【短編小説】真夜中の歩道橋
EP1:価値観と選択肢
僕には、価値がない。
だから、当然、なにかを選ぶという選択権すらないのだ。
親の言うことを聞いて学業に励み、親の顔色を気にしながら生きていく。
そんな毎日でもいいと。そんな人生でも神様は許してくれると信じていた。
しかし、1つだけ親の言うことを守れなかったことがある。
それが大学だった。
親には名門校に入れと言われていて、その通りにしようと勉学に励んでいた。
でも、3月のあの日に、試されていた僕の価値はどん底に落ちた。
名門校は、親の言うことを聞いていたからって入れるものではない。
良い子にしていたからって、サンタさんからのプレゼントように招待状が届くわけでもない。
そうは分かっていた。だから必死で難しい勉強と戦っていたんだ。
でも、本当は。本当に僕が戦っていたのは『恐怖』そのものだったのだと、落選した受験番号を見て思い知った。
親にどうやって伝えよう。どんなことを言われるだろうか。
しかし、そんなことを考えている暇はなかった。
なぜなら、落ちた時点で僕は負け組で、価値が完全に無くなってしまったからだ。
なにを言われるのかよりも、目線が、どんどん険しくなって歪んでいく表情が怖かった。
あの日から、僕の時間は止まったままだ。
だから、今日こそ少しだけ動かしていこうと思う。
振り子時計のようにではなく、逆さにしないと落ちてこない砂時計のように。
真夜中の歩道橋から見る街灯はキラキラと輝いていて、まるで僕のことを祝福してくれているかのようだった。
澄んだ空気によって普段から見ていた都会の建物たちが、より生き生きとして見える。
さぁ、そろそろ僕の時計が動く頃だ。
寒さで冷え切ってしまった手で、力強く歩道橋の手すりを掴む。
僕の手よりも冷め切った歩道橋の手すりを支えに、足を乗せる。
「さぁ、今日で僕の価値がリセットだ」
目を閉じ、嬉しさのあまり少し微笑みながら前に体重をかける。
ふわっと浮いた片足と冷たい風に乗せられた体が中に浮く…はずだった。
なのに。それはいつの間にか近くいた男性の声によってかき消された。
「いいなぁ、君は。生きる、死ぬの選択ができて。羨ましいよ。」
EP2:失われる時間
僕は、周りから見れば順風満帆な生活を送っている。
職業は医師で、毎日のように時間と患者さんの命に追われながら生活をしている。
命というのは、ものすごく儚いものだ。
どこかの小説に書かれている謳い文句だが、医師になってそれを実感する。
どんなに頑張っても、どんなに救いたいと願っても、こぼれ落ちてしまう命がある。
それは「神様が決めたこと」なんて綺麗事を言っている暇はなく、心に鉛のようなものが増えていき、それに気がつかないフリをして死亡時刻を告げる。
周りの人間は「医師」と聞くと、素晴らしい職業だと答える。
人の命を救う職業、世界に欠かせない職業、食いっぱぐれることがない職業とか。
そんなこと言われると、僕はものすごく複雑な気持ちになる。
確かに間違ってはいない。人の命を救い、その人の命の恩人になる。
死にたいと思い行動に移した方の命も救い、恨み言を言われてもどこか安心してしまう自分がいる。
でも正直、辛い時がある。
毎日のように運ばれてくる患者さんを目の前にしながら、時間に追われて処置をする。当たり前だ、少しのミスと時間のロスが命取りになるのだから。
だから、僕たち医者にとって「時間のロスを減らす=命を救う」ことにつながるのだ。もちろん、そこに技術と経験、知識があるのが前提だ。
だからこそ、やりきれないこともある。
もっと医療が発達していれば、もっと人材がいれば、もっと僕に技術と知識があれば。そんなことを思っていたらキリがない。
でも、こんな話をしておいて言うことではないけれど、そんなことを思っている暇なんてない。目の前の命を救うには「今、できることをやるのみ」だからだ。
だから、僕たち医師は『今、この瞬間』に追われている唯一の職業なのだ。
EP3:人としての選択
いつも通り、仕事を終えて帰ると、そこには「未来」に絶望した高校生が立っていた。
