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在日と呼ばれたくない人で悪いですか 8

【Zタグ論争 ②】


2021年2月に、福島県沖を震源とした大きな地震があった。
この国で最近起きている愚かしく忌まわしいイベント、それは、大きな地震が起きるたびに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という文言をTwitterなどに冗談半分で書き込むことだ。
これの変形版の「大喜利」というものもあり、「毒」をいろんなものに変えて遊ぶ、という一連の醜悪な流れに、言葉を失った。

「朝鮮人が井戸に毒を入れた」恐ろしい言葉だし、とても容認できない。
関東大震災の時にこのデマが流され、多くの朝鮮人、中国人、そして地方から出てきた訛りのある日本人、ろうあの人、吃音を持つ人たちも集団リンチの被害にあった。
これは「愚かで無垢な人たちが流言をきっかけに暴徒となって起こした惨事」ではない。
日本国民の心の底にあった「朝鮮人への差別心」が、彼らを暴徒へ化したのだ。

この時、警察は形ばかり取り締まったが、後日裁判所に出廷した殺人者たち=名も無い市井の人々、は、ヘラヘラと笑っていたという。
罰せられるとはつゆほども思わずご褒美がもらえると思って出廷したのだった。

人間と思っていないのだ。
殺してもいい存在なのだ。(*1)

例え罰せられたとしても
「そういう噂があった。緊急事態だった。だから殺した。問題ありますか?(たかが朝鮮人の一人や二人を殺すくらい大したことはないでしょう)
と思っていたはずだ。

この()の認識なしには、起きていない事件であり、そのこと抜きに、この事件のことを軽々しく語ってはならない し、無責任にそういう言説を弄するものを私は軽蔑する。(*2

このようなことが起きた国で、反省もなく、「笑い、遊びの道具にする」感覚。
どこまで下劣なのだろう。信じられなかった。
でも、これがこの国の現実なのだ。

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話を戻すと、この時に、(前出)Cさんたちがハッシュタグを作ってTwitter上で「ハッシュタグデモ」を始めた。
いろんな種類のものを日替わりで流していたようだが、私が目にしたのは「日本民族はデマを流すのはやめろ」「日本民族は朝鮮人虐殺を扇動するのはやめろ」というものだった。(*3

このタグを使っている人たちは全くの善意、正義感から、だったと思う。
当事者の人もいたが多くは日本人のユーザーが、使っていたと思う。
そして、本気で、上記の「ハッシュタグを使って差別を遊びにする」人たちに対して怒っていた。


しかし、この時に、Cさんグループの中で特にフォロワー数が多く、強気に発言を繰り返してた日本人男性の「登川」氏に注意が及んだ。(*4



★次回に続きます。ゆっくりとしか、書けません。



[長めの補足]
C.R.A.Cの谷口岳氏が「ネットリンチ」「居場所系」といった矮小化した言葉で最近のTwitter上で起きたことを糾弾口調で書かれているのも拝読し、Twitter上でたくさんのいいねをもらっているのも見ましたが、とても危険なことだと思います。
事象の一部しか見ず、知り合いだから、フォローしているから、なんとなく名前が知られている人だからと、自動的に「いいね」をする自分こそが「居場所系」ではないのか、振り返ってみることが必要です。Facebookで他人を嘲笑している人たちも同様に。
そこで安易に使われている言葉、刺激的な言葉に騙されていないか、と。

無関係のようでありながら、実はこの件は野間氏の介入から始まっており、私は、「煽り」を続けているのはむしろあちらの方であるという認識です。
ただ、私はこの問題を、長期的、多角的に捉えたいので、特定の人を安易に責めないようにしたいです。

数ヶ月も、いえ、数十年にも渡ってこの国で起きていることの延長線上の話のため、慎重に書くつもりです。

また、この記事をここまで書くまでにも、私は何ヶ月もかかっています。できれば忘れたかったし、無かったことにしたいことだらけです。
そして時間をこのようなことに使いたくありません。この件に煩わされず、もっと生産的なことに打ち込みたいのです。
お恥ずかしながら、気持ちが落ち着かずに放置している仕事もあります。
でも、実際に関わった中で今Twitterを非公開にしていたり、アカウントを消してしまった当事者も多く、誰かが記録として残しておかないと問題の本質が見えてきません。

特に強調しておきたいのは、私に「野間易通」を批判するメリットは何もないと言うことです。
近しい人たちのことなども闇雲に批判したいのではありません。
書けば書くほど「反差別カウンター」界隈に嫌われ、ネトウヨに5chで晒されるだけです。そのことで個人情報を剥がされるリスクもあります。
それでもどうしても書いておかねばならないと思い、起きたことを確認し、(はっきり言って苦痛だしフラッシュバックもあります)、振り返りつつ書きました。

自分と反対の意見を述べている人が悪く見えるような(例えばtweetのスクリーンショットを切り貼りするような)安易な「印象操作」はしないように気をつけています。


(*1) 「九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」(加藤直樹/ころから)

「ほとんどの朝鮮人が『万才、万才』の声のなか、殺害された」(p89)「たくさんの子どもたちが無造作に書くほどに、当時、朝鮮人の殺害が珍しくなかった(略)そこに朝鮮人への同情や虐殺への疑問がうかがえる表現がほとんどない」(p131)
「『竹槍、鳶口及び棒を以て乱打し日本刀にて斬付け又は足蹴して』、あるいは『河中にて日本刀を以て後頭部を斬付』け…(p136)」「日本人被害者は、朝鮮人に間違えられたからこそ殺されたのだ。言いかえれば、犯人は、相手を朝鮮人と思って殺したのである。(p137)」

(*2) 野間易通は「関東大震災で朝鮮人を殺したのはあなたたちのような人です」(2021.8.27 Facebook)と、自分の意に沿わない人物を指してこのように書いています。

(*3) 「日本民族」についても多く批判が寄せられました。そもそもどのような人たちを指すのか?当然ながら、このような用語を使った時に抜け落ちる人たちはいないのか、また、「マジョリティがマイノリティを差別する」という単純化をしてもいいのか、という指摘もありました。

(*4) その後の彼が今どうなっているのか、皆さんに調べてみて欲しいからこの人物については名前を出しました。彼は、今はトランスジェンダーの人たちを毎日毎日、差別する発言を繰り返しています。

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