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23章 男やもめに花を咲かそう!(前編)
K社の事務所に来客が四人。
半年前に「新わくわく片付け講座」を受講した御堂翔子と、夫の健太郎。
御堂夫婦と「インターネット茶屋」を経営している神童実と田嶋雄二だった。
(15章「人生の棚卸」に登場)
女性の訪問者が多い応接コーナーに三人の男性が座ると、急に部屋が狭くなったように感じる。
条件反射のように名刺を差し出した男たちを、翔子が苦笑しながら紹介した。
「今日は、付添で来ました。三人で行けばいいって言ったのですが、どうしても一緒に来いというもので…小学生じゃあるまいしね」
三人の名刺をテーブルに並べて、蔵子は改まった。
「ええと、『インターネット茶屋』はうまくいっているということで、翔子さんからお聞きしていましたけど、お揃いでお越しいただいたのはどういうご用件でしょうか」
御堂健太郎が、おほんと咳払いをしてからおずおずと言った。
「実は、男性向けの片付け講座開催のお願いと、もうひとつの企画にお知恵を拝借できないかと思いまして」
「男性向けの片付け講座ですか。また、どうして?」
野球帽を手にしている神童が、それはわたしが説明しますと続けた。
「正倉院さん、いえ、蔵子さんでしたね。女性を名前でお呼びするのは何だか照れ臭くて…そんな話はさておきまして、実はわたしたちの共通の友人の鴨田のことですが」
鴨田敬三は長年務めた繊維会社を定年退職し、現在無職である。
妻を五年前に亡くし、娘は北海道へ嫁に行き、現在一人暮らしだ。
暇なもので、毎日「インターネット茶屋」に来て一日中パソコンに向かっている。
家にはパソコンがあるのだが、なぜそうなったのかといえば、帰りたくないからである。
妻が亡くなってから掃除をしたことがなく、妻の遺品の整理もしていない、というより、辛くてできないのである。そして自らがゴミ屋敷と呼ぶほどになってしまった。
そんな自分が情けなく、女々しい気がして、外を出歩いている。
弁当を買いに行った帰りに、偶然、「インターネット茶屋」をのぞき、二十年ぶりの再会となった。
「他にも、似たような人がいまして、『男やもめにウジが湧く』の言葉通り、カビやキノコの生えた家に住んでいるようです。しかし、こういう輩に限って、片意地で人に助けてもらうのを拒むもので…我々も手が出せない状態なのです」
蔵子が男性向きの片付け講座を開かなかったのは、女性と男性では片づけの考え方も、状況も違うからだった。神童の話のように、男性の場合は社会からも孤立している場合が多く、また、このような講座に参加しようという発想も無かった。
友人や家族からの援助さえ拒む人を無理やり引っ張りだすことはできないと思っていたからである。
「少し、考えさせてもらえませんか」
蔵子は気軽に引き受けられることではないと思った。
神童は頷いて、ではもう一つと次の相談に移った。
同じように、ひとり暮らしの男性向けの料理教室を兼ねた食事会を開きたいとのことだった。
「男性向けの料理教室なら、最近は色々あると思いますが」
蔵子は首をかしげた。
田嶋がじれたように付け加えた。
「いや、料理が中心ではなくて、人と話をしながら食べることが目的なのです。ついでに簡単な料理も覚えられれば一石二鳥」
「つまり、コミュニケーションの場ですか」
三人はそうですそうですと、声を合わせた。
「鴨田もそうですが、朝昼はパンやカップラーメンで、夜はスーパーで弁当や総菜を買って帰るようなのですが…」
「実は、今の店の隣の酒屋がコロナの影響で廃業の危機でして…」
蔵子の驚いた顔に、御堂健太郎がこのご時世でして、飲食店にビールや酒が売れないそうですと答えた。
椅子が足りなくて、隅で折りたたみ椅子に座っているまろみが素っ頓狂な声をあげた。
「お酒もビールも売れなくて、酒屋さんは何を売っているのですか」
健太郎がこちらの話の責任者らしい。
「それが、都会で出回っていない小さな酒蔵のうまい焼酎だそうです。飲食店は売れないので、個人の家呑み用だそうです。小さな酒蔵の焼酎は量販店やスーパーでは売ってないそうです」
