しました。これは私だけに言った言葉ではなくて、チーム全体の雰囲気が中だるみしてきたときに、みんなに向けて言っていたような記憶があります。
私はバスケットボール部に所属していました。ほかの部員は小中学校からの経験者で、初心者は私だけ。練習でチームに迷惑かけている感じがしたり、土日も休みのない練習だったり、仲良くなれないチームメイトたちと一緒にいることだったり、いろんなことがしんどすぎて、体力的にも精神的にもずっと「辞めたい」と思っていました。でも、だれに言えばやめられるのか当時はわからなかったし、辞めた後にチームメイトに向ける顔がないなとか、辞めるって怖いなとか、やると決めたことを途中で辞めることを自分に対して許してあげられなくて、親にも「辞める」って言うくらいなら、どうせ長くても3年で終わりが来るから最後までやる、と思いながら引退まで続けたんですね。
そんなつらかった部活動の中でも、先生の言葉はなぜか記憶に残っていて、最近思い出したわけです。
「(バスケットを)やらされに来るんじゃなくて、やりに来なさい」
これを聞いたとき私は、朝のシュート練習のことを考えていました。「やりにいかなきゃ部長に怒られるかもしれない」「一番下手でチームに迷惑かけているんだから、朝はちゃんと起きてシュート練習して、迷惑かけないようにしなきゃ」そんなことを考えながら毎日早起きして学校へ行き、まだだれもいない体育館で、昨夕折りたたまれたバスケットゴールをキコキコと伸ばし、倉庫からボールを出して、シューティングをしていたのです。
あれ、いつの間にか“やりたい”が“やらなきゃ”になっていたな。先生の言葉でそのことに気付いて、次の日からは「たしかに部活はつらいけど、朝のシューティングは身体もあったまるし好きなんだ。今日もやりに行こう」と思うようにしました。
“やりたい”が“やらなきゃ”になってることって、意外と多いように思います。例えば仕事の日の朝「まだ布団にもぐっていたいけど起きなきゃ…」「ごみ捨てに行かなきゃ…」「お風呂入らなきゃ…」「ご飯食べなきゃ…」と、こんな感じです。
仕事は生活費を稼ぐためだったり、趣味のためだったり、友達と遊ぶためだったり、自己投資のためだったり、ごみ捨ては部屋をきれいに保つためとか、お風呂は身体をきれいにするため、疲れた体を癒すため、すっきりするため、ご飯を食べるのは身体を動かすため、おいしいと感じるため・・・など、人によって違えど、理由や目的がちゃんとあるはずです。
それがいつの間にか、目的のことを忘れて「やらなきゃ…」だけになってしまって、そうするとただただ憂鬱な作業ばかり待ち受けているように勘違いして、生活そのものが億劫になってしまうんじゃあないかな。
それをやらなきゃどうなってしまうんだろうと考える。別にやらなくてもいいかもしれないし、やったほうがいいかもしれない。やり方を変えたほうがいいかもしれない。
“やらなきゃ”オバケが出てきたら、理由や目的を考えてみる
くらむぼん