変わったこと、変われなかったこと
この半年間は今後世界の歴史の教科書に大きく取り上げられるような激動の時代であったと思う。私にとっても激動であり変化の多い半年であった。これからその半年間を振り返ってみようと思う。
まずコロナがこんなにも恐れられる前、私は中国でコロナウイルスが発症し始めたというニュースがでた2月あたり今後日本でも流行るだろうなあと漠然と考えていた。しかし、新型インフルエンザと同じくらいに考えていたし、それによってどんなに世の中変わるかなんて全く考えていなかった。どこか他人事に捉えていたのだろう。実際私は2月後半に2回国内旅行に行っていたし、ディズニーランドにも行っていた。対してコロナを気にせず、今から考えるとあり得ないがマスクをつけずに遊んでいた。しかし、その考えや行動は3月からの状況を受け変化し始めた。小中高の休校が決まり、送別会や遊びの約束はどんどんキャンセルになっていた。それに伴い私も外出を控える様になり、それは今でも続いている。そんな中で大きく変化したものが2つある。
家族のための健康
コロナで大きく変わったことの一つに家族の健康を考えるようになったことがあると思う。外出自粛を今でもしているのは社会に求められているということももちろんあるが、個人的には家族のためという理由が大きい。私の両親は60歳近くコロナにかかってしまったら重症化するリスクが高い。それに加え父親はヘビースモーカーのためかかってしまったら重症化まったなしだろう。その逃れられない事実を考慮した結果、私は家族の健康のため不要な外出を控え、健康を保つ様に努力する様になった。
今までの私といえば休日で予定がなければ昼まで寝ているし、授業にもよく寝坊していたが、4月の後半のサブゼミで“7時に起きて時間を有効活用する!”という目標を立ててから24時に寝て7時に起きるというサイクルをできるだけ守るようになり、それに加え運動を毎日行うようになった。改めて考えると高校生の時は当たり前にやっていたことなのだが、大学生になり不規則な生活を送っていた私には結構難しかった。そして大学生になってから体調を崩す回数が多くなった理由が不規則な生活であったこと改めて感じ流ことになった。
運動は朝はサイクリングを、夜はストレッチをするようになった。最初は散歩をしていたのだが、移動できる範囲が狭く景色が変わらなくて飽きてしまったので他に何かないか考えた結果がサイクリングだったのだが、この暑い夏でも風を感じられるからそこまで苦ではないし、同じ人の後ろを長時間ついて行くこともないから飛沫をそんなに気にしなくても済むし、街を散策できるしといった感じでいいことばかりなのでとても気に入っている。
ストレッチは長時間zoomをするようになってから腰が痛むようになり、それを軽減させる為に反り腰と猫背を直そうと始めたのがきっかけだが、今ではすっかりルーティーンに組み込まれている。そんなこんなで健康に気を使い始めた私は長年共にした脂肪を手放すとともに体調を崩すこともなくなった。
こんな健康マニアのような生活を送っている私だがコロナ以前に家族の健康をあんまり気にしたことはなかった。ましてや家族の健康の為に外出を控えたり、自分自身の健康に気を付けるなんて事は考えたことはなかった。以前の私は風邪は誰が持ち込んだのかわからないし、インフルエンザにはかかったことがないので自分がウイルスを持ち込んだらどうしようなんて感覚は持っておらず、うがいすらまともにやっていなかったのだから、だいぶ変化したなと自分でも思う。
ツールとしてのオンライン
そして2つ目はやはりオンライン化である。今現在自分で家族のことを考え外に出ないという選択ができ、それを社会や組織が認め、インターネットで繋がる世の中になっている。4年生になり一応就活をやっているのだが大半の会社は説明会も面接もオンラインで受けられるし、大学の授業も対面授業が開始された時自身の判断でオンラインを選択する権利が学生に与えられていた。分断されてから人それぞれの生活や事情があることが見えてくるなんてどんな皮肉だよと思うが実際こんなことがなければ社会がそういった配慮をしだすのはもっと遅くだったと思う。
実際急激なオンライン化からこぼれ落ちてしまう人がいないように大学はとても配慮していて、パソコンを貸出したり、通信が悪くて授業を聞き逃すことのないようにライブ配信で行う授業は必ずyoutubeに残すことが求められた。
そんな動きを見ている中でこの半年はダイバーシティを実現する為の制度や風土はもちろんだが何よりツールの重要性をより強く感じた。スマホがなければ、パソコンがなければオンラインという選択が無くなってしまうのだ。自分が同じように家族にコロナを感染させたくないと考えていても、スマホしかデバイスがなければリアルとオンラインの選択があった時リアルを選んでしまうかもしれない。そしてzoomを使いこなせなければ集中して授業を受けることはできない。ツールは組織にも個人にも求められていた。
実際の私はパソコンもタブレットも持っている為オンライン生活を選択し続けているのだがこの半年間私の生活の中の様々なものがオンライン化した。大学、飲み会、ライブ、ショッピング。どれもコロナ以前にはリアルであることが求められ、そこに大きな価値があったものたちだ。しかし、オンラインは思ったよりもいいものだった。大学だけで言ったら往復3時間近くかけて学校に行かなくていいし、授業中周りは騒がしくないし、画面の表示上先生とのマンツーマン感が出るから集中することができる。ゼミでは普段だったら参加できないO G・O Bの方やゼミに繋がりのある方が全国から参加してくださるし、毎回ゲストの方が来られてアトリエタイムができるのもオンラインならではだ。今期からサブゼミを毎週行いゲームをしたり新しいツールを試したり、レンカフェの店番中に喋ったりしてゼミ生同士の交流も去年の今と比べたらだいぶ多いだろう。
オンラインに向いてない
しかし、そんな素晴らしさを感じながらも「自分オンライン向いてないな」とふと思うことがある。ゼミや授業を受けている時間にはあまり感じないのだが、空いた時間にふと感じる。文字で書くよりも喋る方が好きなのもあって元々マメに連絡を返すタイプではなかったし、面倒くさがって色々と後回しにしてしまうこともオンラインに向いていないと感じてしまうこともある。それはオンライン化が進むずっと前から直さなきゃいけないと感じていたのにだ。オンラインマジ楽しいというブログを書きたかったが心の底から思っていないことを残してもしょうがないのでやめた。
何でこんな風に感じてしまうのだろうと感じた時、去年の自分と比較してしまっている自分に気づいた。去年の自分はゼミに入ったばかりということもあって結構活発に活動していたし、ただただ新しい環境を楽しんでいたように感じる。カレンダーは授業と越境とバイトとサークルでギッチギチだったが、全て好きでやっているものだったから苦に感じなかった。今はスケジュールも心にも余裕があるし、自分の時間がたくさん取れているが何となく刺激がなくてつまらない。
今と前の時代の面白さは違う。そんなことは頭でわかっていてもまだ心のどこかで去年の自分を追い求めていて、オンラインに慣れるのと裏腹に心は変われてなかったのだ。
しかし、これからのwithコロナ、afterコロナの時代完全に以前のように戻ることは多分ない。何たってオンラインに向いてないと感じる私でさえもオンラインの素晴らしさに気づいてしまっているのだから。
それならオンラインに慣れるだけではなくオンラインが面白くてしょうがないと感じるほどやりきってまた来る新しい時代に備えよう。ツールをいかに使いこなすかは個人と組織に任せられているし、ゼミの場では私は運営側でもあるし参加者でもある。どちらからの視点でも楽しむことができるはずだ。
この半年で体調を管理できるようになったし、オンラインにも慣れてきた。
後期はどうやってこのオンラインの環境を楽しもうか。