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なにかの象徴でも概念でもない。ただの人間

差別の境界線って個人的には
相手のことを《一人の人間》として見ていて
向き合っているかどうかだと思う。

人間として当たり前なことだけど
自分が相手に何かを伝えたり意見する時は
必ず主語が《自分(I)》で相手のことは
《貴方(You)》でなければいけない。だから
《貴方(You)に対して、自分(I)はこう思う》
からずれた時点でそれはもう差別になる。

「普通は・世間的には・一般的には」とか
「大体の人は・自分達は」って言い方は
主語がもう《自分(I)》ではないし、なにより
相手のことをセクシュアルや国・性別・年齢で一括にした言い方・呼び方は相手のことを《一人の人間》として見てない…相手と対等に一対一で向き合ってない時点で差別。

「世間的に・常識的に・普通は」
とかだって、それを思っているのは
《世間や常識》ではなく《貴方自身》だし、今目の前にいる《相手》は一人の人間で
《概念》でも《記号》でも《もの》でも
《何か(セクシュアル)を象徴する存在》でもない。これだけは他人と少しでも関わる上で絶対に忘れちゃいけないことだと思う。

セクシュアルやマイノリティに対して
勝手なイメージや決めつけを押し付けたり
謎のマウントを取ったりする人の思考が私は理解ができないし、そもそも人の生き方・考え方・在り方になんでもいいから何か言いたい口を挟みたい神経が理解不能…
危害を与える訳でもモラルに反してる訳でも犯罪を犯しているでもないのに。別にそれぞれの自由で良くない?その人の相手の人生なんだし。関係ないじゃん。

「何でもかんでも差別、差別だ~」とか未だにふざけたこと言ってる時代遅れな人もいるけど心の中で一人で勝手に思ってろよ、だし間違っても絶対に1ミリたりとも表に出すなよって…気に食わないなら関わるな、無理なら黙ってろって思う。

心当たりがあろうが、なかろうが自分の中の
当たり前や考え、認識・言動を
改めたり振り返ったりすることは大事だし
なにか疑問や不満に思うことがあるなら
その都度、自分で調べて、自分の目で見て
耳で聞いて、自分で知識を身につける。
誰かと関わって生きる上で当然なことで必要なこと。相手の話をきちんと聞いたりもそう。まず大前提として一人の人として相手と接する。無知が一番良くないし
無知が差別や人を傷付ける。

私自身もまだまだ言葉足らずで間違った
認識や知識もあるだろうし、知らないことも沢山あるから、もっともっと色んな話を聞いたり自分の目で見て沢山学びたい。
無知な人間には絶対になりたくない。