「人と人の間で育まれていく街、蔵前」
「蔵前ってどんな街?」そんな編集部の素朴な疑問から、蔵前にお店を構える経営者の方をお招きし蔵前の街をテーマにお話しして頂きました!
ブルーボトルコーヒーや、ダンデライオン・チョコレートの日本進出を牽引し、現在も国内外でビジネスを展開されている堀淵様。大阪出身で現在は蔵前で週末だけのセレクトショップをご夫婦で営む森岡様。そして生まれも育ちも蔵前、酒屋の三代目店主であり本誌『KeY』の発起人でもある関様。異なるバックグラウンドを持つ3名の目に、蔵前がどのように映っているかインタビューしました。
楽しかった思い出を、何度でも
ーなぜ蔵前にお店を構えたのですか
関 生粋の蔵前っ子の僕の場合は「生まれてきたから」という風にしか答えられない部分があるんですが(笑)やっぱりこの街が好きだからというのが今の思いですね。
というのも長年商売をしていると、有り難いことに違う店舗を出しませんか?とお声掛けを頂きます。そんなときは、少し迷いが出てきます。でも、最終的に何のために商売をやっているのかと考えた時に、僕はお客さんの顔が見えるくらいの距離感で、愛する地元の人達のために商売をしたいと気づいたんです。
堀淵 いいですね。その地元への愛はどこから来るのでしょう?
関 蔵前はお祭りが盛んな街で、僕自身が子供の頃から街で楽しい思いを沢山させてもらってきました。なので、僕がしてもらってきたように、今の子供たちにも、街での楽しい思い出を作ってもらえたらという思いが大きいかなぁ。
森岡 なるほど。
関 僕がしてもらってきたように今の子供たちにも、街での楽しい思い出を作ってもらいたい。そして大人になったら「私の地元、いいところなんだよ」って友達を連れて案内してくれたら嬉しい。そんな風に、思い出を紡いで欲しいなと思います。
それと、顔馴染みの人と会話をすると心が優しくなるというか、良い意味で気を張りすぎなくていいというか。僕にとって心地よく、楽しく商売できるのが慣れ親しんだ地元なんだと思います。
堀淵 いいねぇ。それにしても、近くのエリアには清澄白河とか両国とかあるけどさ、蔵前から川を一本離れただけで、だいぶキャラクターが違うよね?
関・森岡 (声を大にして)分かります!!
ー心地よい空気を育んでいるのは?
堀淵 やっぱりそう思う?(笑)それでさ、僕は蔵前がやっぱりすごくいいと思うの。
僕はもともと、ブルーボトルコーヒーの一号店を清澄白河に出していて、清澄白河のことも良いと思っているんだけど。やっぱり蔵前はなんか違うんだよねぇ。なんかこう「人と近い」っていう感じがあるのかなぁ?
関 清澄白河って結構広いんですよ。それに比べて蔵前は狭い。
堀淵 確かに。清澄白河は道も広いし、開けている感じがあるけど蔵前は違うね。
関 そうなんです。もしかしたら、人の密度や関係性の密度が清澄白河はざっくりしていて、蔵前は、皆顔馴染みという感じなのかもしれないです。
堀淵 確かにその感じはあるよね。
関 ところで堀淵さんは、なぜ蔵前にお店を出されたんですか?
