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~また巡り合った~「楠本まき」展を見る

10月某日、小雨のふる薄暗い日に、「線と言葉・楠本まきの仕事」展
を見にいきました。南北線「東大前」で下車、古めかしいレンガの塀にそって美術館へむかう道は、大都会東京の真ん中とは思えない趣がありました。目的地である弥生美術館のたたずまいにトキメキをかんじつつ堪能した「線と言葉」について雑考を語ります。


致死量とクローンドリー

まず楠本作品について、自分との関係を少し自己紹介をします。
「Kissxxx」をほぼリアタイでみていて、洋楽、日本のインディース等の音楽サブカルチャーシーンに思い切り影響を受けたそんな世代です。
楠本さんの近年のファンはおそらくビジュアル系バンドやゴスロリ系世界観に琴線がふれる方が多いかと思われます。
それでいくと、自分はリアタイではあるけれど、それらのカルチャーには疎く楠本さんの作品群をバイブルと呼ぶほどには熱心なファンではありませんでした。

しばし「盟友」と楠本さんのことをかたられる上條敦士さんの作品と同様に、アート、ポップ、音楽、インディーズ、と、当時連載されていた時代の空気に飛散していたオルタナティブシーンを抽出して具現化した漫画「To-y」「Kissxxx」は間違いなく、自分が所属するクラスターを語る作品であり、「Kissxxx」は世代的にははずすことができない一つの象徴のような漫画作品という認識ではいます。

そんな風になんとなく思っているけれど、やはり自分の中では、漫画のそこかしこにちりばめられてる「引用」探しから、この作者はこういうバンドに興味があるんだな、って、遠目にみて探りをいれる、「隣のクラスのなんとなく気になるおしゃれな子」みたいな、「勝手な親近感」感覚でみていました。

「Kissxxx」以降の作品群は、「Kissxxx」にあったほんわかした部分が払しょくされ、鋭角でスタイリッシュ、ある意味、作者本人の興味趣向がさらに抽出されたアウトプットだなと感じました。
当時、世界情勢とかでニュースになったこと、例えば「クローンドリー」という題材、こちらも自分が安易にハンドルネームに使ってたくらいに有名な存在で、「あ、楠本さんもだ照笑」、とかすかに親近感をもったりもしましたが、「致死量~」については、「え?!タイトルそれままつかってよいの???」(下記リンク参照)という、、、
一抹の不安を感じつつも、最大音量しか認められない、そんな世間の空気の中で、歯がゆさをかんじつつ、「ふーん、そうなんだ」と自分の中で、スコープを外してしまった、そんな経緯がありました。
http://www.ele-king.net/news/006842/


ジェンダーバイアスの記事を読んで

世代感は共感するけども疎遠になってしまった「楠本まき」さんについて、また巡り合うきっかけになったのが、ハフポストの記事でした。
久々にお名前を拝見して、おや?どういう内容の記事だろうと読んでみて、突然世界がかわったような気がしました。

関連サイト
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cab1d5be4b047edf95d101e

「私が認識していた楠本まき作品の世界」が変わった、という感じかもしれません。

「Kissxxx」という漫画にこめられた意図。
かめのちゃんという少女とカノンという青年の在り方に、あらためて納得しました。思い返してみれば、確かに、と。
記事で語られていた通り、主人公が競ったり、苦労をして好きな男の子の彼女の座を勝ち得る、そんな図式から外れた世界だったと。

読者たる自分もポップカルチャーの上澄みだけを感じいってるだけで、当時の漫画雑誌での最前線で作品を制作していた楠本さんのジレンマほどに、
「少女まんが」という雑誌ジャンルの存在が表す何たるかをちっとも意識せずに、流し読んでいたこと。
そのことを思い知らされ打ちのめされつつも、足元すべらせすっころんて開き直ったような爽快感がありました。

恥じて落ち込むよりも、それを気づけた事の嬉しさの方が大きかったのでした。

とはいえリアタイ当時は、サブカルチャーの空気感をかんじとっていただけだったといっても過言ではない、というかその程度でしかみていなかったと思いますが、どこかで、好きな音楽やサブカルチャーを好きなアンテナもった同士がなんとなくつるんでいる、その空気感に自分もその一員であるような憧憬をかんじて読んでいた、その居心地のよさってものをこの作品に記憶していたなと、気づいたりしました。

好きな音楽や感性を共感できる、けれど世間大衆からはマイノリティであろう趣向?をなんとなく分かち合える仲間をみつけて、、、、
リアタイ当時に読んでいた憧憬をいつしか自分も築いて、そして歳月へて、あらためてハフポストの記事を読んで、
やっぱり「隣のクラスの楠本さん、面白い。好きだわ」と俄然共感好感がわいたのでした。

「赤白つるばみ、裏/火星は錆でできていて赤いのだ」を読んで


弥生美術館で

そうして、10月某日、「線と言葉・楠本まきの仕事」展をみにいきました。
はじめて訪れた弥生美術館の不思議な構造、隣接する竹久夢二館ふくめて、この展示にふさわしい場所だったなと思いました。
点数はさほど多くはありませんが、楠本さんの作品がどういうものであるか、それを体現まとめられていて、心地の良い空間でした。
3階のスライドコーナーはスライドの機械音もふくめたインスタレーションのようでした。機械音好きには、とても好きな空間でした。
展示されている書籍を当たり前にみていつつも、思えば、漫画家作者自身の意向で集大成たる書籍、「本」という物体をデザインをすること、
要望を通すこと、それをしてきた漫画作家っていままでいただろうか?と。
そのことに気づかされました。漫画作品を描く領域、その意思は、漫画原稿だけで完結ではないのだと。

読まれてこそだし、手に取ってこそだし、
その手に取る読み手が、質感、色、線、細部にいたるまで、作者の意図、思いを感じてもらうために
作者が全身全霊のせて届けること、
表現の領域はだれにもきめられない。
それを決めるのは、自分。

そういっているような、「楠本まき」さんという作家さんの在り方にあらためて感動しました。

さてさて、そこでハフポストでしった近作の「赤白つるばみ、裏/火星は錆でできていて赤いのだ」
美術館で全巻あったのでそこで買えばよかったのに、持ち帰り重いし、と途中の最寄駅で買えばいいかと、最寄駅の本屋いったら無い!!
驚くほどにポピュリズムな、どこいっても同じものしかない「書棚」に「日本!オワタ!!」と脳内で叫んで、冷静になったところで
とりあえずアマゾンキンドルでぽちりました。本体はまた弥生美術館で揃えます!


撮影許可有範囲

むさぼるように読みました。
久々にずっしりと感動が押し寄せました。

語り口は「Kissxxx」のように、ふわふわとやわらかく、ところどころに急転直下する事態と事実がパズルのピースのようにあわさりみえてくる
世界は、「Kissxxx」のときのように、ひそかにこの世の中のヒビ、亀裂をみせつけ露にする
でも、解決も答えも用意しない。提示して、あるがままを見せて、経過していく
その読後感が清々しくなんどもよみかえしたくなる、そんな作品でした。

個人的には、「Kissxxx」よりも「赤白つるばみ」好きかもしれません。
好きです。

と、以上、とりとめない雑文、ここまで一読ありがとうございました。

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