今にも飛び降りそうな目の前の子は、なぜか少し微笑んでいた。
医師ではなくても、その光景を見れば自殺をしようとしているのが分かるほど、重い空気感が僕を包む。
医師としての僕なら、いつもはこう聞くだろう。『どうしたの?話を聞くよ』と。
しかし、なぜかその時は羨ましいと思ってしまったのだ。
最近は、未来に絶望をして自殺をする方が多い。
もちろん、今の現状から未来を想像できなくて自殺をするんだろうけれど、未来の幸福を夢見ている時点で羨ましいのだ。
僕には、未来の幸福を夢見ている暇なんてない。目の前の人を救うのに必死で、自分の未来なんて考えていることが少なく、いまの自分をどう変えていくかが精一杯だ。
「いいなぁ、君は。生きる、死ぬの選択ができて、羨ましいよ。僕なんて死ぬ選択肢すらないんだから。」
気がついたら、そんなことを口走っていた。
息を呑みながら隣を見ると、怪訝そうな顔をして片足を地面につけた少年がこちらを睨みつける。
「おじさん、誰。」
「あー、通りすがりのおじさんだよ」
「…。さっさとあっちに行ってよ」
「んー、まぁ、もう少しここにいようかな」
その言葉を聞いた少年は、深いため息をつきながらダルそうに目線を逸らした。
EP4:満たされない僕らの心
ふと、時計を見ると少年のため息から15分ほど経過していた。
相変わらず一点を見つめている少年は、こちらを向く気配すらない。
自分に、この少年の自殺を止める資格があるのか。
例え自殺を止めたとして、この少年に向かって未来は明るいと言えるのか。
そんなことを考えながら、立ち去るのが正解という答えに辿り着き、歩道橋を後にしようとした。
大きく息を吸い、自宅の方へ一歩を踏み出そうとしたとき、少年は言った。
「ここにいると、大勢の人がいろんな想いを背負って生きているのが分かる。でも、その中で、いま幸せだと言える人はどれくらいいるんだろうね。」
僕は、その言葉を聞き、歩道橋の上から忙しそうに車を走らせる人たちを見た。
確かに、少年の言う通りかもしれない。こんなにも大勢の人が街を歩いて生きているが、その中の何%が自分は幸せだと言い切れるだろう。
そんな想いに耽っていると、少年はまた喋り出した。
「みんな、なんとなく毎日を生きている。ウワサに流されながら、偉い人の言うことに流されながら、周りのリアクションに流されながら。僕もそう。親のリアクションや言動に流されながら生きてきた。でも、それでいいと思っていたんだ、先日までは。ただ、今はリセットしたいだけ。」
心に溜まっていたものを言い切ったように、僕に向かって微笑んだ。
今まで感じたことがない恐怖と悲しさを抱きながら、僕はまた口走ってしまった。
「リセットには再スタートがつきものだ。いまのまま再スタートを切ったとして、君は幸せになれるというの?その満たされない心のままで」
僕の教訓は、反省しても後悔しないことなんだが、この返しだけは後悔しそうだった。なぜなら、反感を買うか死にたい心を加速させるかだけだろうと思ったからだ。しかし、少年の反応は僕が想像していたよりもいい反応だった。
「…。おじさん、周りの人に余計な一言が多いって言われたことない?」
「どうだろう、僕なりに人間関係はうまくいっていると思うけど」
「そうやって言う人の大半は、陰口言われていることが多いんだよ、知ってた?」
「…。陰口は…言われていないと思う…けど…」
「やめてよ、ショック受けて落ち込むの。僕のせいみたいじゃん」
「いや、完全に君のせいだけどね」
数秒の沈黙が流れた後、少年は笑い出した。なんだか、僕もそれに釣られて笑い出してしまった。
しばらく笑い合った後、少年は「また、今度ね」と言って歩道橋の階段を降りていく。また、今度…ということは、しばらく生きていくことにしたのかなと思いながら、僕も反対側の階段へ歩いていった。
こんなにも歩道橋の上にいる時間が長い日なんて、もう一生ないだろうな。
冷たい空気と共に、その言葉は僕の懐に落ちていった。
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