22章 これでいいのか委員会
「まろみちゃん、明日からの講座の資料は用意できた?」
「はい、大丈夫です。今回の参加者にもなかなかユニークな人がおられるようです」
まろみがにやりとした。
「なによ、その笑いは、気持ち悪いわねえ」
蔵子はぶるぶるっと肩をすくめ、いやな予感がするとつぶやいた。
「お掃除ロボットを使いたいから、講座に参加される方があります。さて、なぜでしょう」
ううむ、と蔵子は口をつぐんだ。
「ヒント、お掃除ロボットは、お掃除はしてくれますが、片づけはしてくれません」
わかったと蔵子は手を打った。
「お掃除するには床にものがあるとダメなのよ」
「ピンポ~ン。この方はお掃除が大嫌いだそうです。そこで、お掃除ロボットを買ったのですが、動けないそうです」
「なるほど、お掃除ロボットにお片付けサービスをつけたら売れるかもね」
「さすが、経営者。言うことが違いますね。しかし、このロボットすごいみたいですよ。
留守の間にお掃除して、ひとりで充電もするそうです」
「うちにも欲しくなるわね。講座でお掃除ロボットを売りたいと言われると困るけど、そうでなければ問題はないし…他には?」
「もう一人面白い人がいます。『これでいいのか委員会』を作りたいそうです」
「えっ、何の委員会?」
「それがよくわからないのです」
「よくわからないって?」
まろみは申込書を確認した。
「これでいいのか委員会を作りたいので、としか書いてありません」
「何がこれでいいのかが問題のようね」
「明日が楽しみですねえ」
まろみのうれしそうな顔に、蔵子はためいきをついた。
翌日、「新わくわく片付け講座」は蔵子のあいさつの後、いつものように参加者の自己紹介になった。
お掃除ロボットを使いたいという主婦の話に、利用者の体験談も飛び出し、ネットショップか量販店か、どこで買えば安いかという質問にまで及んだ。
部屋の隅でロボットの話を聞きながら、蔵子とまろみはやっぱりと顔を見合わせた。
ロボットで盛り上がったところで、なごやかに三人の自己紹介が終わり、おもむろに立ち上がったのが権藤鈴子だった。
「権藤鈴子です。鈴子のすずで、友人からはリンちゃんと呼ばれています。ですから、皆さんもリンちゃんと呼んでください」
まろみが肘で蔵子をつついて、あの人ですよ、何とか委員会は、とささやいた。
「わたしは二年前まで中学で英語を教えていました。退職して、半年前にイギリスのチュートンへ旅をして、念願だった『ジェーン・オースティン記念館』に行きました。実は大学の卒論のテーマがジェーン・オースティンの『エマ』だったからです。
そして、その後、ジェーンの足跡をたどる旅で、一ヶ月ほど友人の知り合いの家にホームステイをさせていただきました。そこでイギリス人の暮らしと今の日本人の暮らしの違いにカルチャーショックを受けました
帰国して、自分がこのままでいいのかと思うと居てもたってもいられなくなりまして、日本人への問題提起というと大げさですが、これでいいのかと思うことをいろいろ考える研究会を作ろうと思いました。
会員は今のところわたし一人ですが、賛同してくださる方は是非会員になってください」
ジェーンなんとかや、訳のわからない事を言って、あの人は勧誘のために来たのかしらという周囲の疑惑の目に応えて、鈴子は続けた。
「わたしがこれでいいのかと思うことの一つに、物を持ちすぎるということがあります。
イギリス人は物を大切にします。毎年洋服を買い替えるなどということはなく、穴の開いたセーターでも平気です。家電製品も壊れるまで大切に使います。このようなシンプルな暮らしをわたしもしたいと思ったのですが、悲しいかな、片付け方がわからない。そこでこの講座に参加しました。よろしくお願いします。
あ、研究会の名前は“これでいいのか委員会”です。詳しいことは講座の後に、個人的にお尋ねください」
「さすがに元学校の先生、話をするのは上手だけど、委員会はいいんかい?」
