HAPPY克樹入所日2024
倉橋と言います。克樹の入所日2024にてお送りされているかちゅーずでいが耐えられなかったので顔面が破壊したまま書きます。
並べるものじゃないけどわたしのドルオタ人生も嵐から始まって、そこで国民的アイドルを知ってそれがどういう過程でできていくのか理解したくて今もずるずるとオタクをしてる。いいえ、こんなのは後付けでただアイドルが好きで、相葉雅紀に会ったときのときめきを何度でも味わいたくて今に至る。
克樹を初めて見たときの記憶は正直ない。This is嵐だったりするのかもしれない。休止とはいえどお別れに泣きながら天井に映すメッセージをタイピングしていたのを思い出した。そのときはジュニアなど微塵も興味がなく、嵐のバックも目立たそうとしてくれる精神好きだけどこの時間何したらいいかわからないなと思っていた。最後のライブに出てると聞き引っ張り出して血眼で探すと、いた。翔ちゃんの横で踊ってる。嵐が好きなのも見直しているときには知っていたから、不自然なくらいに気合いが入っているのが見えてずっと好きだった人のバックにつけたのに活動休止しちゃうの悔しいよな、の気持ちに。克樹が最初に行ったライブから10年後にわたしは生の嵐に会ったんだから、汲み取ろうとしても無理な部分もある。でも好きだって気持ちは同じで、このステージをもっと見たかったというのも一緒だと思う。わたしはドラマから入ったわけじゃないし最前なんて取れたこともないけど、嵐のおかげで人生が変わってることだけはおそろい。
「早稲田大学、院卒」という肩書きから何を連想するだろう。頭がいい、こつこつ努力を積み重ねられる頑張り屋。ここから学びに貪欲で、吸収したものを徹底的にアイドル業に活かそうと考える狂人、なんてのはきっと読み取れない。頑張り屋なことには変わりないけど、負けず嫌いでなんにでも噛みついてしまう犬なこともわからない。でもそれは気に障ることを言ってくる人に伝えることじゃないから、彼が定期的に愛を注いでくれる本髙担や痺愛だけが知っていればいいと思う。克樹を少しでも好きな人が知っていればそれで十分。
克樹が本髙担に向ける文章は柔らかくて愛がある。妄想ではない。こう感じ取れてしまう言葉を綴る克樹がいる事実があるから!音声入力のほうが効率がいいことに気付いている効率厨なのにかちゅーずでいは手書き。しかも毎週悩みながら書いているのに(矢花くん談)全国ツアー中ほぼ毎日更新してくれている。なんとありがたい。お金を払ってくれている人しか見れないブログを毎日更新、だなんてアイドルをしない限りやらなかったんだろうなと思うと感慨深い。医者を選んでもサッカー選手を選んでも、他のどれを選択したとしてもきっとこんな機会なかったと思う。どこからでも選べる立場だった克樹が数多の選択肢の中から、未来なんて約束されてないに近いアイドルを抜き取ってくれたことが何よりも嬉しい。
悩んだ道も、途切れることなく続いているんだろうなと思う。そこに足跡はないけど、いつの日かアイドルとしての歩んでいる道に繋がって、その道が長く太く続くんじゃないかと期待している。アイドルの方向性やこれからはファンが決められるものじゃないけど、克樹ならきっと見せてくれるだろうと信じてる。
オタクがオタクをしていて失うものなんてせいぜい友達か恋人くらい。でもアイドルがアイドルをしていて失うものは計り知れない。あるはずだった未来がアイドルという職業を選んだだけで影も形もなくなる。そんな酷いことがあっていいんだろうか。儚さは存在価値と比例するのかもしれない。いつ消えてしまうかわからない。でも克樹はアイドルを辞めないことにした、と公言してくれている。これは諦めじゃなくて、今までアイドルをしてきて取りこぼしたもの全て回収して向き合うということだとわたしは解釈する。アイドル業をしていて取れなかった単位をわざわざ通信制に入ってまで取ろうとしているのは、アイドルを続けるためだと思う。彼はきっと永遠にインプットアウトプットをやめない。吸収したものをなんでも活かそうとアイドルをやる。それが正解かなんてわからないけど、これぞまさしく「人生をかけてアイドルをする」だと思う。克樹がアイドルとして7 MEN 侍として生き続ける限り、学びにも終わりはない。
例の雑誌を読んでいてアイドルを辞めないことにしたと語る克樹は覚悟を決めた顔をしているのが誌面越しでも伝わってきて、7 MEN 侍に片足を突っ込んでいたわたしはそのまま勢いをつけてダイブした。そこからは早くて、グッズを買ってライブに行って生の克樹を見た。すごくきらきらしていて、掴めなくて、画面で見たままだった。でもそれは他の5人も同じで、ここが克樹の戦場なんだとひしひしと感じた。それと同時にこのステージで足掻く克樹がもっと見たいと思った。それは大成するなとかそういう意味じゃなくて、自分の思い通りには行きにくい中で苦悩しながらも自分がいいと思ったもの、学びで得たものを駆使しながらアイドルをするのが見たいという意味。克樹の思い立つことはいつもわからない。牛丼を買うかギリギリまで悩んで結局買って遅刻するとか、頼まれてもないのにアレン様のモノマネするとか。いつもいつも思考が読めない。だからこそファンが驚くような演出も、凝ったメロディーも作れる。あなたの描くステージが見たい。
アイドルを始めるきっかけがある環境にいた克樹も、東大に行くよりも凄いことだと言われてこの世界に飛び込んだ克樹も、中学受験に失敗した克樹も、ダンスができなくてこんなんも出来なきゃジュニアなんてできねぇよって呟かれた克樹も、全部で本髙克樹を作り上げている。悔しいことも失敗も今に繋がってるなんて綺麗事は言いたくないしその事例に感謝なんてもっと言いたくない。でも、それでも本髙克樹は本髙克樹で、アイドルを仕事にしていて、ステージで輝く人間。スポットライトを浴びて輝くべき存在。過去が彼をそうしてくれたのは確かだ。
証の考察で「誰のための何の証なのか」を考えていた。それは克樹が生きているという証だったのかもしれない。苦しいこともあるけど今を7 MEN 侍として生きていく、本髙克樹としてファンの前に立つ誇りを表した曲なんだと思った。誰が為とかはなく、ステージに立てる幸せの証。それを聞けたのは大きかった。
わたしは今までの経験的に何年も同じ人を推せない傾向がある人間だから、いつまでも克樹を大好きでいることはないと思う。でももし本髙担を辞める日が来ても、きっとそれからも克樹のことを目で追ってしまうだろう。だって克樹は最高のアイドルだから。