そんなにキレイに生きられない
※もう募集は終わってしまった、転職関連のコンテスト・コラボ企画用にしたためましたが、期限が過ぎてしまったので加筆修正しました。
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はじめに
私は、いわゆる氷河期世代の人間である。
学生時代の就職活動は、大変に厳しかったらしい。
「らしい」というと妙に他人事だが、実体験で比較のしようがないのでそう言うしかないのだ。
目の前にあるやらなくてはいけないことに、ただ取り組むだけだった。
有効求人倍率が高かろうが低かろうが、採用予定人数が多かろうが少なかろうが、とりあえずやるしかなった。
不採用に続く不採用の中、それでも唯一採用された会社に入社した。
そしてその会社は、4か月で辞めた。
以来、やはり会社員に向いていないと自他ともに認めながら職を転々とし、キャリアやお金とは無縁の社会人生活を送っている。
その中で何度も経験した転職を通して思ったこと。
キラキラ・バリバリで、転職市場において引く手あまたなキャリアウーマンとは真逆の、くそくらえな世界。
#氷河期世代 #就職活動 #転職活動 #全く参考にならないと思う
#社会不適合者
働く意味が分からない
話は少し逸れるが、学生時代の就職活動では、やりたい仕事や入りたい会社を目指して頑張る友人達とは対照的に、私は全くやる気がなかった。
働くことに対してプラスのイメージが持てず、どうしてそこまで頑張れるかが理解できなかったのである。
わが家は決して裕福ではなかったため、やりたい事や欲しい物があっても、金銭を理由に実現できなかったことがいくつもある。
「お金さえあれば…」と悔し涙を飲み続けるしょっぱい10代を過ごし、小遣いがもらえず高校入学直後からアルバイトを続ける中で、「働くのは辛いこと」「お金を稼ぐのは過酷なこと」と骨の髄まで沁みついてしまったのだ。
もちろん、大学生になっても生活のためにアルバイトに明け暮れざるを得ない毎日だった上、それだけでは足りず、生きていくための借金も膨らんでいった。
そんなこともあり、就職活動時には「もう働きたくない」「お金のために毎日辛い思いをして働くなんて絶望しかない」と非常に悲観的になっていた。
生きていくうえで必要な住居費や食費光熱費、娯楽に充てる費用などを得るため、働かなくてはいけないのはよく分かっている。
しかしそれでも、元来の怠けた性格により、1日8時間×週5日も働くなんて人生終わると思ったのだ。
今となれば大げさだが、人間としての尊厳が保てるのかという危機感まで抱いてしまった。
そこで、当時のアルバイト先の社員さん達に「なぜ働くのか」を問うた。
その答えにより、働く意味を知るヒントにしたかったのだ。
一人の答えは、「家族と幸せに過ごすため」。
もう一人は、「とりあえず生きていくため」。
ますます私は分からなくなった。
いったん、家賃や光熱費を払うため、大学まで出たからとりあえず会社員として働いた方がいいだろうと自分を納得させ、就職活動をおこなった。
やりたいこともなりたいものもない自分にとって、仕事を選ぶということは非常に困難でハードルの高い作業だったのだ。
サラリーマンに向いていない
前述の通り、1日8時間×週5日も働き続けたら生きていけないと恐れた私は、残業が少なく年間休日が多い会社、そして自分の好きな商材を扱う業界に絞って就職活動をした。
「これならできそうだ」というものをひとつひとつ集め、遅ればせながら自分なりに就職活動というものを進めていった。
辛うじて採用された一社に新卒入社し、採用してもらった以上は真面目に頑張ろうと決意したのもつかの間。
お局とその部下である女性社員の2人からサンドバッグにされ、叱責と嫌味と監視にさらされ続け、仕事に取り組んだり成果を出したりする以前の問題に心が壊れた。
他部署の先輩達が、彼女らの私に対する態度がひどすぎると私の上司に訴えてくれたほどで、助けてくれる人達も多くいたが、肝心のその上司は彼女らが怖くて見て見ぬふり。
状況は良くなるどころか、ますます悪くなっていった。
学生時代の友人達と話しても、会社の先輩とお昼に行って楽しかっただとか、同期とバーベキューをしただとか、仕事が楽しいだとか、別次元の出来事を聞いているようだった。
置いてきぼりをくらったように感じつつも、私が仕事できないからこういう目に遭うのだと自分を責め続けた。
そしてある日の朝、ベッドから出られなくなった。
心と脳と身体の連携が取れなくなったことを、ぼんやり受け止めた。
