平等と均一は違う
知的障害者の方がコンビニでレジの担当をされていたらあなたなら端数の計算がしやすいように出しますか?それとも普通にお札だけを出しますか?
知的障害者だからと計算しやすく出すのは差別になると思いますか?
これは以前知り合いから言われた言葉で自分の中で答えが出ずに引っかかっていた言葉だ。しかし、今回のカフェゼミで話を聞いていてようやく自分の中で答えが出すことができた。。
先週行われたカフェゼミでUNROOFという知的障害者の方を多く雇用されている革小物の製造、販売をなされている会社の代表取締役である中富紗穂さんのお話を聞かせていただきました。UNROOFでは戦力として障害者の方を採用し、革職人としてのスキルを身に着けてもらいながら障害者雇用のロールモデルとなり、企業が障害者も健常者と同じように戦力としてみるような社会にすることが目標だとおっしゃっていた。
現在企業は労働者の2.2%に相当する障害者を雇用することが義務付けられていますが、なかなか進んでいないのも事実であり、採用していたとしても仕事が限定されていることが多いようで、そのような企業が障害者を採用しづらい理由の一つにその方をサポートする人を雇用しなければならず、コストがかかってしまうというのがあるようだが、私はそのことに対して少し違和感を覚えた。「サポートする人を雇用しなければいけない」、「障害を持っているからこれしかやらせない」という考え方はまず障害を持っていることは特別なことだと思っていないとできないし、健常者と障害者は全くの別物と考えているという風に感じた。私だったらそんな考え方で自分を採用する会社では働きたくないし、そんなに激しい特別扱いはしてほしくない。
わたしは最初の問いと合わせて「平等になるための不平等」は差別なのか?そう考えみると障害者の扱いの問題と同じようにSDGsの取り組みの一つとして自分にとってすごく身近な男女平等のことでも女性を会社の役職に就かせようという動きが増えてきていますが、同じようなことが起きていると思った。女性だからという理由で役職に就きたいわけではなく、仕事ができるから、まかせてみたいという理由で選ばれたい。なんならそうやって女性の役職の比率を上げるために女性だけの中から選ぶこと自体まだ差別していると思う。
しかし、企業は何かしらの指標やそれによる罰則、社会的に立場がよわくなるなどの自分たちに不利益にならないとその問題を解決しようとはしません。障害を持っていても普通に会社で働けることが、女性でも昇進できることが当たり前の世界になるためには必要なことなのだと思う。
自分のカテゴリーだけで判断されるのではなく、自分自身で判断されるもっと平等な社会になるための取り組みとして障壁を無くすために2つとも行われているが、、本当に平等な社会になるためには、同じ人間としてフラットに評価することだけではなく、全員に同じような扱いをすることではなく、一人ひとりに合わせて対応することが平等なのだと私は感た。
今回のカフェゼミで中富さんのお話を聞いて私は最初の問いはそれは差別ではなく、その個人に合わせて対応しただけの平等な行動であり、苦手なことに対する負担を減らしてあげようと配慮することは友達同士でも普通に行われる当たり前のことだとという答えに辿り着くことができた。普通に考えたら辿り着けそうなのに時間がかかったのは自分の中で平等=均一という考え方があったからだと思う。これは正直ショックだった。
均一ではなくムラがある平等な社会というのは矛盾していそうだけどそういう社会で生きていきたいし、そういう社会を目指したい。