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精緻を極める西アジアの美術
こちらは、通信制大学に提出したレポートです。
ちょっと前置き。
「メソポタミア文明」とか、「チグリス・ユーフラテス川」とか、中学校の世界史分野もこのあたりから始まったような。
切り口を美術にしたことで、プリントの穴埋めに終始していたあの頃より、少し理解が深まった気がします。
それにしても、イスラム美術って魅力的。トップの写真は、たまに足を運ぶ東京ジャーミー。代々木上原にあるモスクなのですが、何度見てもため息がこぼれる美しさです。
今回西アジアの美術を学ぶ中で初めて「ムカルナス」という装飾を知りました。これはどこか実際に見に行きたいなぁと思っています。
最後には評価も載せていますので、よろしければ最後までお読みください。
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現在のイラクを中心とする地域に興ったメソポタミア文明は、人類最古の文明と言われる。その多くの国家の興亡の中で生まれ、後にはイスラームの影響を強く受けることになる、西アジアの美術の変遷について概観する。
紀元前6000年頃にメソポタミア地域でつくられた彩文土器に、西アジア美術の始まりを見ることができる。イランにも紀元前3500年頃の作例が発見されている。生き生きとした動物の文様や、きめ細やかな幾何学文様が描かれ、デザイン性の高さが窺われる。
西アジアの美術として、各時代で目を引くのは、細密な彫刻の数々である。世界最古の記念碑とされる、アッカド王朝時代の《ナラムシーンの戦勝記念碑》には、アッカド軍の先頭に立つ王の姿が浮彫で大きく表現されている。アケメネス朝ペルシアにおける新都ペルセポリスに見られる浮彫装飾には、ペルシア兵や様々な民族が朝貢に訪れる姿が、その衣装や持ち物まで細かに彫られており、反復表現も特徴的である。パルティアの王族の立像や、ササン朝の摩崖浮彫などにも傑出した作例があり、こういった精緻な彫刻からは、それぞれ王の威光を示そうとしていたことが見てとれる。
ササン朝では、金属工芸品やガラス器をはじめとする工芸品も発達し、シルクロードを通じて、日本を含む様々な地域に伝えられた。
7世紀にイスラーム帝国が形成されると、それまでとは異なる独特なイスラーム美術が生まれる。イスラーム教の偶像崇拝禁止の影響を受け、具象的な図像ではなく、植物文様、幾何学文様、文字文様を用いた美術が展開した。
イスラーム教の礼拝堂であるモスクに、その壮麗な装飾を見ることができる。イランのイスファハーンには、かつて「王のモスク」と呼ばれた《イマーム・モスク》がある。巨大なモスクの壁面は青色を中心とした美しいタイル細工によって覆われている。特筆すべきは、正面入り口に施されたムカルナスという建築装飾である。小さな凹曲面の集合で形成されるムカルナスは、幾何学文様を立体的に発展させたものと言えるだろう。イスラーム帝国の成立から約千年が経とうとする頃に建てられたこのモスクは、イスラーム建築の白眉である。
他にもイスラーム美術特有のものとしては、ラスター彩陶器やペルシア絨毯などの工芸品が挙げられる。こうした世俗的な美術品には人物や動物等の姿も描かれるが、やはり先に述べた装飾文様が多用され、重要な要素となっている。また、写本の挿絵や装飾として描かれたミニ・アチュールも、イスラーム圏の美術を代表するものである。バーイソングルが晩年に手がけた《王書》は、計算された色使いや、人物の衣装の緻密さなどが大変優れた例である。
以上のように西アジアの美術は、イスラーム帝国成立の前後でその特徴は異なるが、精細な装飾や連続性のある表現等、彩文土器の頃から脈々と受け継がれてきた部分もあることが分かる。しかし、このような歴史ある西アジアの美術は、いくつもの戦争や、最近ではIS(自称イスラム国)の暴挙によって、多くが破壊あるいは盗掘されている現状がある。これ以上の損失を避け、どのようにして守っていくのかは、人類全体の課題であると言える。
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こちらのレポートの評価は「秀」(90点)でした。