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ブラックは苦すぎるからとろけるアイスクリームをおくれ
以前にも書いたが、ブラックコーヒーが好きではない。飲めなくはないが、好んであのどぎつい黒と強い香りの液体を体内に注ごうとは思えない。カフェオレや、ウインナーコーヒーになって初めて受け入れられる。特にただでさえも黒いのに、屈託のない真っ白な器に入っているというそのコントラストがきつい。まるで、人間を皮肉っているかのようだ。
お察しの方もいるかと思うがあまり白黒つけるのが好きではないし、つけられるのも好きではない。
出来ることなら曖昧に誤魔化していたいし、はっきりとしたくない。
そうは思っても、人はありとあらゆるものをはっきりとさせたがる。
神はグレーゾーンに宿る
敵か味方か、天国か地獄か、賛成か反対か、やるかやらないか。
目を背けたくなるほど白黒はっきりつけることを迫られる場面があまりにも多すぎる。敵のような味方も、味方のような敵も生き残らなかった、というたったそれだけの意味なのかもしれない。
以前は曖昧な人を許せなかった。どこか良いとこ取りをして、曖昧な意志から人を惑わし、ずる賢く立ち回っている人だと思っていた。もちろん、今でもそう思わなくはない。
でも、そんな曖昧さが人を癒し赦すんじゃないかと思う。
仕方なかったんだ。
誰もが、組織に、環境に、集団に背中を押され、この極端という地獄に足を突っ込む。お前はどっちなんだ選べ、と。成功すれば英雄として地に足がつかなくなるまで持ち上げられ、失敗すれば二度と立ち上がれなくなるくらいまで罵倒の嵐を浴びさせられる。
選ばなければ集団から追放されるし、集団内の「不正解」を選んでも追放される。集団を追放されるのはすなわち死に等しい。集団内の「正解」を選べるものしか集団で生き残らなかったのだ。そしてその選択の結果が、「戦争」であり、「絶交」だったり、「失恋」だったりする。
そう、誰も悪くなかったんだ。
もし、賢明な判断で白とも黒ともつかない意見をとる人がいたなら、そもそもその人は生き残れなかったんだ。
極端な意見をもしぶつけられても、それはあなたに言っているのではない。環境に背中を押され、「私は集団の一員です!どうか仲間外れにだけはしないでください!」と、背後で舌なめずりをする集団という化け物に怯えながら言っているだけなのだ。許してとは言わない。許すなとも言わない。
もう一度言う。仕方なかったんだ。