まろみが蔵子を見た。
冗談言ってる場合じゃないでしょうと、蔵子がじろりとにらんだので、まろみは肩をすくめた。
「政治や宗教の勧誘とか、販売行為はお断りしているけど…とにかく後でお話しを聞きましょう」
講座が終わって、帰ろうとする鈴子を蔵子が呼び止めた。
「あの、リンさん、少しお話したいのですが」
「はい、『これでいいのか委員会』のことですね、すいません、調子に乗ってしゃべりすぎました。自分の想いを伝えたくて、うずうずしていたものですから」
そこに、受講者の三人が鈴子の話を聞きたいと残った。
六人がテーブルを囲んで座り、鈴子が話を始めた。
「それでは『これでいいのか委員会』について、お話しします。別に難しいことを考えている訳ではないのです。自己紹介でお話ししたように、イギリス人の暮らしぶりを見て、いろいろ考えたもので、それを誰かに話したかったのです。
しかしわたしの同居人は猫二匹だけで、話し相手もいないし、わたしと同じような考え方をしている方があれば、お友達になれればいいなと思ったのです」
鈴子はペットボトルの水を一口飲んで、続けた。
「二〇代に結婚しましたが、五年たっても子供ができなくて、昔の“嫁して三、いえ、五年、子無きは去れ”です。その後はひとりで教師をしながら生きてきました。友人もいますが、孫のいないわたしが、他人の孫の話を聞いてもちっとも面白くない。友人の幸せが羨ましいとか、妬ましいのではなくて、興味がないのです。嫁や、親の介護の愚痴はもっと聞きたくありません。ただ、自分のこれからの生き方とか、暮らしについて話し合える友人が欲しかったのです」
テーブルの上に手を組んで聞いていた、間野光代がうなずいて返した。
「リンさんのお気持ち、よくわかります。わたしも、夫はいますが子どもがいないので、子どもや孫の話にはうんざりしてきました。たまになら良いのですが、話題がそれしかないと、話をしていてもつまらなくて。あと、タレントの話とか…それが悪いとは言いませんが、わたしにはどうでもよいことなので。それより、年金や環境の問題とか、どういう風に年を取っていくのかについて興味があるのですが…」
おほんと咳払いをした後、津母川ゆめが話し始めた。
「え~、わたしは、孫の写真を携帯の待ち受け画面にしている“ババ馬鹿”ですけどっ」
二つ折りの携帯電話を開いて、どうだ、とばかりに孫の写真をアピールした。
いや、あの、そんな、と恐縮して鈴子と光代が口ごもっていると、ゆめがにっこりした。
「わたしも自分の孫はかわいいけど、よその孫のことは知りませんよ。それに近頃の母親ときたら…これも、余計なお世話ね。とにかく、わたしがこれでいいのかと思うのは、日本人にもったいないという気持ちがなくなったこと。買う時はポイポイ買って、捨てるのもポイポイでしょ。片付けるというのは、単に捨てればいいということではないでしょう。わたしはこの講座に参加しましたけど、ただ、捨てることだけを馬鹿のひとつ覚えのように言うのなら、文句を言うつもりですよ」
最後は蔵子へ向けての言葉だった。
それはと言いかけた蔵子を室田郁子が遮った。どうやら、皆しゃべりたくてうずうずしていたようだ。
「わたしは三〇代のころ、銀行勤めの夫の転勤で三年間イギリスに暮らしました。当時のわたしは、イギリス人はケチで頑固だとしか思わなかったのですが、帰国して時がたつにつれて、その良さがわかってきたような気がします。そういえば、一番の思い出はキューカンバサンドイッチでした」
郁子は、思い出したようにフフフと笑った。
「あれはわたしも驚きました」と鈴子が相槌を打つと、ゆめが、イギリス人は九官鳥を食べるの? と聞いた。
まろみも黙っていられず、七面鳥は知ってましたけど九官鳥まで食べるとは、信じられない!と言ったので、テーブルは爆笑の渦に包まれた。
何がおかしいのですかとまろみがむっとすると、ゆめもそうですよ、失礼なと笑い転げている四人をにらんだ。
