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僕が自分のスキルを無償で提供したい理由[2]

2021年6月に「僕が自分のスキルを無償で提供したい理由」という記事を書きました。

「労働収入」と「権利収入」の違いを知ったり、投資の世界に興味を持ち始めて、FXのトレードの勉強を始めました。

投資で稼いで、お金と時間から自由になって、自分のスキルを無償で提供しようとしています。

その話をすると「人はタダのものに価値を感じないから」と言われることがあります。たしかに、無料ならやってもらおうという人もいるでしょう。その人にお金を払う価値がないと考えているのかもしれません。

理由はわからないのですが、ずいぶん長い間、僕は「困っている人を助けたい」「誰かの役に立ちたい」とずっと思い続けてきました。

インターネットが普及する前、パソコン通信のニフティーサーブというサービスがありました。当時、富士通のワープロで参加していた僕は、搭載されていたMS-DOS機能を利用した自動巡回ソフトを愛用していました。

フォーラムという愛好者の集まりがあり、そこで質問に答えたり、自動巡回ソフトのプログラムを組んで、どんどん便利に使えるようにして、それをみんなに提供していました。

最近は投資コミュニティのオープンチャットで、同じように誰かの質問に答え、自分が得た知識をシェアしています。

《どうして僕は、誰かの役に立ちたいと、ずっと考えているんだろうか?》

あるとき、そんなふうに自問自答してみました。

ここからは、僕自身の幼いころの話になります。

僕が小学4年生のころ(約50年前)、父親が急に仕事に行かなくなり、玄関の外に小屋をつくって、引きこもってしまいました。まだ「引きこもり」という言葉もない時代です。けっきょく母親は、パートの仕事で息子二人を育てることになります。

そして僕は、小学5年生のときに、公衆電話から市役所に電話をかけて、「生活保護ってどうしたら受けられるんですか?」と聞いたのです。どうしてそんなことをしたのか、自分でも理解できませんが、父親が働かないと言うと、病気なのかどうか、どういう状況なのか聞かれて、「急に会社に行かなくなった」としか言えませんでした。結果的にそれでは難しいという返事で、あきらめて電話を切りました。(今なら鬱病の診断がもらえるかもしれません)

その後、ずっと顔を見せない父の状態に、母親にも、どうして離婚しないのかと詰め寄ることがありましたが、母は「好きで一緒になったんだから、仕方ないじゃない」と言うばかり。そんな状況だったので、父に対しては嫌悪の感情しかありませんでした。

兄と僕が実家を離れたあとは、夫婦二人で仲良く過ごしていたようなので、母にとっては幸せな人生だったのかもしれません。

5年ほど前、僕はある事件を起こして逮捕されました。40日以上の拘留ののち、やっと保釈されて実家に戻ることができました。このときの保釈金300万円を用意してくれたのは、なんと父だったのです。

働かなかったものの、年金を積み立てていたらしく、母も知らないまま、それなりの貯金がありました。それを知ったときは、父自身もどこか負い目があり、家族のためにお金を貯めていたのではないかと思いました。

事件を起こした僕を、何も言わずに温かく迎えてくれたのは、そんな家族でした。

《どうして僕は、誰かの役に立ちたいと、ずっと考えているんだろうか?》

それを考え続けていたら、ふと「家族を助けたかった」ということに気づいたのです。父親が働かなくなって、必死に働いている母を助けたかった。そして、父親が急に会社に行かなくなったことに対して、何か力になれたのではないか?

もし僕がもう少し大人になっていたら、父の状況や悩みに耳を傾けることができたかもしれません。でも、僕は当時、まだ10歳でした。

何があっても、支え合う関係。そこに金銭のやりとりはありません。僕は、それが“かぞく”だと考えています。

10歳のときに家族を助けられなかった思いが、「誰かの役に立ちたい」という気持ちになり、助け合える“かぞく”が欲しいと考えるようになったのかもしれません。

家族にしてもらった無償の行為に、価値を感じない人はいないはずです。

以上が、僕が自分のスキルを無償で提供したい「本当の理由」です。

このカピバラみたいな存在が理想です


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