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【バリ島一人旅の足跡_#8】タナロット寺院へ。

40代後半にして、生まれて初めての海外一人旅。全部で10日間という微妙な日程の中、「こんなとこに行きたいなー」とか「この店で食べたいなー」みたいな予定はなんとなく頭にあるのだが、すべてはその日、その瞬間の気分で行動するのが一人旅の醍醐味というもの。

ということで僕はいま、バリ島に到着して約20分後に出会ったアディという怪しい男のバイクに乗り、予定の片隅にもなかったタナロット寺院に向かっている。彼おすすめのワルンで昼食を済ませたばかりということもあり、旅初日の興奮と、旅疲れの眠気が交互に襲ってくる。

前年に仲間とバリ島を訪れた際、もっとも印象深かったカルチャーショックの一つが「バリ島の交通事情」だ。日本人の僕から見た彼らの運転はとても乱暴で、ほぼゼロの車間距離、鳴り続けるクラクション、完全に対向車線を走る人、原付に3人の子どもを乗せて走る親など、カオスとしか言いようのない風景が広がっていた。

で、まさに今僕は、現地人が運転するバイクの後ろに乗っているわけであるが、彼の運転は、まさにバリニーズのお手本のようなシロモノのだった。基本的に繁華街は常に大渋滞しているのだが、彼は僕にはまったく理解のできないような車とバイクのわずかな隙間を見つけ、バイクの先端をねじり込むようにして前進を続ける。

もう完全にどこにも隙間が無いと思えるような場面でも、当たり前のように歩道へと乗り上げ、道ばたの街路樹を縫うようにしながら走り続けるアディ。「わしゃ止まったら死ぬんじゃ」という名台詞で新喜劇を牽引した間寛平のオーラを、彼は確かにまとっている。

ようやく繁華街を抜けると、心地良い田園風景が広がり、バリ島の爽やかな風がアディと僕を包む。僕の故郷にも田んぼはあるのに、ここで見る景色を特別なものに感じるのはなぜだろう。

アディの背中にしがみつくこと約1時間。どうやら目的地に到着したらしい。彼は広い駐車場にバイクを止め、「ここで待ってるから行ってこい」と言う。駐車場の先には土産物店が軒を連ねており、その終点に海上に浮かぶタナロット寺院がある。

ホテルにチェックインもしないまま、バイクタクシーのおっちゃんに連れてきてもらったバリ島三大寺院。大きなバックパックを背負ったまま、どう見ても同じような品物を売る商店街をゆっくりと歩きながら寺院へと向かう。

5月上旬という乾季に入ったばかりの季節のせいか、観光客はあまりいない。駐車場から海に向かって10分ほど歩いた先に、バリ島の寺院には必ずある「割れ門」がそびえ立っている。この左右対称の門は、善と悪、陰と陽などを表しているそうで、一節によると「邪悪なものを通さない」とか「この門をくぐった人の心を浄化する」と言われている。

この割れ門をくぐると海が広がっており、岩場を歩いて少し進むと、目前に岩島に建つタナロット寺院を拝むことができる。干潮時には岩島まで歩いて渡ることができるが、バリヒンドゥーの信者しか寺院に入ることはできないらしい。また、タナロット寺院はバリ島有数の夕日スポットなので、彼氏や彼女といっしょにインスタ映えする写真が撮りたければ、夕方遅くに来るのがいお勧め。いつの日か、僕もこの地で夕日を眺めてみたいと思った。

タナロット寺院のちょうど正面にある入り組んだ路地には数件のお店が並んでおり、帰り際、勇気を出してココナッツジュースのお店に入ってみる。テーブルが数席の古びたお店だが、そこがいい。「ココナッツジュース、ワン」と指を立てながら注文。ほどなくして、ココナッツの上部をくり抜き、そこにストローを指しただけのシンプルなジュースが目の前に置かれる。

「うめぇ…」

何を食べても、何を飲んでも、おいしいと思えるこのカラダ。一人旅に最も必要なスキルを、僕は備えている気がする。思ったより冷えた状態のココナッツジュースは、ポカリスエットを薄めたような味。内側の乳白色をした実はゼリーのようにやわらかく、スプーンでこそげとりながら食べるとおいしい。ふいに、向かいに座っていた欧米人から「アーユーフローム?」と話しかけられ「ジャパン」と笑顔で返事。タナロット寺院の眼前にある店で、見知らぬ欧米人と挨拶をしながら、ココナッツジュースをすする自分。なんか頭がバグりそう。

来た道を戻るだけではつまらないので、商店街の裏道に入ってみる。驚いたのは、一本南側の小さな路地裏にも、メインストリートと同じようなお店が並んでいること。ほとんどの人が足を踏み入れないような静かな場所でも、なんとか生計を立てようと頑張る現地人のたくましさを感じずにはいられなかった。

駐車場に戻り、食堂の軒先で涼むアディと合流。彼の肩を掴みながらバイクの後部座席にまたがり帰路につく。途中、畑に面した道でおもむろにバイクを止め「ちょっと待っててね」と運転席を離れるアディ。畑で作業をするおばちゃんに何やら話しかけると、小さなスイカを袋にぶらさげて帰ってきた。

「ラマダンが終わったばかりで何も食べていない。家に帰ったら、このスイカを食べるんだよ」

敬虔なイスラム教徒のアディはそういうと、年季の入ったバイクを再始動させる。約1時間後、クタビーチに到着。家族の話、宗教の話、日本のこと。道中で彼と交わした会話を思い出しながら、後部座席の下にある小さなステップに足をかけてバイクを降りる。旅は始まったはかりだけど、彼との小さな旅は終わったのだ。

「ありがとう、これでいい?」

“あなたが決めた値段で、どこにでも行ってあげる” 事前交渉でそう話した彼に、僕は30万ルピアを手渡す。日本円にして約3千円。ちなみに、運転手付きの専用車を1日借り切った場合の現地相場は、約8千円。ちょっぴ奮発したつまりだったけれど、彼がその金額に心底満足したのかどうかは分からない。彼はそのお金をポケットにしまうと、少し真剣な表情で一言だけつぶやいた。

「いい旅を」

タナロット寺院の精霊たちは、これから始まるバリ島一人旅を見守ってくれるだろうか。


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