そういえば、昔の御用聞きのように、酒屋がビールや醤油を配達することも無くなった。
今はスーパーや量販店、果てはコンビニで何もかも買えるのである。
「それで、隣の店は焼酎だけ売るカウンターを残して、あとは食堂というか、料理教室というか、そういうものにならないかと思ってご相談にうかがった次第でして」
翔子がしびれを切らした。
「ほんとに、じれったいわね。蔵子さん、確か、お友達に料理研究家がいるとまろみさんからうかがっていましたので、その方に料理の指導をお願いできないかということと、お店の改装を考えて欲しいということです」
「ご紹介はしますが、引き受けてもらえるかどうか」
蔵子は美知が世界の料理や介護職の料理教室を開きたいと言っていたのを思い出した。
「そういえば、まろみちゃんはミッチー先輩の料理教室の生徒になるって言ってなかった?」
「はい、そうですが、どうも企画倒れのようで…お料理はうまいのですが…」
まろみは残念そうだ。
「それならいけるかもね」蔵子はニッと笑った。
健太郎が身を乗り出して、「やもめ食堂」というのはどうでしょうと提案した。
それはストレートすぎるとか、似たような名前の映画があったとか、口々に好き勝手なことを言い出した。
蔵子が立ちあがって一同を見まわした。
「わかりました、では問題を整理しましょう。ちょっと待ってくださいね」
まろみも手伝って事務所の隅からキャスター付きのホワイトボードを引っ張り出した。
「この企画は料理教室ですか、それとも食堂ですか?」
三人の男たちは顔を見合わせた。
食堂だよな、そうそう、食堂だけど、料理もする。
蔵子はホワイトボードに大きく○○食堂と書いた。
「それでは、これは『男やもめプロジェクト』ですね
蔵子の言葉に、男たちは背筋をすっと伸ばした。
長年のサラリーマン時代の経験で、『プロジェクト』という言葉に反応するらしい。
これは良い兆候だ。
「ではまず、なぜこのプロジェクトが必要なのでしょう」
神童が手を挙げた。
どうやら『プロジェクト』から、昔の会議の習慣が蘇ったらしい。
「鴨田をはじめとした、ひとり暮らしの男性に活気を取り戻して欲しいからです」
田嶋がそうだよな、ほんと、しょぼくれちゃってとつぶやいた。
翔子が手を挙げた。
「それに、食生活に問題があります。カップラーメンやお弁当では野菜が足りませんよ。
今は良くても、食生活の問題は三年後、五年後に体の異変に現れると思います」
「刺激のない生活を送っていると、早くボケるって聞きました」
まろみの何気ないひとことに一同は黙り込んだ。
「それでは、活気を取り戻すにはどうすればよいでしょうか」
そりゃあ、生きがいとか世の中の役に立つことですよと、自身の経験から翔子は答えた。
「ロマンスがあれば、いっぺんに元気になりますよ」
まろみの願望に、健太郎が思わず、それもいいなあと呟いたので翔子ににらまれた。
蔵子は苦笑して、ロマンスに年齢は関係ないですからねと、続けた。
「このプロジェクトは皆さんが運営なさるのですか、それとも酒屋さんが?」
「我々です。酒屋のご夫婦に家賃を払ってスペースを借りる形にできればと思っていますが」
蔵子はホワイトボードに検討する点を挙げた。
集客、宣伝方法、利用料、会員制? 日程、時間帯、回数、運営スタッフ、組織、男性限定? 予算、設備投資、収益性…。
男たちは手帳にメモを始めた。
「このあたりのことは具体的に詰めないといけませんね」と健太郎が頭をかいた。
「そうですねえ、『インターネット茶屋』と同じように、事業計画が必要かもしれません」
カフェや雑貨の店を開きたいという女性の多くは夢を語るのに忙しく「事業計画」というと黙り込むが、長年会社で予算や売り上げの計画を立ててきた男性には、抵抗がないようだ。
四人が宿題を抱えて帰った後、蔵子もまろみもソファーにへたり込んだ。
「男やもめお助け隊みたいですね」
まろみのつぶやきに蔵子は苦笑した。
「お友達の鴨田さんや、元気のない男性陣にハッパをかけたいのでしょう」
「どうしておひとりさまの女性は元気で、男性は元気がないのでしょうか」
