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本髙克樹ソロ「証」について

倉橋と言います。克樹のソロの見解について残しておきたいなと思ったので書きます。解釈不一致あると思います。いち意見として受け取ってもらえれば幸いです。
わたしの語彙力が稚拙なのと言語化できないくらいによかったのとでこれを読んで証を見た気にならないでほしいというのが一点お願いします。円盤化しろ絶対に。ピアノもコンテンポラリーもだ。

歌詞

明日も大切なその手は
あたたかいまま動いていますか
何となく知ってた平均寿命で
描いてた人生のレール その途中みたいな顔して生きて明日は昨日になった
何気ない日々を彩ってくれた 星たちがずっと輝いて見えたなら
「そこから見た僕も同じだったかな?」
なんて聞く術はどこにも無いけど
生きてゆく道標 明日の夜空の輝きに委ねてみて 生きてゆく星たちに埋めつくされた僕だから
「いてくれてありがとう」
生きてゆく道標 どうか消えないでと夜空を見上げては
生きてゆく星たちよ
流れ星になるその日まで「そばにいて」

Xより引用

TDC公演
白いグランドピアノの前にビジューがついた白のタートルネックと白ズボンという出立ちで下手から登場。少し重めな足取りで椅子に座り、絞り出すような声で弾き語りを始める。
モニターにはポエムのような背景に綴られていく歌詞。ここだけ一期一会だった。

モニターこんな感じ

「なんとなく知ってた平均寿命で」から誰か大切な人が亡くなってしまったと解釈して、人の次は星として寿命を全うするのを祈っていると思った。埋め尽くされたというのはその人のことで頭がいっぱいという意味だと仮定。
「あたたかいまま動いていますか」と疑問系で終わるこの曲。バラードだしあたたかいんだけど、もう終わってしまった幸せしか感じ取れず不穏だなと思いながら終了。

静岡公演
嶺亜さんのソロが終わってからもピアノが出てこずざわざわ。すると裸足にテロテロ系素材の白シャツ白ズボンでまたしても下手から登場。え?ピアノは?と動揺する痺愛を横目に曲が始まる。(克樹が造った曲の一音一音決して聞き逃すことは許されないのでお静かにお願いします)

わたしは4階席にいて見えづらかったので双眼鏡を使って克樹本体だけを見ていましたが、ステージ全体を見ていた方のレポによると、
【途中からメンバーカラーの照明が現れて、克樹の生きてゆく道標はメンバーだったんだ】
とのことらしく、あなたにとってメンバーは生きるための道標なんだねと滝涙を流しています。
嶺亜さんに止めてもらわなければ、7 MEN 侍に入らなければアイドルを辞めていただろうと語る克樹。アイドルを辞めないことにしたと言って大学院に進学した克樹。その全てがここに詰まっていると感じます。彼の生きる所以まではいかないけれど、間違いなく生きてゆくために必要なもの。誰しも心で大切に思う道標。それが克樹にとっては7 MEN 侍で、自分が一員として所属するグループのメンバーであることがすごく嬉しい。

また嬉しいことを言うと、最後の
【生きてゆく星たちよ 流れ星になるその日まで「そばにいて」】
のパートで克樹が客席に背を向けた。コンテンポラリーダンスをしながらも止まっているときはこちらを向いていたのになんで、と思った刹那気がつく。ステージ側から客席を写すカメラに、克樹と無数の緑に光ったペンライトが映し出されていたから。
わたしが、星…!?彼が星だと綴っていたのはペンライトかもしれない。わたしたち一人一人が担当じゃない人にも色を変えて振っているペンライト。メンバーが悩んだ末にスタッフさんが案を出してくれて満場一致で決まったペンライト。きっとそれだけじゃない。これまで7 MEN 侍が出してきた、痺愛が振ってきた全てのペンライト。これが克樹が評するに、星。
星もメンバーかもしれないし、また違うものかもしれない。でもわたしはファンだと思った。
【生きてゆく星たちに埋めつくされた僕だから】
の歌詞で、ペンライトの海に体中を埋められて生きてきたんだと解釈した。心に空いた穴も体に行き渡る酸素も、全てはペンライトが埋めている、なんて烏滸がましい話だけど。

生きてゆく道標であるメンバーを照らす星はペンライト。アイドルとしてすごく綺麗なものを綺麗な形で曲に落とし込んでいるなと思った。「証」というタイトルは何に対しての何の証なんだろう。メンバー、ファン、世間、そう思うまでを造り出した自分、大切に思っているという証。今はまだ真相はわからない。いつか夜空の下で明かしてくれることを楽しみにしてる

それぞれのパフォーマンスについて
ピアノとダンスと歌詞以外で思ったことについては触れられなかったのでここで。
ピアノは1バル下手、背中側から見ていた。ピアノを弾いているから当たり前ではあるんだけど、それまでのパフォーマンスからは考えられないくらいに背中が丸くて小さくて。克樹ってこんなに小さいんだ、と場違いに思った。恐れを抱きながらもしんしんと降り積もる雪のように歌詞を連ねていって。それはきっと大した量の雪じゃなくて5センチくらいだと思う。それでもやっぱり影響はあって、喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる。そういう面を知りながら、道標をしっかりとした足取りで克樹は歩くんだろうなと思った。

コンテンポラリーは上記の通り4バルから克樹だけを。落ち着いた動きだと思ったら足を広げて回転したり、床と触れ合ってみたり、台に軽く腰掛けてみたり。
あまりわたし自身コンテンポラリーダンスに興味がないというか、表現方法として認めていない節があったんだけど見入ってしまった。もちろん推しフィルターはかかっていたけれど、その醸し出された雰囲気とか大きい動きなのに触れたらすぐさま消えそうに舞っているその姿にどうも呑まれていた。
綺麗で足音一つ出さずに宙に浮く克樹は妖精みたいで、君は雪の妖精さんかな〜とセカオワみたいなことを思った。

星の寿命は果てしなくて、流れ星になるまででも嶺亜さんの想定寿命をもはるかに超えてしまうけど、それでも克樹を好きでいたい。爆発せずに綺麗なままあなたとまた会いたいな。

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