ああ、これでまたいじめられるな。何て言って謝ろう…と、鈍い脳みそで考えた。
数日して人事部長との面談があり、部長は真摯に話を聞いてくれ、味方をしてくれたものの、1か月後・3か月後・半年後を想像してもこの会社で働き続けるイメージが持てなかった。
そして、部長に感謝の意を伝えつつ、「私は、こんな思いをするために大学を出てこの会社に入ったわけじゃありません」「採用活動をするなら、受け入れる側の体制も必要だと思う」と告げ会社を去った。
今となれば、本心ではあったものの、なんと上から目線だったのかと思うばかりである。
以来、「大した学歴も特出したものもないのに、たった4か月で会社を辞めた人」の転職活動は困難を極めるのであった。
#頑張ろうと思ったけど #パワハラ #お局 #もう無理 #早期退職
#でも仕方ない
相手にされない
転職活動を始めたものの、相手にされない。
大した学歴も実績もなく、4か月で自ら会社を辞めた人間などまたすぐに辞めてしまうかもしれないし、何か問題を起こすかもしれない。
そう思われても当然である。
現在の私でも、そのような人物からの応募があったら、些か警戒してしまうかもしれない。
さらに、やる気以前に相変わらずやりたいこともなりたいものもなく、日々の生活やお金のために働きたい(本当は働きたくないが働かないといけない)という姿勢が透けて見えていたのだろう。
面接に呼ばれ、退職理由を聞かれても責められているようにしか捉えられず、正直に答えるのが正しいのか、うまくオブラートに包み隠すのが正しいのか分からず、書類の時点で不採用とされる日々が続いた。
エージェントに登録しようとしたが、「あなたの経歴ではご希望に添えません」といった短い返信が届くのみで、20代前半ですでに必要とされていない現実を突きつけられてしまったのだった。
その時は、私の将来はもう終わったのだと本気で思った。
しかし、社会人に向いていないのだから仕方ないという気持ちもなくはなかった。
公共の転職支援サービスを利用しても、年配職員からの「根気がない」「みんな辛いけど頑張っている」などの精神論に終わり、みんな辛いならもっと楽しく働ける世の中にすればいいのに…という消化不良の思いだけが残った。
限りなく手ごたえのない面接の帰りや、「こんな経歴で応募してきたなんて」と面接官になぜか怒られた帰りなど、街を見渡しながらいつも思っていたことがある。
世の中にはこんなにたくさんの会社があるんだから、1社くらい私を必要としてくれる会社があってくれてもいいのに…。
世界は、果てしなく広く冷たく感じた。
失礼ですが…
長い転職活動の中で、印象的だったものをひとつ挙げたい。
新卒の会社を4か月で辞めて以来、私はアルバイトや派遣社員として接客業や事務職に従事し、文字通り「食いつないだ」。
そして、30代前半で結婚し、2か月ほどして転職活動を再スタートさせた。
結婚前に派遣社員として働いていた会社は、契約社員登用の話があったものの、新居からの通勤が困難となるため泣く泣く退職し、新たな職場を探す運びとなった。
やはり、言うまでもなく軒並み不採用であった。
おそらく、既婚だろうが独身だろうが優秀な人は関係なく採用されるのだろうが、私はそうではなかった。
認めたくはないが、キャリア関連の業界や人材派遣業界で、私はクィーンオブ雑魚キャラなのだ。
自分の腕一本でやっていける能力も技術もなく、一般的な会社員という世界で生きていこうと思うのならば、それを受け入れなくてはならなかった。
ある日、自宅から自転車で通える範囲で、文房具や雑貨を扱う小さな会社のパート事務職の求人があった。
好きな商材であること、前職と似た業務であることで早速応募したところ、幸いにも書類審査を通過し、数日後に面接が行なわれた。
飲食店か店舗と思われる施設の居抜きにあったその事務所を訪れ、狭く暗い通路の先にあった部屋で面接は執り行われた。
そこはまるで、学校の家庭科室や理科室のようだった。
ステンレス製の大きなテーブルがあり、すぐそばには大きなシンクと水道、ガスの元栓が設置されていた。
現れたのは、赤に近い茶髪で白いスーツをまとい、ハイヒールを履いた40代くらいの女性。
薄暗い社内には不釣り合いなほど派手だった。
女性は始終笑顔がなく、無言で履歴書に目を通した後の第一声が「失礼ですが…」。
その後の一言はこちら。
「お子さんの予定ありますよね?」
…あります「よね」??
出た!!
このご時世、このような質問は表向きであれNGだという中、随分とストレートだし、「よね?」とは一体…?もう決まっているのか?