「よくわからないけど、男性は仕事中心で、ご近所とか、友達とか、会社以外の付き合いがないからかもしれないし…女性より根がシャイなのかもしれない」
「シャイ?」まろみは首をかしげた。
「内気だとか、恥ずかしがりってことかな」
「でも、会社でバリバリ仕事をしてきた人たちでしょう」
「会社で部長だとかなんだとか、肩書を演じるのはできるけど、一人の人間としてどういう役をすればいいのかわからないのかも」
「そんなものですかねえ」
「本当のところは本人にしかわからないでしょう。いや、本人もわからないから戸惑っているのかも」
「ところで、翔子さんのお土産のお菓子をお出しするのを忘れていました」
「まあ、それを早く言ってよね」
まろみが白い箱を開けると、オレンジの香りがふわっと広がった。
「おいしそう。紅茶を入れますね」
オレンジの酸味と程よい甘さのふんわりしたスフレは極上だった。
「これ、翔子さんの手作りみたいですね」
フォークを入れると柔らかい生地がきれいに切れる。
「きっと『インターネット茶屋』で出しているのお菓子でしょう。さすがだわね」
「ほんと、翔子さんは貫禄が出てきましたね」
お菓子は食べるもので、作ることなど考えもしない二人は感心しながらオレンジスフレを平らげた。
事務所のドアが開き、「こんちはー」と大きな声がした。
うわっ、ミッチー先輩だ。蔵子はまろみに目を向けた。
「いや、あの、美知さんから近くに来ているってメールをもらったので、事務所に来ませんかと返信…して」
まろみは肩をすくめた。
「それなら、ちょうどいいわね、やもめプロジェクトの話をしてみましょう」
ソファーに座った美知は、何を食べたの? と聞いた。
「ほんと、先輩の鼻はごまかせませんね。オレンジスフレです。まろみちゃん、一切れお持ちして」
蔵子の言葉を待つまでもなく、まろみはお茶の用意を始めていた。
美知は蔵子の学生時代の部活の先輩で、料理研究家である。
(14章、レシピが見つからない!? 登場)
料理教室の話をすると、美知は興奮し、大きな体を揺らした。
「いいーじゃなぁい。ところで、男やもめって幾つぐらい?」
「そうですねえ、五十代から六十代というところでしょうか」
蔵子は実際より十歳ほどサバをよんだ。
美知はキャットフードを前にした猫のように喉を鳴らした。
「いえ、まだ、決まったわけではないのですが、こういう企画があるということでご相談を…」
「蔵子に頼まれたら、いやとは言えないでしょ」
嘘ばっかりと思いながら、蔵子はそうですねと答えた。
お待たせしましたと、まろみがオレンジスフレを持って現れた。
美知の腹がキューと鳴った。スフレは、三口で片付いた。
「スフレって、簡単そうで、うまく膨らますのにこつがいるのよね。これ手作りでしょ。
二人が作ったとは思わないけど、レシピくれない?」
蔵子は聞こえないふりをした。
「ところで先輩、『ミッチーのぐるぐるクッキング』はどうなりました?」
『ミッチーのぐるぐるクッキング』とは、美知が五年前から企画している料理ブログとYouTubeである。
美知の頭の中では、料理ブログを書き、YouTubeでファンができ、有名になり、料理本の出版、テレビ出演とサクセスストーリーが出来上がっているが、未だに何も実現していない。
「それがさ、料理の写真がうまく撮れないの。案外難しいのねぇ。パスタは伸びたきし麺みたいに見えるし、シチューはどかっと固まってるみたいで…」
まろみがぷっと吹き出した。
デジカメの時代とはいえ、料理の写真を撮るのは難しい。
料理専門の写真家がいるくらいで、そのあたりをわかっていないところが美知らしい。YouTubeはもっと遠いようだ。
「そうそう、介護食の料理教室はどうなりました」
それがねと、ますます美知の歯切れが悪くなった。
「教室のチラシを作って募集したけど、介護をしている人は忙しくて料理教室に来られないみたいなの」
なるほどと蔵子はうなずいた。
「だから、主婦向けのお菓子の教室にしようかと…蔵子はどう思う?」
難しいですねと蔵子は答えた。
内心、今の時代は有名パティシエでもない限り、人は集まらないだろうと思ったからだ。
