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くらげの『ePARA クロスライン-ボクらは違いと旅をする-』旅行記 ~聴覚障害者として参加して考えたこと~

ことの始まり

7月半ばに株式会社ePARAの社員であるH氏からLINEに「くらげさん、10月の予定はいかがですか」という連絡があった。

ePARAとはeスポーツを通じて障害者が自分らしく、やりがいをもって社会に参加する機会を作り支援していこう、という目的で設立された会社で、私も立ち上げ直後からちょこちょこ縁があって何度か記事を書かせてもらったり、イベントに参加したりしている。

そういうわけでH氏から連絡が来るのは珍しいことではないし、10月になにか大きなイベントがあるから取材に来て欲しいだとか、記事を書いてくれ、という依頼だと思った。「10月ですか、特に今のところ予定が入っていないです」と返信したら、「じゃ、10月15~17日を空けておいてくれませんか、岡山行きません?」という。それが私の『クロスライン-ボクらは違いと旅をする-』の始まりであった。

「クロスライン-ボクらは違いと旅をする-」の説明
「クロスライン-ボクらは違いと旅をする-」の説明

『クロスライン-ボクらは違いと旅をする-』とは

『クロスライン-ボクらは違いと旅をする-』は一般財団法人トヨタ・モビリティ基金が主催した「誰もが自由に移動し、自分らしくいられる世界を目指して」というテーマのアイデアコンテスト『Mobility for ALL - 移動の可能性を。』に採択されたプログラムである。

大まかな内容としては「スポーツを活用して、障がいのある方自身がモータースポーツの世界を疑似体験し、観戦を楽しむこと」という活動を軸に障害者自身がさまざまな旅を行い、それを通して気づいたり発見したりしたことを発表する、というものである。

一般的に言って「障害者」と「モータースポーツ」というのはあまり縁がない。細かく見ていけば「下半身不随のレーサー」とか「聴覚障害のあるラリー選手」などはいるが、目が見えなかったり肢体不自由があるとそもそも運転が難しい人も多い。

聴覚障害のある私自身は運転免許は持っていて車を日頃から運転はしているし一応は聴覚障害者専用の短大で機械工学の勉強をしていた。それに祖父が聴覚障害をもちながらある自動車工場の工場長を務めた経験があるというのもあって、自動車については一通りの知識はあるが、それでもレースとなると敷居が高い。実況や解説が聞こえないので「何をやっているのか」がわかりにくく、スポーツとして楽しむのが難しいためだ。

つまり、障害者とモータースポーツの間には「自動車そのものに興味を持ちにくい」のと「レースとして楽しむのが難しい」という二種類の壁があることになる。もちろん健常者でもこの2つの壁を超えられない人も多いわけだが、障害があるとその壁に向かおう、という気にすらならないことが大半なのではないか。

『クロスライン』では30名を超える障害者が数ヶ月に及ぶ事前研修でゲームなどを通じて自動車やレースに親しみ、10月15~17日に岡山に集まって『iRacing』というレーシングゲームの大会を行ったり、岡山国際サーキットにいって実際のレースを観戦を行う。このような取り組みを通じて「障害者とモータースポーツ」の壁を取り除くための礎になる、というようなものである。

『クロスライン』はさまざまな障害のある方々が集っており、それぞれに障害の種類や困りごとは本当に多種多様だ。そのため、一人ひとりが感じたこと差が大きいためこの「旅」がどういうものだったかの統括は難しいだろう。この記事では「聴覚障害者としての立場」から参加して感じたことを書きたい。

クロスラインの日程
クロスラインの日程

『iRacing』の事前研修

そんな事を書いているが、申し訳ないことに事前研修はほとんど参加できていなかった。毎週、Discordによるチャットやオンラインによるゲーム指導などがあったようだが仕事が忙しかったのと音声によるチャットはやや負担が重くなかなか参加できなかったのである。どのような事前研修が行われたかは以下の記事に詳しいのでぜひ読んでいただきたい。