堀淵 僕はもう、蔵前のあの場所を見つけて惚れちゃってさ。もう最初に惚れたから好きになったとしか言いようがないよね。(笑)
一同 (笑)
堀淵 いや、もともと東京の東の方でとは思っていましたよ。クラフトチョコレートのブランドなので下町っぽい雰囲気や、人が実際にそこで生きて動いて、ものづくりをしているような空気があるエリアがいいなと。そしたらたまたま、今の店舗の場所が見つかって。しかも目の前が美しい公園だった。これはもう行くしかないと思いましたね。
森岡 それはご縁ですね。
堀淵 本当に。それでいざ街を見渡してみると、これまたとても良い。例えば、同じ通りにあるNakamura Tea Life Storeさん。あのお店はカッコいいなぁって思いましたし、インスピレーションを受けましたよ。他にも、カキモリさんや、僕がアメリカにいる時にビジネスをさせてもらったKONCENTさんがあったりね。かと思えば蔵前が地元で、一度街を出たけれど故郷に帰ってきて店を開いたなんていう、店主一人の小さなお店もたくさんあったり。みんなそれぞれに良い感じで、とても素敵だなぁと思いました。大きなレストランやチェーンのお店に行くより、僕は楽しいと思いますよ。
関 そうですよね。
堀淵 そんな色んな小さなお店が、僕らが来た時には既にあって、今も増えている。蔵前は、そういう人達を集める力があるんだと思いますね。
関 うんうん。地域の人もそういうお店に行き馴れているところがあるので、新しいお店も受け入れられやすい環境なのかもしれませんね。森岡さんは、大阪がご出身だそうですが、なぜ蔵前にいらっしゃったのですか?
森岡 僕はもともと、台東区の創業支援施設であるデザイナーズビレッジにお世話になっていたので、台東区で起業しようと思っていました。そして卒業後、どこか面白い場所はないかなという目線で色々な街を見ていたとき、蔵前に出会い、感覚的に惹かれてしまいました。(笑)
関 直感ですね。
堀淵 その街に行ってみて感じる何かっていうものはあるよね。
関 訪れた方に直感的に良いと思ってもらえるのは嬉しいですね。きっと街が何かしら良い雰囲気を出しているということだから、街を築いてきた地域の方達が良かったってことだと思いますね。
堀淵 そうだねぇ。あとは氏神様も良かったのかもね。
「蔵前」は、名前も良い?
堀淵 あとさ、蔵前は僕らの世代からしたら「蔵前国技館」だよね。相撲と言えば蔵前、蔵前と言えば相撲。それ以外のイメージはないくらいだよ。
森岡 確かに、昔は「蔵前国技館」がありましたからね。
堀淵 そう。子供の頃からテレビで相撲を見てきたのは蔵前だったんですよね。そういう意味でね、なんか蔵前は響きが良いなと思っていたよね、ずうっと。「蔵前」って、名前がいいよ。
関 そうですか?
堀淵 「蔵前」っていいじゃん。きっとこの感覚は相撲のイメージから来たんだろうね。
関 でも確かに、全国の酒屋の仲間達と会話するときに蔵前と言うと、「知ってるよ!国技館あったところでしょう!」って言ってくれます。
堀淵 それは、多分60代以上の人だね?(笑)
関 そうそう!(笑)もう20年以上前に国技館は両国の方へ移ったので、若い人にはもう知られてないですね。でもそんな歴史から、蔵前神社にはお相撲さんの名前が刻まれているんですよね。
堀淵 そうだね。相撲が僕の一番の蔵前の印象。ほんとに「いい響き」ってかんじだよね。
時間の流れを活かす街、蔵前
ー 店舗を構える上で街に対して何か気を遣ったことはありますか
堀淵 街に対して気をつけたことというか、クラフト的な要素として、時代を感じさせるものが必要だとは思っていました。古いものと言うより、時間を感じさせてくれるもの。そういうものが側にあると、気持ちが豊かになると思うんですよね。今の店舗は元々取り壊し寸前だった古い倉庫で、その雰囲気を保つような作りにしていますね。
森岡 僕もそうですね。うちは、屋形船の船宿だった場所なんです。もともとあったカウンターや木材を使って、自分たちでリノベーションして創りました。正直、蔵前の街に合わせてお店を作ろうとしたというより、自分達がやりたいものをやったという感じですね。
以前僕はアムステルダムに行った時に、古い建物が新しい面白い使い方をされているのを見たんです。しかも、それぞれの新しい人が好きにやっているような感じで。僕はそれがすごく好きで、今に繋がっています。蔵前は、そんな風に新しい人達も好きにやれる街の包容力がある気がしますね。
堀淵 そうだね。そうやって街のキャラクターって出来ていくよね。色んな新しい人が入ってきて、お店ができる。するとそれに触発されて、また新しい人が来て何かやる。そんな街の磁力みたいなものがあって、街が出来ていくんだと思いますよ。
ー蔵前は東京のブルックリンではなく?