そうよね、わたしもそう思うと、美知は珍しく弱気だった。
「だから、男やもめの料理教室で頑張ればいいじゃないですか」
まろみが美知を呼んだのはこういうことだったのかと蔵子は納得した。
「わかったわ、蔵子。わたしの料理教室がうまくいかなかったのは、このためだったのよ」
美知は立ち上がって、両手を天へ突き出した。
はあ? また何を言い出すやら、なんでも自分の都合の良いように考える性格は変わらないものだと蔵子は呆れ、美知を見上げた。
「神様が、わたしに使命を与えられたのよ。男やもめを救いなさいって。だから、ガンバル」
まろみはにやにやと高みの見物だ。
「はいそうですか。使命ですか、なるほど。本決まりになったらお知らせしますので、それまでお待ちください」
「なに言ってるの。そうと決まったら、レシピの準備をしなくちゃ、忙しくなるわねぇ。
それで、さっきのスフレはもう残ってないの?」
もう、ありませんときっぱり答えた蔵子に、あ、そう、それじゃあ帰るわと、美知は大きなバッグを肩にかけて上機嫌で帰って行った。
美知さんってほんと乗りやすいのだからと、まろみはケラケラ笑っている。
「責任とってもらうからね」
蔵子の言葉にまろみは震えあがった。
「いや、その、なんとかなるんじゃあないですか。ははは」
こうして、男やもめ料理教室の話は進んだ。
「インターネット茶屋」の四人は精力的に活動を始めた。
翔子は商店街の八百屋、魚屋、豆腐屋、乾物屋などを廻り、食材の仕入れなどを通しての協賛を依頼した。
豆腐屋の店主が商店街の会長で、それならいっそ、町内のコミュニケーションの場にしてはどうかということになった。
男やもめだけでなく、高齢者や子どもの料理教室など、皆で作って、皆で食べようとか、地域の食材にも目を向けたらよいのでないか。
おばんざいや漬物をおばあちゃんに習いたい、年末には餅つきはどうかなどと、アイデアはどんどん広がった。
翔子たちはこんなにトントン拍子に進んで大丈夫かと不安になった。
しかし商店街の店主たちも、大型スーパーに客を奪われ、何とかしなければと思いつつも、手をこまねいている状態だったから渡りに船だったようだ。
蔵子やまろみも企画に参加し、「男やもめプロジェクト」は「青空商店街プロジェクト」に変貌していった。
三ヶ月後、翔子がK社を訪れた。
「蔵子さん、この度はいろいろとお世話になりまして」
「いえいえ、これからどうなるか楽しみにしています」
まろみがお茶の用意をして蔵子の隣に腰をおろした。
「これ、翔子さんのお持たせで~す。商店街で企画した青空饅頭だそうです」
白い牛皮の饅頭に、「青空」という焼き印が押されていた。
つまりふつうの饅頭である。
翔子が、いろいろがんばってるのですが、と饅頭を見て苦笑した。
「料理教室はどうなりましたか」
「男やもめという名前は人聞きが悪いということで、『男の料理研究会』になりました」
「なるほど、それで、人は集まりそうですか」
蔵子の問いに翔子は力強く答えた。
「それが、奥さんを介護しておられる男性とか、一人暮らしの大学生の応募がありまして、満席になりました」
「それは良かった。ところで、ミッチー先輩は好き勝手なことを言ってませんか?」
蔵子は一番気になっていたことを尋ねた。
とんでもないと、翔子は手を振って、とても熱心で皆喜んでいますと答えた。
まろみもほっとしたようだ。
「料理教室のオープンには見に来てくださいね」
二人はもちろんと声を揃えた。
朝十時から「男の料理研究会」が始まった。
四つの調理台に各四人ずつ計十六人が緊張した面持ちで座っている。
年齢は十八歳から七十二歳まで。エプロンも借りものらしい花柄から、黒い腰に巻くタイプの物までさまざまで、頭も白い三角巾から赤いバンダナ、風呂敷ではないかと思われる鳳凰柄のものまであり、カラフルだった。
講師の美知はピンクの割烹着で、頭に同じピンクの三角巾。
部屋の隅で翔子たちと折りたたみ椅子に座っている蔵子とまろみは同じことを考えていた。
給食のおばさんみたい! 割烹着と三角巾のピンクはカラーコーディネートなのか?