それでも事前研修として9月末に品川で開催された『iRacing』の体験会には参加した。iRacingとはオンラインレーシングシミュレータの一種で世界中のサーキットを精密にシュミレーションができることがウリだそうだ。

このゲーム(正確には違うようだが便宜上ゲームとする)で実際に行く岡山国際サーキットをハンドルとブレーキ・アクセルペダルを利用して走ってみることで事前にサーキットに対する理解を深めたり、15日に行われるレース大会の練習を行うために行ってきたが、まず真っ先に思ったのが使用されるハンドルもペタル類もリアルででかい。聞けば肢体不自由の人も視覚障害の人もこれを使ってタイムトライアルを行う、ということで「マジかよ」となってしまった。

iRacingに挑む筆者
iRacingに挑む筆者

私は普段から運転はしているわけで、今回のゲームの設定もATなので流石にそれほど困らないだろう…と思ったら走り出した矢先にクラッシュした。まぁ、レーシングカーをシュミレーションしているわけなので、普段運転している非力な軽自動車とは感覚が違う。気を取り直してリセットして走り出したが、カーブでスピンしたりコースアウトしたりと全然上手くならない。一度、車いす利用者と交代して休憩している間に他の人の運転を見ているが、どうも「音」である程度スピードコントロールをしているのではないかということに気づいた。

運転中は必ず人工内耳・補聴器などをつけているが、どうもゲームだとその音が聞こえにくいというか小さいというか、耳から入ってくる情報量が少なく、適切なタイミングでブレーキを踏んだりハンドルを回すのに慣れるまで時間が必要な感じがあった。そういえば今の車を選ぶ際にいろんな車をレンタカーで借りたりして乗り比べて一番しっくり来たのが軽バンだった。あまり静かで振動がないと逆に不安を感じるところがあって、普通はやかましいとかチープとされる軽バンのほうが良かったのだろう。こういうところで「ゲームに対するハンデ」のようなものが発生するというのは普段は気づかないのでなかなか興味深く感じた。

意外とiRacingが難しくて呆然とする筆者
意外とiRacingが難しくて呆然とする筆者

岡山1日目

さて、時間は飛んで10月15日の当日である。家族の事情で東京から車を運転して岡山に行くことになったが、道中でトラブルが起きて大幅に遅刻してしまった。会場についたときには既に大会が始まっていてちょうど私の出場予定時刻となっていたので息をつく暇もなくゲームを開始。一回目はヘアピンカーブでクラッシュしてしまうが、2回目はスピードを落としてなんとか走り抜いた。9時間以上運転してきたあとにレーシングゲームというのもなかなかヘビーなものである。

遅刻して到着した直後にいきなりタイムアタックに挑む筆者
遅刻して到着した直後にいきなりタイムアタックに挑む筆者

席に戻って一息ついてレーシングゲームを見ていると、肢体不自由の人でも片手だけとかペダルを手で操作するとかで一人ひとりが工夫して私より速いタイムで駆け抜けていて驚いた。肢体不自由の方向けにカスタムされた車はあるわけなので当然運転できる人も多いんだろうけど、身体に麻痺がある方や震えが出る方でも運転にチャレンジできるこということは「ゲーム」だからこそできる可能性である。

片腕が自由にならない状態で筆者より好成績を叩き出したゲーマー
片腕が自由にならない状態で筆者より好成績を叩き出したゲーマー・ひだりぃさん

大会の後、ある脳性麻痺のある方と話したのだが、「これまで車は自分に関係ないものだと思っていて今回ゲームをやってみて初めて車に興味を持てた」といっていて、こういう「興味を持つきっかけ」になれるというのが本当に「クロスライン」の目的の一つは達成しているのだなと感じた。

