試験の朝
もう10年以上前、高校三年生の冬はまさに人生の岐路にあった。
片田舎の四方を田んぼに囲まれた家から片道1時間かけて高校に通っていた。センター試験は高校の近くの大学で受けるので、さらに30分かかる。
友人と大学の最寄り駅で待ち合わせして、そこから路線バスに乗る予定だった。1日目の朝は珍しく雪の予報で、心配だから早めに着こうと早起きをしたのを覚えている。
駅にひとはまだまばらで、私たちはバス停の列の先頭で参考書を見ていた。漠然とした不安と緊張が胃のあたりでぞわぞわしている。
バス停のそばにタクシーが停まり、客の若い女性と男性が降りた。女性は降りたところでそのままへたりこんでしまった。
何事かと目を向けるとひどく泥酔している。男性はそのそばにしゃがんで飲み物を差し出しているが、うんざりしているのがはた目にもわかった。
「ほら、立てよ。帰るぞ」
男性が立ち上がらせようとしても女性は何かわめくだけ。あんまりじろじろ見たらダメだと思いつつ、好奇心から観察モードに入りかけたときバスが来た。
「なんかすごかったね」バスに乗り込んですぐに友人が言う。「うん、大丈夫だったんかな」と答えつつ、参考書をしまう。
バスでは車酔いを防ぐため外を見ようと決めていた。本来なら暗記したことを反芻する時間に当てるべきだが、頭のなかは泥酔していた女性のことでいっぱいになっていた。
私の家はそこそこの貧乏で、国公立の大学以外には進学できそうになかった。とにかく家を出たかったので、新幹線を乗り継がないといけないほどの遠いところにある国立大学への進学を希望していた。
センター試験で失敗すれば、憧れの志望校からの変更を余儀なくされる。二次試験の勉強もやり直しだ。自分自身でじわじわとプレッシャーをかける日々を過ごしてきた。
しかしあの女性は、おそらく今日がセンター試験当日なんてことは知らずに、なんとか帰路について、帰宅するなり倒れこむように眠るのだろう。
目が覚めてから男性に謝るのだろうか。それとも涼しい顔をして今日もまたお酒を飲むのかもしれない。
私にとってはこんなに大事な1日なのに、彼女にとってはたぶん、朝まで飲み明かしただけのなんてことのない日。
ふいに、自分の見えないところで世界が動いていることに気づかされた。
机に向かう日々、浮かぶネガティブな思考を打ち消すのに必死で、私はそもそも何の為に勉強してるのかさえ見失っていた。
広い世界が知りたいから大学に行きたい。でも大学に行けないからって、世界が私を閉め出すわけではない。
今日もし大失敗しても、まぁそれはそのとき。大人になったってあんなに泥酔しちゃうひともいるんだし、何とか生きていけるんだろう。
泥酔していた女性の登場から、自分が徐々にポジティブになっていくことが面白かった。
バスから降りた時には気分が晴れやかで、胃のぞわぞわもどこかへ行ってしまっていた。それからは妙に静かな気持ちで、2日間の日程を終えることとなる。
センター試験が共通テストと名前を変え、その間に私もお酒で失敗済みの大人になった。
あのときの女性が今もどこかで元気に暮らしていることを祈っている。
そして全国の受験生が勝負の日に実力を発揮できるように願っております。ガンバレ!!