美知が笑顔で献立の説明を始めた。
「今日は、塩サバで焼き魚、ごぼうと人参のピリ辛きんぴらと、ほうれんそうの胡麻よごしに豆腐とわかめの味噌汁を作ります」
美知は商店街の役員の店の品物で献立を考えたようだ。なかなかやるじゃん!
「鴨田さんはどちらですか?」
蔵子はこの教室を開くきっかけになった、男やもめのことを訊いた。
翔子は下を向いて、クククと笑いながら、頭に紫の風呂敷とささやいた。
鴨田は一番前に座り、熱心にメモを取っていた。
手順の説明のあと、グループで簡単な自己紹介をし、分担を決めた。
魚係、きんぴら係、ごまよごし係、味噌汁係である。
魚係はサバの切り身を焼く、きんぴら係はピーラーでササガキを作る。
包丁を使うと時間がかかるので、便利な調理器具はどんどん使うことになっている。
手が空いたら、互いに手伝いながら、調理は進んでいく。
ほうれんそうをゆですぎたとか、サバが真黒になったとか、塩辛いかなあと味噌汁の味見をしたり、わいわいと楽しそうだ。
美知は各グループを廻り、丁寧にアドバイスをして、赤い頬が輝いて見える。
調理が終わり、別室の食堂へ料理を運んだ。
四人が六人分の料理を作るので、二人分ずつ、計八人分の料理が余分に作られた。
この八人分は予約制で、毎回、希望者が試食に参加できるようになっている。
今回は商店街の役員が顔をそろえた。
食堂でがやがやと食事会が始まり、ご飯のお代りをする者、これならうちでも作れると胸を張る者、次は刺身に挑戦したいと言い出す者まで現れた。
まろみは、わたしも試食がしたかったと恨めしそうだ。
そこへ、翔子がお二人の分はこちらにお弁当が用意してありますからと声をかけた。
隣の「インターネット茶屋」喫茶コーナーで蔵子とまろみは弁当を広げた。
「これ、料理教室と同じじゃないですか」
まろみの嬉しそうな声に、お茶を持ってきた翔子がうなずいた。
「美知さんが、蔵子さんや私たちにも同じメニューをごちそうしたいと、作って来てくださったんですよ」
美知さん、やさしい! とまろみは箸を持った。
蔵子も、美知の気使いがうれしかった。
食事を終えた三人のところへ、翔子の夫の健太郎がコーヒーを運んできた。
「蔵子さん、これ、次回の料理教室のチラシです」
献立は、むかご飯に豆腐のハンバーグ、鶏とかぼちゃの煮物に茶碗蒸しだった。
まろみが、えーっとのけぞって、翔子と健太郎を見た。
二人のけげんそうな顔に、まろみはだってぇと、むかご飯を指差した。
「むかごめしがどうかしたの?」蔵子の問いに、まろみはもう一度チラシを見た。
「ひゃー、ムカデではないのですか」
まろみの勘違いに三人はソファーが揺れるほど笑った。
腹をおさえながら、翔子が説明した。
“むかご”はヤマイモのつるの実のようなもので、大きさはパチンコ玉くらい。
茶色い実でイモのほくっとした旨みがあるそうだ。これは商店街の八百屋のお勧めの食材だった。
「わたしは、ムカデが白いごはんの中に足を伸ばしてウヨウヨいるのを想像してぞっとしました」
三人はまろみの描写に、あー、気持ち悪いと身震いした。
「ところで、今日始まったばかりですが、料理教室の評判はいかがですか」
蔵子の問いに、健太郎がうれしそうに答えた。
「問い合わせが多くて、うれしい悲鳴をあげてます」
それがね、蔵子さんと、翔子は続けた。
「肉屋の奥さんのお陰で、次回の試食の申し込みが満席になりました」
商店街で“うまい”と評判のコロッケを揚げている房子が、毎回コロッケを二つ買う女性に声をかけたのだそうだ。
まろみの頭の上に、大きな? が浮かんでいた。
「つまり、ひとり暮らしの熟年女性に声をかけたのよ」