しかし、個人的に一番驚いたのは白杖を使うレベルの弱視の方が非常に速いタイムで走っていたことだ。説明を聞くとかすかに見えているコースと音を頼りに状況を判断しているようだが、自分とは真逆というか、視覚情報がない状態でレーシングゲームを行う手段が全くわからないし想像もできない。我々は「障害者」という一言で表現されることが多いが、その中のギャップは健常者以上のものがあるのだろう。

弱視のレーサーがサーキットを二週完璧に走りきった
弱視のレーサー・いちほまれさんはサーキットを二周、完璧に走りきった

ホテルに戻ったあと、岡山放送株式会社が「情報から誰一人取り残されないモータースポーツ観戦を目指す」というテーマで行ったモーターレースのオンライン手話実況の動画を見る。詳細はここで見ることができるが、注意が必要なのは「手話通訳」ではなく、「手話による実況」ということだ。

普段は声の強弱や声音で感情や盛り上がりを伝えることができるが、聴覚の障害があると声からそういう情報を受け取るのは難しい。また、手話通訳で使われる手話というのは正確であるのだが、ろう者が使う手話ほどに感情などの情報を提供できているわけではない。この手話実況を行うのはろう者の早瀬憲太郎さんで、長期にわたってレースを研究してきたという早瀬さんの手話実況は迫力のあるものであったし、モータースポーツに限らずこのような迫力のある手話実況があればスポーツに興味を持つ聴覚障害者が増えるし、2025年に日本で開催予定のデフリンピックの盛り上がりも増していくのではないだろうか。

岡山2日目

翌日16日は自力で搭乗できる人は観光バスに乗り、車いすなどを利用している方々は福祉タクシーなどを使って岡山国際サーキットに向かう。運営側は時間調整などでかなり大変だったようだ。

当初は雨で冷え込むことも危惧されたが、現地は青空が広がる晴天でむしろ汗ばむくらいであまり体温の調整が苦手な方が大変だったようである。サーキットの観戦席まで向かったが、坂が急だったり階段の幅が狭い上に手すりがなく、普通の人でも移動が大変そうだと思った。実際、足が悪い方は観戦席についた時点でかなり疲れているようだった。

到着した時点ではレース直前でサーキットにはレーシングカーが並んでいた。私は字幕アプリである「UDトーク」を利用して観戦するためスマホでUDトークを使おうとしたが、スマホだと手に持ったまま観戦しなくてはならず腕が疲れる上にメモが取れない。

いろいろ試したところUDトークはブラウザでも見ることができるので、PCを開き二画面に分割して片方でUDトークを開いてもう片方でメモアプリを開いて使うことにした。

スタートを待つレーシングカーたち
スタートを待つレーシングカーたち

レースが始まると想定以上に轟音がすごい。このレースは市販車を改造したものが出場するクラスだが、それでも何台も凄まじいスピードで走っていると人工内耳や補聴器をつけたままだと一瞬で頭が痛くなるのであわてて外したがそれでも体全体に音が響いたし、誰が何を話しているか全くわからない状態になった。感覚過敏があってイヤープラグをした上にイヤーマフをしていた人もいるようだったが、大丈夫だったんだろうかと心配になる。

レースの実況解説は別のチームがオンライン上でUDトークの自動字幕作成→校正の流れで作っているのだが、非常にスムーズに字幕が流れてくる。レースは本当に一瞬で状況が変わるため、字幕が大幅にずれているとイライラしてしまうところだが、それほどのタイムラグは発生してなくてストレスを感じることはなかった。あとから聞いたところでは、UDトークの変換機能の調整をかなり綿密にやっていたらしく、自動的に文字にするところであまり詰まりがなかったようだ。いい仕事をしてくれてありがたいところ。

しかし、PCの画面とサーキットを同時に見るのは難しく、顔を上下に動かして視線を移動させることが多かった。最近はAR/VRゴーグルが安価になってきて、先日一般販売された透過式ARゴーグル『Nreal Air』や透過式ディスプレイ『Rælclear(レルクリア)』ようなガジェットで字幕とレースを同時に見ることができるとよりレースに没頭できるのではないかと感じた。

