見出し画像

220222強制不妊手術裁判を傍聴して。

感想:前日から私の中で闘いに臨む気持ちは作られていた。「子宮を取られるというのはどんなだろうか。考えても分からないが酷いこと。」と頭の中で唱えながら布団に入った。翌朝、恐怖の感覚で目が覚める。子宮を取られることを寝る直前まで考えていたからかもしれない。
裁判所に入って始まるのを待っていると、原告と思しき夫婦が手話で話しながら部屋に入ってくるのが見えた。「どんな人なのだろうか、怒り狂った表情をするのだろうか。」と、恐る恐る観察していた。しかし、最初の私の思惑は夫婦登場から3分も経たないうちに見事に打ち砕かれた。ろうの夫婦は目の前に腰を下ろした手話通訳者と笑顔で話していた。冗談を言って笑っていた。普通だった。耳が聞こえないということ意外において、なんら変わりのない普通の人だったのである。そんな普通の夫婦の子どもが亡くなってしまったことと、二度と子どもを産めない体にされたことを思うと、とても苦しかった。裁判が始まると判決内容が読み上げられた。「人権侵害が強度であり、相談機関へのアクセスが困難だった。時効停止の規定行為を照らし、アクセスが困難な状況だったことを踏まえ時効停止。」
ここまで聞いたとき、会場の人々の顔が上がるのを感じた。わずかな時間で裁判は終わった。隣の席に座っていた同じく聴覚障害の傍聴者が「勝訴」と書いたメモを見せてくださって、裁判に勝ったことが分かった。画期的な勝訴の場面に立ち会うことができたのだと分かったのは集会に参加してからだった。集会でまず、大阪聴力障害者協会のNさんが話した言葉に込み上げてくるものがあった。「なぜこんな被害を受けた側が証明しないといけないのか。本来国が、何よりも自分が犯した罪について分かっているはず。」今回N夫妻が裁判で闘ったことについても「ご夫妻の勇気、強く敬意を示したい。」と仰っていた。自分の身体への同意なき侵襲があったことを表に出すことほど辛いことは無いと思う。まだまだ優生思想の残るこの社会で、矢面に立って闘うことは本当に強いエネルギーがなくてはできないことである。私も聴覚障害者であり、もしNご夫妻と同じくらいの年代を生きていたならば、優性保護法による身体への侵襲を余儀なくされていたかもしれない。いつも面倒に思っている生理も気づいたら来なくなった。という状況に陥ったかもしれない。最後にろうあ連盟のOさんが言っていたように、判決の中で「障害者は情報アクセスが難しい。」ということも含めて認められたことが良かった。情報アクセス、情報保障の面に関しても障害者団体としてできる働きかけを進めて行かねばならない。今後も裁判の動向を追っていきたい。最後にもう一度言いたい。N夫妻は本当に普通の人に見えた。特別な人ではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?