翔子の説明では不十分なようだ。
「どうしてひとり暮らしってわかるのですか」
肉屋はコロッケを買いに来る人の家族構成まですべて知っているのか、それとも超能力か、まろみには納得がいかなかった。
「コロッケ二つでわかるのよ」
「なんでコロッケ二つですか、一つならひとり暮らしだってわかりますけど…」
「家族がいれば、晩のおかずに二つではとても足りないでしょう」
若いまろみちゃんにはわからないだろうけど、と翔子は続けた。
「わたしたちの世代はね、肉屋のコロッケを一つでは買えないの。最低でも二つ買わないとお店にわるいというか、みっともないというか…そんな風に育てられたのよ」
まろみは腕を組んで、考え込んだ。
「そういえば、うちの母は、手紙を書くとき、一枚しか書いてないのに、白い紙をもう一枚つけてくるのです。それですか」
「わたしも母から、一枚ものの紙は縁起が悪いとか、先方に失礼だとか言われて育ったから、手紙は二枚以上にしているわ。それも関係あるのかしらね」
まろみと翔子の会話をよそに、蔵子はひとり暮らしの女性を試食会に参加してもらうアイデアは表彰状ものだと思った。
男性もそうだが、ひとり暮らしをしていると、人とたわいのない会話をしながら楽しく食事をする機会が少ない。また、女性の場合は、ひとりで店に入って食事をすることも気後れして難しい。(最近の若い女性は変わってきたようだが…)
女性の同席は男性たちにも良い影響を及ぼすだろう。
男ばかりの食事より、にぎやかになるだろうし、料理を作る励みにもなるかもしれない。
女性たちにとっても良い機会である。
そのうえ、いろいろな“化学反応”が起きれば、万々歳である。
「蔵子さん、なにをひとりでニヤニヤしてるのですか」
まろみの問いに、蔵子は一石三鳥と答えた。
「男の料理研究会」は、五回、十回と回を重ね、地元の新聞社の取材を受けたことが元で、あちこちから“商店街起こし”の視察団まで来るようになった。
蔵子は事務所で白い紙に鉛筆で「男性の片付け講座」と書いて??? と付け加えた。
翔子たちに企画を考えると約束したものの、そのままになっていた。
そこへ「インターネット茶屋」の御堂健太郎が荒い息をして飛び込んできた。
「蔵子さん、鴨田が、なんだかえらいことになったので、すぐ来て欲しいとメールが来まして」
「なにがあったんですか」
「それが、よくわからなくて、とにかく来てくれの一点張りです」
背中で、あらら、本当にやっちゃったのかしら、という声がして蔵子は振り向いた。
「それ、どういうこと?」
目を吊り上げた蔵子に、まろみは後ずさりをした。
「いや、その、美知さんと、試食会に参加した女性たちが、なんとかの会を作ったそうで、我々は男やもめにウジが湧くのを黙って見てはいられないとか…言って…ました」
「なんで、そのことを言ってくれなかったのよ~」
「冗談だと思ったから、まさか、ほんとに突撃するとは…」
「突撃って、まさか」
壁まで追い詰められたまろみの声は消え入りそうだ。
「はい、その、まさかだと思います」
健太郎と蔵子が鴨田の家に駆けつけると、玄関の上がり框に鴨田が頭を抱えて座っていた。
紺色のスエットの上下に、寝ぐせのついた髪をみると、寝ているところをたたき起こされたらしい。
二階のベランダからは布団を叩く音がする。履き物の数からみれば、女性は四人のようだ。
健太郎がしゃがんで鴨田の肩をゆすった。
「おい、鴨田、大丈夫か」
「揺するなよ。大丈夫も何も…俺は二日酔いだから」
二階から大音量の「巨人の星」のテーマが流れてくる。
蔵子は迷わず、廊下の突き当たりの階段を上った。
後編へ続く