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機械に手も足も出なかった話
今回のnoteは、先日体験した不可思議な現象とそこから考える人間と機械の関係性の話です。普段問題なく使えているときには感じない人間と機械の関係性。日々の生活に深く入り込んだ便利な道具たち。単に”生活の中にある”だけではなく、もはや私たちの能力や認知を拡張する重要な道具です。そういった道具と人間の関係性はどうあるべきなのでしょうか?
ちなみにサムネイルはAlfa Romeo Tonareのセンターパネルの写真です。買ってないですw
生活の中で便利に使える道具たち
自転車に乗れるようになったのはいつですか?最初にハサミを使ったときのことを覚えているでしょうか?ずいぶん前のことで思い出せないぐらい、自然と使っているのではないでしょうか?
こういった様々な道具は、人間のできないことを可能にし、人間の能力を拡張してくれます。例えば自転車であれば、走るよりも格段に早く遠くまで楽に移動することができます。ハサミであれば、手で紙を切るよりキレイに早くたくさん切ることができます。
そしてこれらの道具は一度使い方を覚えたらずっと使うことができます。使い方を忘れたり、使い方が分からなくなってしまうことはありません。さらに道具が上手く機能しない時に、何が起きているかがパッと分かります。自転車であれば「パンクしている」「チェーンが外れている」、ハサミであれば「刃がこぼれている」「持ち手が割れている」というように何が起きているのか?どうしたら上手く機能するように直せるか?をすぐに判断することができます。
しかし道具の中には、「使い方が分からない」「上手く機能しないときに何が起きたか分からない」「どう直せばいいのか分からない」というものもたくさんあります。
プロジェクタの不可思議な挙動
先日経験したことなのですが、ある会合でプロジェクターを使用して資料の投影をしていました。事前のPC接続テストでは問題なく投影できていたのですが、いざ会合が始まると「数分に一度、投影されている画面が消え、一瞬デスクトップが表示され、しばらくすると表示が元に戻る」という現象が起きました。
この事象を見て(読んで)みなさんはどのように考えたでしょうか?
PCとの接続が悪かったのでは?
PCとプロジェクターをつなぐアダプターの相性?
プロジェクターが壊れている?
プロジェクターを管理しているシステムの不具合?
PCの負荷が高くなっていた?
表示しているアプリの問題?
PCがスリープモードに入っているのでは?
というようなことが頭に浮かんだのではないでしょうか?もしかするとPCやプロジェクターの仕組みに詳しい方はさらに詳細に問題を分解できるかもしれません。
その会合を運営していた私たちはその場で出来得る限りのことを試してみました。
別のPCで投影してみる
アダプタを取り替えてみる(しかも3種類!)
プロジェクターシステムの再起動
PCがスリープモードに入らないようにマウスを触り続ける
しかし状況は改善されませんでした。しかもその現象は「ちょっと待つと回復する」というものだったので、別のプロジェクターを用意するなどの代替方法を取らずに、だましだまし使い続けることになりました。
会合の終了後に調査していただいたところ、原因はHDMIへの電源供給不足だったようです。USB-Cを直接接続すればその現象は起きないそうです。(難しい内容だったので理解が間違っているかも。。。)
個人的にはPCとプロジェクター間ではこんなコトが起きていたのではないかと想像しています。
よっしゃプロジェクターに投影するぞー!あれ、、、なんか電源不足になってきたような、、、あ、やばいやばい、一旦投影やめるわ。とりあえず、最初にもらったデスクトップの画面映しとくね。あー、落ち着いてきた、オッケー元の資料投影するね、お待たせ♪
想像とは言え、PCもプロジェクターも頑張ってくれていたのですが、その時はそれどころではなく、めちゃくちゃ焦っていました。
人間の能力を拡張してくれるはずの道具が上手く動いてくれず、しかもその時に、何が起きているのかも分からない、原因も分からない、直し方も分からない、そのため人間が機械に合わせて話すと言う状態になり、手も足も出ない状況になってしまったのです。
インターフェースの重要性
この時に感じたのは、人間と機械とのコミュニケーションの方法であるインターフェースの重要性です。ここでのインターフェースとはPCやスマホにおけるUI/UXのみならず、機械のボタン・操作パネル、機械そのものの動作(音・色・温度・振動、etc)も含めて、人間が感知できるものすべてを指します。
自転車やハサミなどの道具と異なり、PCなどの複雑な機械はそもそも内部でどのようなことが行われているのかは(素人には)もはや分かりません。その時に機械を理解するための唯一の手段がインターフェースです。
今回の件では、PC、プロジェクターシステム、プロジェクターで何が起きているかわからない状態でした。そこで私たちは過去の経験から原因を想像し、解決策を試してみることしかできませんでした。インターフェースの重要性を強く感じた出来事でした。
責任を持って限界づけられた道具
これは単に「インターフェースを充実させて機械内部で行われていることをすべて分かるようにすれば良い」という話ではありません。特にPCやスマホなどの機械においてはインターフェースが制限されていることで、快適に素早く操作できる、と言うメリットもあるでしょう。
インターフェースによる情報を充実させるのではなく、人間が主体性を持ちながら機械と関わりあえるにはどうしたら良いのか?人間の能力を拡張するための道具のはずが、道具が人間生活の制約条件になり、人間が道具に合わせて生活をしている状態をどのように解消するか?を考え、人間と機械が共生し、幸せな関係性を保つために、私たちは何ができるでしょうか?
こういった考えは、イヴァン・イリイチが「コンヴィヴィアリティのための道具」で提唱され、日本でも「コンヴィヴィアル・テクノロジー」と言う本で紹介・解説されています。
まだ全て読み切っていないので理解が浅い部分があると思いますが、今後はこの観点でも探索していきたいと思います。もしかするとkintoneに代表されるノーコードツールはコンヴィヴィアルなツールなのかな、と個人的に思っています。