関 ちなみにアムステルダムはどんな街ですか?
堀淵 気持ちいい街だよね。ヨーロッパで一番好きかもしれない。
森岡 そうですね。ヨーロッパは昔からの建物の躯体の中で新しく遊ぶというようなことが多くあるんですよ。でも僕の印象ではアムステルダムはなんか、ギュッとしてるんですよね(笑)
堀淵 分かる分かる。(笑)
森岡 道路に面している面積で税金が変わる場所だったんですよ。なので間口が小さくて細長い。蔵前も間口が大きい建物は少ないですよね。小さい建物がキュッとまとまってる感じもアムステルダムと似てると思います。あと、水辺(隅田川)やお蔵の感じとか。
堀淵 なるほどね!蔵前とアムステルダムを語った人は初めてですよ。実はさ、蔵前は日本のブルックリンだとか言われるけど、結構的外れだなって思ってたんだ。(笑)アムステルダムの方がピンときたし、面白いね。
森岡 ですよね。僕もそう言っていきたいです。少し話が戻りますが、昔からの建物を活かして新たに面白いものを作るように、僕は古さと新しさをバランス良くミックスしていきたいと思っています。そしてそれがコンセプトになって、僕らのお店は『NEWOLD STOCK』という名前なんです。
堀淵 なるほどね。お店の名前の話と言えば、関さんがされているような酒屋さんの立呑のことを「角打ち」って言うんですよね?なんで「角打ち」なんですか?
関 それは諸説ありますが、ひとつは枡の角にで塩を当てて飲んでいた。それで角で打つ、角内だったりとか。
森岡 ほう。
関 あとは、酒屋さんて昔は量り売りをしていたんですよね。酒蔵さんが作ってしてくれたお酒を、水で調整して販売していた。そしてその時代は、小僧さんがとっくりを持ってお酒を買いに来ていて、その小僧さんが店主にバレないようにこっそり角で飲んでたっていう。(笑)
堀淵 それで角打ちですか!(笑)
関 そうなんです。もしかしたら今でも奥さんに内緒で、コソッと一杯角で飲んでいるお客さんがいらっしゃるかもしれません。
一同 (笑)
「右向け右」が通じないから面白い!
ー蔵前の街の変化についてどう思いますか
関 蔵前はもともと問屋街で近くに浅草や上野があったので、蔵前自体に小売のお店は少なかったんです。それが時代の変化で問屋さんがだんだん無くなり、空いた建物が多くなった。すると、お二方のように、空いた建物を使ってお店を営む方が徐々に入ってきてくれるようになったんです。大江戸線が開通した頃から変わったかなというイメージですかね。
堀淵・森岡 そうなんだ。
関 もともと浅草線があったんですけど、浅草橋と浅草に挟まれて通過されてしまうような駅でしたよ。それが、ここ数年でだいぶ変わってきたと思います。デザイナーズビレッジの影響も大きいですね。
森岡 なるほど。他の大きな街って、巨大資本が街を一気に開発しているケースがあると思うのですが、蔵前はそうじゃない。誰かが旗を完全に振ったという感じがないところが、僕にとっての良さなので、これからもそうならないでほしいな。皆が自由にやって、それが蔵前の面白さになるというのが良い形だと僕は思いますね。もちろん迷惑にならない範囲で、ですけど。
堀淵 うん。
森岡 自分のやりたいことを自由にやって成り立つ街ってすごいと思うんです。もっと大きい街だと、街のニーズみたいなものに合わせないとやっていけない気がするし、田舎だとお客さんに来てもらえないということもあると思う。僕にとって、蔵前はちょうどいい街なんですよね。
堀淵 僕らも、ダンデライオンにとって蔵前がビジネス商圏になるかなんて考えずに入ったね。(笑)
