見出し画像

映画「君の忘れ方」鑑賞後記

いろんな人がいろんな死に方で私の前から消えていった。母の時はとても悲しかったが、父の時は平常心だった。でも父と同居していた姉は取り乱しうつになっていた。

人は死ぬ。いつか死ぬ。私もそうだ。
私たちは近しい人が向こうの世界に旅立った時、涙の海に沈みがちだ。あぷあぷと顔を上げ呼吸をするのが精一杯だ。

私にはあの世界に行った恋しい人は現れてくれなかった。布団に潜ってただ泣くだけ。

でも、「君の忘れ方」の主人公は何故か泣かなかった。むしろ怒りをぶつけていた。誰に?彼女の死に何もできなかった自分にか。

私は同級生と親戚たちが自死したとき、自分に何かできることがあったのでは?と考えた。しかし考えたところで死者は戻らないのだ。

彼らを成仏させるには、生きている私たちが「生きる」ことだ。良く生きたりはしなくていい。私が私を生きればいいのだ。それは自分自身を救うことにもなる。

10年20年生きるうちに新しい出会いも数多くある。恋もするだろう。そしてその人たちのことを思い出す頻度は減っていくだろう。でも忘れてしまうことはない。

グリーフケアはかなり前から知っていた。
そのままのその人を受け入れる。悲しみごと受け入れる。悲しみは悪いことではないから。悲しみの沼から岸に上がるのには時間と体力がいる。

主人公が結婚式用の写真を葬儀用にするところが一番悲しかったと思う。静かな悲しみ。主人公はなぜ泣かなかったのだろう?


いいなと思ったら応援しよう!