観戦中、スタッフから呼ばれて「SOUND HUG」という機器を使用して欲しいという依頼があった。「SOUND HUG」とは子どもが軽く抱きかかえられるサイズの振動するスピーカーで、音の種類に応じて細かく振動が変わったり色が変化するというものだ。

以前から存在は知っていたが、実機を試すのは初めてである。軽く説明を受けたあと早速触ってみるが、身体全体で感じる響きよりもかなり細かく振動が分かる感じであった。具体的にいえばエンジンの音の響きはSOUND HUGを使わない場合はだいたい左右15度ずつとそれほど広くないが、SOUND HUGを使うと2倍以上の角度で感じることができる。

また、かなり細かい音も拾って表現できるようで、慣れればかなり細かい音声情報も(振動という形ではあるが)拾うことができるだろう。ただ、本来は暗いコンサート会場で使うように設計しているもののはずなので明るい観戦席ではあまり色の変化がわからなかったのがちょっと残念であった。

SOUND HUGを抱える筆者
SOUND HUGを抱える筆者

これを触ってずっと観戦していたかったが、他のプログラムもあるので途中で中断してサーキットから他の展示などを見て回る。途中で別な聴覚障害者の団体と出会ったので手話で話したが、健聴者がエンジン音で四苦八苦する中、手話でスムーズに話すことができたので、こういう爆音がするところでは手話とまではいかなくてもハンドサインを覚えておけばコミュニケーションがかなりスムーズになるのではないだろうか。

ブースを回っていて一番すごいなと思ったのが備前焼で岡山国際サーキットコースを再現したもので、視覚障害者がこれを触ってどういう構造になっているかなどを確かめているのが興味深かった。SOUND HUGも触覚に頼るデバイスであるが、視覚障害と聴覚障害で触覚の使い方がだいぶ異なるのも面白いところである。

備前焼サーキット
備前焼サーキット

この日は15時半くらいにバスに乗って岡山のホテルに戻る。正直、もう少しレースを観戦していたかったのだが、疲れているメンバーも多いし、福祉タクシーの準備に時間もかかりそうなのでこのくらいが限度なのだろうか。

岡山3日目

最終日の17日はホテルに集まり「カスタマー・ジャーニー・マップ」というものを作るためにグループ分けしてディスカッションを行う。細かい内容はあまり聞き取れないところもあったが、いろいろな発見や気付きや感動があったようである。個人的にはもう少し事前研修から参加しておけばよかったという反省もあるが、さまざまな聴覚障害の支援に関する見識を深められて大変楽しい時間となった。

グループワークに挑む筆者
グループワークに挑む筆者

課題があるとすれば、レース以外でのイベントやディスカッションのときにもなんらかの情報保障があるとよかったとは思う。私は人工内耳や自前の字幕装置などを使ってカバーできるが、他の聴覚障害の人がいたら楽しめない時間が長かったし、他の障害者とのコミュニケーションが大変だったはずだ。

それにしても、この3日間は多種多様な障害者が多くて、運営側もかなり大変なようであった。この企画の旅行の部分をガイドしていたのはJTBのスタッフだったが、スタッフに「こんなにさまざまな障害者が集まる中でのツアーは大変だったのでは」と聞いたら、「皆さんとてもパワフルで想定していた障害者と全然違っていい刺激になりました」というコメントがあった。この旅は障害者だけでなく、この旅を取り巻くさまざまな人に良い影響や経験を与えたようだし、それをきっかけに他の取り組みや企画に波及していけば嬉しい。

13時頃に解散し、東京に向かって運転して、途中で休んで翌日の夜に帰宅した。とても疲れたが充実した旅であった。参加者・関係者の皆さま、本当にお疲れさまでした!

最後に撮影した集合写真
最後に撮った集合写真。皆さまお疲れ様でした!


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くらげ
妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。