そんな気持ちを抑えつつ、今その予定はないからここに来たわけだし、長く働ける職場で頑張りたいから応募したというようなことを、引きつった笑顔で伝えた。
それにしても、「失礼ですが」と前置きがあれば、何を言ったり聞いたりしてもいいのだろうか。
採用面接というと、どうしても採用する側が上というイメージがあるが、決してそうではないのだ。
応募者側がその会社で働けるかを推し量る場でもあるのだ。
この人の下で働くこともこの職場で働くことも全くイメージできず、辞退する旨を打ち明けようとしたが、生活のために採用されなくては困るという思いが先走り、できなかった。
手応えが全くないまま面接は終わり、なぜ呼ばれたのだろうかという疑問を携え、重いペダルを漕いで帰宅した。
仮に圧迫面接だったとしても、内容的に完全にアウトであろう。
帰宅後、悩みに悩んで辞退のメールを送信した。
なぜ、妊娠出産の予定がある前提の質問があったのか、そのような質問が面接でなされて驚いたことなどを記し、この会社の惹かれた点を挙げつつ、しかしそのような中では働くイメージが持てなくなったし働きたいと思えなくなったというようなことを伝えた。
数日後、履歴書が返送されたが、開封せずそのままシュレッダーにかけた。
もし私が、誰もが驚くほどレベルの高い大学を卒業し、誰もが憧れるような企業で何年も成果や実績を出し続けた人物であったら、この会社の反応も違っていたのだろうかと当時は思った。
仕事ってなんだろう、働くってなんだろう、転職ってなんだろう。
答えのない問いが巡り巡った転職活動だった。
#既婚者の転職活動 #禁断の質問 #ハラスメント #圧迫面接のようなもの
#女性の敵は女性なのかもしれない
#この会社はもうない #跡地はコインパーキング
アラフォー転職活動の実情と思ったこと
現在は、アルバイトとして事務職に従事している。
社内の状況や方針も目まぐるしく変わり続ける中、人間関係には恵まれているおかげで、業務に苦戦しながらも就業7年目を迎えた。
しかし、コロナをきっかけに業績が悪化し、アルバイトが解雇の危機にさらされた時があった。
好きな会社をクビになるくらいなら、次を見つけて自分から去ろう。
そう決意した私は、7年ぶりに転職サイトに登録した。
派遣社員・契約社員・正社員を問わず探したところ、自分の持つ民間資格や経験を活かせる業務を見つけ応募したが、掲載元の大手人材会社からは何日経っても連絡は来なかった。
こちらから電話をしたところ、すでにメールで連絡したとの回答があった。
答えはもちろん、「今回はご縁がなく別の方が…」である。
が、迷惑メールフォルダにすらその会社からのメールは来ておらず、電話が終わった数分後に「お祈りメール」が届いたのだった。
他の人材会社でも登録自体はできたものの、仕事の紹介は一切なく、応募をしてもコピペされたであろう事務的なお祈りメールが届くだけであった。
結果、採用される見込みが限りなくゼロな人物の個人情報を、無駄に垂れ流しただけになってしまった。
求人サイトを見ても、「おすすめ」と謳う仕事は全く希望しないものばかりだし、気になる求人には「20代女性が活躍!」と、暗に若い人のみを求める文言に心の中で舌打ちした。
そして、届き続ける不採用通知や、「サイレントお祈り」と呼ばれる届きもしない不採用連絡が、「あなたは必要とされていない人間です」と宣告するメッセージとして、ダイレクトに心に刺さり打ちのめされる。
このようなことが続き、私は社会に必要とされていないのだと痛感した。
日々、当たり前のように働く人達が、それだけでとてもすごいと感じるほどだった。
私個人が、企業が求める水準ではないことは重々承知しているし、何もかもきちんと卒なく上手くこなし努力してきた人からしたら、「そりゃそうだ。お前みたいな奴が採用されるわけないし贅沢言うな」と思うかもしれない。
しかし、こちらはその会社に採用され、その募集要項にある仕事をしたいのである。
どんなに熱意やアピールできうるものがあったとしても、年齢や雇用形態が分かればふるいにかけられそれで終わり(年齢や雇用形態だけのせいにするつもりはないが)。
「アラフォーのアルバイト女性」として、きっとプロフィールすら見てもらえずおしまいである。
「こんな仕事をしてみたい」「こんな会社で働きたい」といった希望を持つことも許されない存在なのだろうかと嘆いたこともある。
そして、不採用時の企業の対応によっては、ファンだったその会社がそうでなくなることも多々ある。
仕事は選ぶなとよく言うが、私はそうは思わない。
1日の大半を仕事に関する時間に費やすのだから、何歳であっても何をしていても選んで当然であると思っているし、それぞれの適性や向き不向きもあるので、一概にそう言ってしまうのは些か乱暴に感じてしまう。