きっと「開発」って言葉は街が受け付けないだろうね。この街にはまだスターバックスがないでしょ?スタバが来たらまずいですよ。
関 そうなんですか(笑)
堀淵 僕は真面目にそう思いますよ。でもきっとそうはならない。蔵前で生まれ育った人達や新しい人達がそれぞれにお店を営んで、非常に自然な感じで、有機的に街が育っていくんじゃないかな。
森岡 同感です。旗振り役はいないけれど、なんとなくまとまりがあるという感じですね。
堀淵 うん、それが一番いいんですよ。
森岡 この街はこうだ!なんて掴めなくていいと思います。
堀淵 人が街の個性を作っていくんですよね。
関 (今日一番の笑顔で)なるほど。やっぱり街の人のお陰ってことですね。
読んでくださったあなたへ、一言。
ー読者の方へ一言メッセージをください。
堀淵 蔵前に来たら何はともあれダンデライオン・チョコレートに立ち寄ってください。それが唯一のメッセージです。(笑)地元の方達も蔵前に遊びに来た方も、おじいちゃんおばあちゃんもいる。そして目の前の公園から子供の声が聞こえる。本当に平和な光景じゃないですか。これはなかなか得られない素晴らしいことだと思うから、ぜひ蔵前らしさのひとつとして、感じてもらいたいね。
森岡 蔵前には好奇心だけ持ってきてもらえたらいいんじゃないかと。街の人や、お店の人と話してコミュニケーションをとること自体にも蔵前の面白さがあると思います。僕たちのお店も、単にものを並べるのではなくて、作家さんをお招きして直接お話できるイベントなんかも企画しています。作家さんの思いに触れることで、より一層ものを大事にしたいと自然に思えるような循環ができるんじゃないかと思うんです。なのでぜひ、お店の人や街の色々話してそのお店やもののことを知ってみてください。
関 ネットでは見つけられない、たくさんの魅力的なお店が蔵前にはあります。せっかく蔵前に来てくださったなら、自分の足で街を歩いて、色んなお店の扉を開けてみてほしいなと思います。この冊子『KeY』がそんな扉を開ける鍵のような存在になれればと思っています!
Dandelion Chocolate Japan株式会社
ファクトリー&カフェ蔵前
堀淵 清治
1952年徳島県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、渡米。米国でマンガ・アニメ出版社を創立。Newsweekの“世界が尊敬する日本人100人“にも選ばれる。
2015年「ブルーボトルコーヒー」日本上陸を主導、同年「ダンデライオン・チョコレート」の日本法人を設立し代表取締役CEOに就任。
合同会社 音とカタチ
NEWOLD STOCK /オトギデザインズ
森岡 聡介
武蔵野美術大学在学中からファッションショーのプロデュースや楽曲制作、役者・モデル等で活動。
2009年、ブランド「OTOGI DESIGNs」を設立し、老舗シューズメーカーアキレスや台東区の活版印刷職人さんとのコラボ商品を発売。
2012年、週末だけのセレクトショップ「NEWOLD STOCK」をオープン。
双葉食品株式会社
KAKUUCHI CAFE FUTABA
関 明泰
1978年蔵前生まれ。蔵前で育ち、蔵前で商売しているチャキチャキの江戸っ子の商売人。
2000年の大学在学中に酒販店である家業を継ぎ2013年にKAKUUCHI FUTABAとしてリニューアル。
業界発展の為に活動しており、2020年には地域貢献や地域振興に注力するため、蔵前商店街を発足。