鈴子が笑いをこらえて説明した。
「キュウカンバーは、九官鳥じゃあなくて、キュウリです」
キュウリ? と、ゆめとまろみは同時に言った。
「それを早く言ってください、ねえ、ゆめさん」
まろみは仲間がいることで、強気だった。
「そうですよ。ほんとに…でも、キュウリのサンドイッチねえ」
郁子はイギリスでの体験を披露した。
隣人に食事に誘われ、イギリスの家庭料理がふるまわれるのかと胸躍らせ、夫婦でドレスアップをして、隣家のドアをノックした。
そこで出て来たのは、パンにバターを塗って、きゅうりの薄切りをはさんだサンドイッチだけだった。
「どうしてきゅうりのサンドイッチだけなの?」と、ゆめが不思議そうに訊いた。
「一番のごちそうは会話で、料理は二の次です」
「それはケチとも言えるわね」
どんどん話が横道にそれていくのを感じた蔵子が発言した。
「鈴子さんのお話では、『これでいいのか委員会』は、まだ構想の段階ではないかと思いますが…」
ええ、そうですと鈴子が申し訳なさそうに答えた。
「そんなことないわよ。これで四人の会員ができたじゃない。活動はこれからよ」
ゆめがバンと両手でテーブルを押さえて立ち上がった。
わたしも何かしたいと思っていますと、郁子が立ち上がり、続いてわたしもと、光代がゆっくり立ち上がった。
茫然としている鈴子を両脇から引っ張り上げて立たせると、ゆめが音頭をとった。
「それでは『これでいいのか委員会』発足を祝って、一本締めでお手を拝借」
四人が意気揚々と帰った後、椅子を片付けながら、あれでよかったのでしょうかとまろみが訊いた。
「さあ、でも、わたしたちがあれこれ言う筋合いのことではないみたい」
そうですねと、まろみは最後の椅子を片づけた。
「これでいいのか委員会」は秘かに進行していたようで、二ヶ月後に四人がK社の事務所を訪れた。
お持たせのアップルパイにダージリンの紅茶を添えて出すと、皆、顔がほころんだ。
年長の津母川ゆめが、姿勢を正し、それではと話を始めた。
「本日、こちらにお伺いしたのはご相談がありまして…」
蔵子とまろみは顔を見合わせた。
「四人でいろいろ考えた結果、わたしたちは物を大切にしたいと思っているので、リサイクルをしたいのです。だから業者の方をご紹介していただけないかと」
リサイクルですか、と黙り込んだ蔵子に光代が、答えた。
「普通のリサイクルではないのです。いらないから捨てるではなくて、使わないけれど愛着があって捨てられないようなものを、使ってくれる人にお渡しするのです」
システムとしては、モノを出す方が登録料として千円出して登録する。
受け取る方は、こういうものが欲しいという登録をしておく。これは無料である。
登録者の中でマッチングしそうなものを委員会がとりもつ。
登録はインターネット上でできるようにし、写真も添付する。基本的に近隣を対象としているので、パソコンが使えない人のために、光代の従妹が経営している喫茶店に掲示板と、登録アルバムを置き、そこで見てもらう。
「お話はなんとなくわかりましたけど、それだけのことを四人でされるのですか」と蔵子が尋ねた。
ゆめがあわててアップルパイを口に運び、フォークを持った手を振った。
「とんでもない、パソコンや配送の手伝いは宿六たち、いえ、今風に言えば、ぬれ落ち葉にさせます」
ゆめさんたら口が悪いのだからと、苦笑しながら郁子が説明した。
「パソコンはうちの夫が担当します。銀行を定年退職して、今は嘱託で週三日しか働いておりませんから、ちょうどいいのです。ゆめさんと光代さんのおつれあいも退職して家におられるので、配送その他を手伝ってくださるそうです。それとうちの夫は、ゆくゆくは社団法人にすれば良いのではないかと申しておりまして…」
社団法人!とまろみが素っ頓狂な声をあげた。
「まろみさん、時代は変わったのよ。今では、一般社団法人という形なら、NPOと同じくらい簡単にできるのですって」
