在日と呼ばれたくない人で悪いですか 7
【Zタグ論争 ①】
2020年にアメリカで起きた白人警官による黒人男性の暴行死事件をきっかけに、抗議のための「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」という言葉が日本でも広がった。
TwitterでもBLMのタグが広まりつつあったとき「日本では在日コリアン差別にも目を向けた方が良い」と発信した誰かがいて、「KLM」のハッシュタグも同時期に流れたことがあった。
その気遣いは嬉しいけれども、私は以下の理由で、この流れが嫌だなと感じていた。
1、元々黒人差別への抗議なのだから、意味を薄めてはいけない
2、「これに乗っかって図々しい」と思われたくない。在日が今受けてる差別なんて、「暴行されて死ぬ」なんて苛烈なものではないでしょという声を聞くのがしんどい。
(実際にそういう呟きも見た)
3、Korean Lives Matter という字面が怖い(将来的に私たちも「また暴行されて死ぬ」未来がなんとなく肯定されているようだから) (また、と書いたのはこの国で実際にそういうことがあったから。そして、それが無かったことのようにされているから)
「KLM」のハッシュタグは誰かが注意して、「やめよう」ということになったらしい。すると今度は「日本人はZainichiへの迫害をやめろ」というタグを作った人がいた。
このタグを作った人たちは、私と相互のフォロワーさんたちだった。
彼らが真面目に考えて、このタグを作ってくれたのはわかったし、実際、使っているのも日頃からいろんなことに声をあげている人たちだった。また、タグ作成については在日コリアンの意見も入っていたと思う。
それでも違和感があった私はCさん(中心的に動いていた在日コリアンの人)と直接DMでやりとりをした。
が、結局、Cさんが「僕の日本の友達が考えてくれたことなんだ」と言ったことにほろっと来て、それ以上何も言わなかった。
Cさんのことを私はとても信頼していた。
そもそもこのZainichi表記はなぜ出てきたのか。
Cさんは、「ミン・ジン・リーの小説にも出てきていたし海外にも訴求できる」と言ってはいたが、だからと言って日本で馴染みのないこの言葉を安易に広めるのはどうだったのかな、と、やはり思う。「在日韓国、朝鮮人」「在日コリアン」あたりにしておけばよかったのに、と。
おそらく、英語で出版されて海外でより多く読まれたため「Zainichi」は世界に通じる言葉になっている、と言いたいのか…
ちなみにミン・ジン・リーの「パチンコ」* は先日遅まきながら読んだが、本文では一貫して「在日コリアン」という表記が使われていた。
自称は「在日」「コリアン」。
差別されている客体としての意味を強く持たせたい場面で「在日」が使われていた。
「パチンコ」については担当編集者の永嶋俊一郎氏がnoteでも書いているので引用させていただく。ここにも「Zainichiってローマ字で通じるんですよ」とある。
https://note.com/hon_web/n/nf92c2812163d
永嶋 著者は大学時代の講義で、いわゆる在日について知ったらしいです。ちなみにZainichiってローマ字で通じるんですよ。
なんとなく他人事のように論じていらっしゃるなあ、という印象をもった。
国「外」で通じるから、何なのか、と。
国「内」に引きつけた時、どうだろうか。
日本に「在日」と呼ばれる「外国籍の人間」が3代、4代にも渡って存在している理由、帰化しても差別が続く現実、その中で、すんなり「この人たちを呼びつけてもいいと思っている」ご自身の中の宗主国仕草、感情とどう折り合いついてます?と、問いたい。
この小説が出た時にも「帯の文章が、日本の差別問題を覆い隠している」と問題になった…ように見えたけれど大きな批判にはならなかったようだし。
日本の統治下で、朝鮮人女性が受けた扱い、戦争が終わっても帰ることができなかった人たちのこと、「在日」となった人たちが3代にわたり生活をしてきても職業で差別をされたり、都合よく利用されたりする事実なども書かれているのだが、「大河ドラマみたい」とか「サクセスストーリー」として矮小化、消費されたくないと思ってしまう。
* ミン・ジン・リー「パチンコ」
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912257
「名乗りとしての『在日』」については今回書けなかったのでまた今度にします。
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