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在日と呼ばれたくない人で悪いですか 6

 【Zタグ論争の前にあったこと ② 】

続きが書けずにいたのは、Twitterでまた色々あってまた気持ちが削がれてしまったからだ。
最近私のフォロワーで、SNS上で個人情報を暴かれた在日コリアンの女性がいた。そして、何故かその方に対してバッシングが起きた。彼女を庇っている人たちも理不尽な誹謗中傷を受けている。(*1)
マイノリティ属性を持った彼女にとって、SNSでしか繋がっていない人物に個人特定をされることは、「あなたの家も調べようと思えば調べられますよ」という暴力的なメッセージにも取れ、例えそのメッセージを送ってきた相手の素性があとでわかったとしても、どこからその情報を入手したのか?が、まず気になる点であり、それが明かされないのは不安でしかないと思う。その「出どころ」の情報とTwitterで書いている内容が紐づいた時点で、濃密な個人情報になり得るし、流出の可能性も考えられるからである。
そして、その相手が、「声の大きい人物」ないしは「権力を持った人物」と繋がっていればなおさら恐怖感は強まると思われるが、何故か一部の人たちはそうは受け取らなかった。
彼女を批判している側は、今後起こり得るアウティングの可能性についても、一切危険視していないようである。
それどころか、まるで暴かれても文句は言えないといった内容のものや、大したことではないと言わんばかりの中傷があり、ため息しか出ない。

二次的な被害が大きくならないように、デマが広がらないように、周りの人たちは今静観をしているし、私も沈静化を祈っている。もちろん、「その気はなく」された行動だとしても。憶測からの一方的な「叩き」は許されるものでなく、双方が守られるべきである。
ただ、それでも私は「アウティング」をちらつかせた方をより批判するべき、という立場であるから、「声の大きな人物」が情報を扱うことを軽視することの怖さは言っておきたいし、届かない人に届けたいと思っている。




そもそも、私がこのnoteを書き始めたきっかけは「呼び名」について考えたことを多くの人たちと共有をしたかったからだ。

「名前」をめぐる問題(周縁化され、隠された名前、許されない自らの名乗り、名前の獲得、外部からの呼び名、名前と紐づけられる個人情報の意図しない流出=アウティング)は、マイノリティには常につきまとう頭の痛い問題である。
(新しい気づきや希望ももたらしてくれるが)
これに対してマイクロアグレッション、についての学びは不可欠だと思う。
とても繊細な事柄なので慎重に書いていきたいが、正直なところ、周りでこういったことが頻繁にあると地味に力を削がれる。
まさに、こういうところが「慢性的なマイクロアグレッシブなストレス」(*2) である。


それでもなんとか、拙いながらも書こうと思う。


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さて前回「在日」という言葉が「侮蔑語」としてとられることがある、ということに触れた。
私はその時はむしろ驚いたのだったけれど、あのやりとりから20年以上経過した今、この「在日」と言うキーワードは、「悪い噂」「侮蔑語」「言ってやることで相手を痛めつけられる言葉」として、悪意を持って、また、持たないまま気軽に使われるネットスラングのようになってしまった。


若い人たちが「在日なの?」とカジュアルに相手を見下したように使っている様子を、Twitterでも実際に何度か見て嫌な思いをしたことがある。

(言っておくが、私は「在日」を取り締まったのではない。これらの人は他に差別的なハッシュタグを使ったり、マイノリティに攻撃的な絡みをしていたためチェックをすると、それらのやりとりがあったのだ。そしてプロフィールや過去の発言を辿ると、十代の若者のアカウントだった、という例は残念ながら、とても多い)

「見下す」ために使われている「在日」という言葉。
これは文脈で「呼び捨て」の侮蔑語の類に入ると思う。悲しいことだけれど。(*3)

少しでも政治に「物申す」アーティストがいたとしよう。その人物のことをwebで調べていると必ず「在日」と出てくる。
事件があると、容疑者、被害者の名前とともに「在日」ではないかという憶測が流れ、政治家の名前とともに「在日」と来る。
安倍晋三「在日」なんてのもあった。

流石に笑ってしまう。
日本社会の皆様、「在日」を気にしすぎですね!
在日を恐れているようですけど、私たちの方が皆さんのことを恐れていたりしますよ、と言っておく。

笑ってしまうが、いやしかし、日本に暮らしている限りみなさん、あなたも在日である。
米軍だって在日であるし、数えきれないくらいのたくさんの在日外国人の人たちもこの国では暮らしている。
この矛盾と透明な感じ。つくづく難しい言葉だと思う。

だが、ここでは「日本に長く住んではいるが日本人と同等の存在ではない、二級市民で足を引っ張る存在だろお前らは」というヘイト感情が込められた「在日韓国、朝鮮人」を指す「在日」なのである。

では、直接的に在日コリアンを侮蔑して呼ぶ、差別語の「チョン」はどうか。
私は、弟と一緒にある文化イベントに行ったことがある。
そこで、オノマトペとしての「チョン」という言葉が司会の人から不意に出てきた。
司会者はその後、すぐさまニヤリと笑って、こう言った。

「これは、拍子木を鳴らすときの音で、ある国の方々を貶める言葉じゃないんですよ」と。


会場はつられて嫌な笑いに包まれた。

私は笑えなかった。いや、笑ったかな?動揺していたので覚えていない。
ただ、弟を見ると彼は声を出して笑っていた。それがとても悲しかったのを覚えている。


彼は、場に自分を同化させるしかなかったのだろう。

付き合っていた彼女に「帰化してくれないと結婚はできない」と言われ、1年近くも両親と共に書類集めに奔走した結果、ようやく日本国籍になったばかりだった。
その時に韓国風の漢字を一字、名前から捨ててしまった、弟。

それは彼の判断だ。私が口を挟むことではない。でも、寂しかった。

彼は改名したことを直接私には言わなかった。
会場入り口の芳名帳に、私が子どもの時から見知った、難しい漢字の名前を黙って書いた。
祖母が呼んでいた韓国名、もうなくなってしまった名前。

「チョン」という言葉は、確かにあの場では差別語としては機能していない、ただのオノマトペだった。

ただ、司会者のあのエクスキューズがあったこと、周りが笑ったことで、オノマトペは再び意味をまとってしまった。ただの音だけではない、私たちを苦しめる概念として、それは薄笑いの気まずい空気の中にぽつんと浮いていた。





(*1) この件に関しては詳しく知らない周りの人間が騒ぎすぎると問題が大きくなるため、詳しくは触れない。が、私は野間という人物が私たちに絡んできた最初の時から関わっていたし、今回も当事者の人と直接話した内容から感じたことを書いた。

(*2) 「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」(デラルド・ウィン・スー/マイクロアグレッション研究会)

(*3-1 ) 「在日は侮蔑語、というのがよくわからない」と仰っていた私より歳上の在日コリアン3世の方とお話して、ネットスラングのようになっている状況をお伝えしたところ、『世代によって言葉の受け取りは違うでしょうし、(略)特に他称の「在日」の意味は悪化しているのかもしれません。そのようにしてしまった責任を感じています』というお返事を頂いた。
これは、その方が謝るものではない。日本社会の問題なのだから、と私は思う。

(*3-2 ) 本来、侮蔑的な意味を持たない、名乗りとしての「在日」という語の発生や歴史についてはいつか書きたい。あくまでも、2021年時点での、民族教育を受けずに日本で生まれ育った私の感覚で受け止めた「侮蔑語」となる部分を考えてみた。全ての当事者の人で受け止め方はもちろん違う。私は違和感をずっと持っているため、一度文章化してみたかったので書いた。

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