「理事長はわたしがなる予定です」と、ゆめが胸を張った。
「社団法人はさておき、もう少し詳しくお話ししないとわからないですよね」と鈴子があとを引き取った。
登録して半年たっても、マッチングが成功しない場合は、リサイクルショップに引き取ってもらう。もし、引き取れないようなものであれば、その時点で処分する。
このシステムであれば、リサイクル品を置くスペースもいらないし、登録した人間も、もらい手が半年経っても現れず、リサイクルショップも引き取れないと分かれば、あきらめもつくし、処分できる。
『新わくわく片付け講座』で、何を残し、何を処分するかを学んだが、頭ではわかっていても、なかなか決断できないことが多い。このシステムなら、うまくいくのではないかと四人で考えた。
それに、時間をもてあましている男たちに働いてもらうのは、予想外なことに、本人たちが乗り気だった。定年後の時間を、どう使うか、本人たちも頭を悩ましていたからだ。
囲碁、将棋といった趣味でもあれば良いが、今さら一から習ってまではという気はないし、スポーツジムや図書館で時間をつぶすのにも限度がある。それに、良くも悪くも年齢や元の肩書が邪魔になる。ところが、妻の頼みで仕方なく手伝ってやるという形にすれば、男の面目もたつし、内心は必要とされていることに新たな生きがいを感じている。例え、妻たちが後ろで、しめしめとほくそ笑んでいたとしても、である。
「正直なところ、そこまで、お話が進んでいるとは思いませんでした」
蔵子の言葉に、まろみもうなずいた。
「なんだか、とんとん拍子に話が進みました」光代がうれしそうに付け加えた。
「そこで、蔵子さんにリサイクルショップを紹介してほしいのです。わたしたちのしようとしていることは、古物商のような免許がいるのかどうかとか、仕組みについても教えていただける方でないと。こういうことをするのは、まったくの初めてなので、まずはリサイクルショップで修行をしたいのです」
「わかりました。引き受けてもらえるかどうか、お約束はできませんが、一度リサイクルショップの『ひきとり屋』さんに話をしてみます」
ありがとうございます。よろしくお願いしますと頭を下げて、四人は賑やかに帰った。
「なんだか嵐が来て、まわりのものを吹き飛ばして、過ぎ去ったみたいな気分」
ぼそりとまろみが言った。
「ほんと、あのエネルギーはどこから来るのでしょうね」
「そりゃあ、自家発電ですよ」
蔵子さん、載ってますよと、まろみが地域のミニコミ誌を広げた。
見出しは、「もったいない倶楽部」活動開始!
アンティークの応接セットに座った笑顔の四人の写真が紙面を飾っていた。
「本気だったのですね。あっ、四人は『新わくわく片付け講座』で知り合って意気投合し、この事業を始めたと書いてありますよ」とまろみが興奮した。
「あら、まあ、それはありがたいわね」
「鈴子さんの『これでいいのか委員会』から始まったのですよね」
「そう、鈴子さんが自己紹介の時に、この話をしなかったら、『もったいない倶楽部』もなかったでしょうねえ」
「偶然ではなく、必然ってやつですか?」
「さあ、どうでしょう。でも、出会いのきっかけの場になったことは、うれしいわね」
「出会いの場、ですか」
まろみの頭の中には、出会いの場といえば、合コンしかなかった。
蔵子にはまろみの考えていることがわかった。
「男と女の出会いがすべてじゃないわよ。共感できる人との出会いも大切なことだと思う。
特に今のような世の中では」
「はあ、それもいいですけど、わたしは、まず、合コンで素敵な人とめぐり会いたいです」
「そういえば、昔の映画で『めぐり逢い』というのがあったわ。デボラ・カーとケーリー・グラントの主演でよかったのよ」
「はあ? 映画館で素敵な人とロマンティックな映画を見たいですよ」
「それもそうね、がんばってちょうだい」
「本気で言ってないでしょう」
「わかった?」
まろみも思わず吹き出して、蔵子も笑顔になった。
22章 終