また、尊敬する恩師も「奴隷じゃないんだから仕事は選べるなら選びなさい。働くためだけに生きているわけじゃないのだから」と話してくれたことがあり、今でも肝に銘じている。
その落としどころが難しいのだけれども。
結果、状況の改善によりアルバイト先での解雇は回避でき、現在もその会社で働かせてもらっている。
もちろんここは、応募者に不誠実な態度を取ったり、モノのように扱うような会社ではない。
改めて、働かせてもらえること、仕事があること、良い人達に囲まれていることに感謝し、辞められては困る存在になるべく日々の業務に取り組んでいる。
中途半端な転職活動ではあったが、改めて「今」のありがたみを知った次第である。
#アラフォーだって働きたい #仕事だからこそ選ぶ #お祈りメール
#サイレントお祈り #転職活動で嫌いになった企業は数知れず
#身の丈を知ることが必要だけど #今の会社ありがとう
転職活動をしてみて
アラフォーで転職活動に足を踏み入れた結果、自身のスペックなどを棚に上げた上で言うが、納得できないことの連続であった。
人間の価値・自分自身の価値とは
生きる事とは
「人材」とは
働きたい気持ちと現実
自分で選ぶこと・他者に選ばれること
個人の能力と資質と仕事
現代社会の矛盾とこれからの社会
どれも答えは出なかったが、これらを存分に考えさせられる機会となった。
そして、私が私自身の求める社会には必要とされていないこと、その基準に満たない不適合者であることも改めて認識させられた。
あくまで他者が設定した基準やルールであれど、そういうものだと受け入れざるを得なかった。
必要とされない世界なら、きっと私がいるべき世界ではないのだ。
そのルールやセオリーの中では生きられないし生きる必要がないのだ。
そういったことにも気づかされた。
そして何より、「どんな応募者だって人間である。あなたのように心があり、嬉しければ喜ぶし、理不尽なことがあれば怒ったりもする。あなたとって不要な存在であったとしても、モノではないのだ」
ということを声を大にして言いたいと強く思った。
言ったからといって何も変わらないだろうけれど。
きっと、世界は広い。
ふと横を向いたら、新しい世界があるかもしれない。
そこで新しい自分と出会えるかもしれない。
今見えている・さっき見えていた世界が全てではない。
その価値観や決まりだけが全てではない。
この社会でできることが少ない者として、仕事でもそれ以外でも、とにかく他者に対して誠実に生きようと改めて決意した。
これが転職活動を通して思ったこと。
#応募者だって人間 #人を大事にしない会社なんて
#せめて私は人に誠実に生きる #きっとそれが日々の仕事にもつながる
#そっちが必要としないならこっちも必要じゃない
逃げ出したのか・身を守ったのか
どういった会社に当たるかは、会社の研究やOBOGの話を聞くなどの行動、努力や勉強などの積み重ねもあるだろうが、「運」の要素も決して少なくはないと感じた。
自分は大丈夫。能力はあるしいい大学を出ているし、これだけの事をやってきた。変な会社に入るなんて凡ミスは犯さないと信じていても、その紙1枚、クリック1回、言葉ひとつによっては明日は我が身なのである。
私は、新卒で入った会社で先輩社員たちからのパワハラに遭い、4か月で退職した。
以来、転職でことごとく失敗し、もう正規雇用に浮上することはないだろう。
しかし今は、人や環境に恵まれ、困難な業務に直面しても協力し合える人達がたくさんいる。
当時を思えばそれだけで本当にありがたいし、その面だけで言えば大成功である。
では、なぜ一社目で失敗し、今の会社では成功なのか。
やはり、一番に運やタイミングが大きいのではないかと考えている。
努力や勉強、テクニックだけではどうにもできないものがあると感じている。
合わない会社は10年いたって合わないだろうし、その間に心身を壊してしまったら元も子もない。
能力や学歴などの差はあれど、もともと皆同じ人間である。
そういった時は、転職として環境を変えるのも有効な策であるし、それが逃げであるとは思わない。
自分の人生は自分のもの。
自分を守るのは自分だけなのだ。
転職活動がうまく行かなかった時は、「働くためだけに生きているわけではない」「焦って変な会社に入って早期退職するくらいなら、もうちょっと探してみよう」と視点を変えてフラットであるよう努めた。
転職は、苦しむものではなく、自身を幸せにするための手段のひとつなのだ。
まあ、エリートでもなんでもないし、キャリアとは真逆の道を突っ走る非正規の私だから知らんけど。
笑いたければ笑えばいいさ。
おわり
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