
2022/07/07 乙武ひろただ応援リレー演説原稿
皆様、お疲れ様です。
私は作家・ライターをやっているくらげと申します。
今の妻とのやり取りを描いた「ボクの彼女は発達障害」という本を書いていて、これはシリーズ計3万部売れました。まぁ、五体不満足に比べたら取るに当たらない数ですが、「明るい障害者に関する本」を書いた、という意味では乙武さんと近いところにいるのかな、と勝手に思っています。
さて、本日は「諦めない」ということをテーマに乙武さんの応援演説をさせていただきます。まずは私の話からさせてください。
私は、いまでこそ人工内耳の手術をしてこうやって話せていますが、聴覚障害があって、おとなになってからADHDがあることが発覚しました。
そういう意味では、間違いなく「生きにくい」人間です。なんとか妻や周囲の方々、社会福祉制度に支えられ「自立」することができています。そして、社会制度が大きくガラリと変われば、私の生活基盤も大きく変わってしまいます。
今はなんとかなっていても、政治が変われば、ダイレクトに私や家族の生活が崩壊してしまうという怖さを常に持っています。
社会的なマイノリティというものは「普通の人」よりも政治や社会の変化に敏感に揺れ動く存在といえるのではないでしょうか。
この「おそれ」、自分ではどうにもならないことで生活基盤が破壊されてしまう「おそれ」が私を政治というものに直接向かい合わせる原動力になっています。
私は、障害者にとって「悪いこと」が起きないように努力したい。それを諦めたくないのです。それをあきらめることによって、「人生」を諦めたくないのです。
さて、「多様性」という言葉が世間にはあふれている。「多様性は大事」「多様性を認めるべきだ」などとよく聞くようになりました。
しかし、「多様性」を持つ人がどれだけこの社会で表舞台に立つことができているでしょうか?むしろ、既に存在しているさまざまな人々を「多様性」という言葉で改めて「発見」しなければならないのが今の世の中ではないでしょうか。
皆様は障害者という人の数はどれくらいだと思いますか?国が把握しているだけでも、身体障害者が約430万人、知的障害者が約100万人、精神障害者が約400万人です。あわせて約1000万人、日本の10人に一人がなにかの障害を持っていることになります。
また、この数に含まれない「困りごとを持った人」の数はそれ以上になるでしょう。
しかし、こんなに大勢の障害を抱えている人がいるのに、政治家はこの「障害者」にそれに見合った熱意で向かい合っているでしょうか?その答えは明確のノーです。
それはなぜか。障害者の社会参加、とりわけ政治活動への参加は難しい。
また、障害のある政治家はそうでない政治家に比べると驚くほど少ない。特に国会では両手に余る数の議員しかいません。それでは、血の通った障害者政策が政治の場で議論されることがなくても当然でしょう。
乙武さんは、単なる「政治家」ではありません。さまざまな、多様な皆さん自身のための政策を掲げています。「皆さん」そのものの代表であろうとしているのです。
しかし、彼が国会にいくことは、日本の障害者政策への大きなインパクトが、血の通った障害者政策が行われるためのエネルギーとなるはずです。
だから、どうか、乙武さんに国会議員になってほしい。国会に送り込んでほしい。それをあきらめたくないのです。
さて、話は変わりますが、私はかつて乙武さんが嫌いでした。
乙武さんが五体不満足を出版したとき、私は小学5年生でした。この頃は、ちょうど進行性だった難聴が悪化した頃でかなり不安を覚えていたように思います。
しかし、周りの大人達は言いました。乙武さんを見習いなさい、彼のように障害があっても明るく生きていきなさい、と何度も言われました。
それがなにか自分の辛いと思う気持ちに蓋をして、どこか偽ってでも無理にでも明るく生きていかなければならない、そのような「呪縛」にすらなっていた気がします。
しかし、みなさんが知っているように6年前のスキャンダルで乙武さんのイメージは崩壊しました。
しかし、私にとっては、むしろ彼のスキャンダルが発覚したことで、どこか救われた面もありました。
彼もまた人間であって、完全無欠のなにかではない。そのスキャンダルのうらには、彼が外に出せない黒々しい思いもあったのでしょう。
そう考えたとき、「そこ抜ける明るい障害者」などどこにもないのだ、という安堵感がどこかにありました。
そして、その後の乙武さんの活動を見ていて、むしろ、「高潔な障害者」として振る舞うことをやめて、地に足がついた「人間」になったように感じています。
もし、彼が6年前の問題がなければ、私のそばに立って応援演説を行うようなことはしなかったのでしょう。
この「泥臭さ」をまとったことは、幻想を剥ぎ取って、人間として色々な悩みや苦しみを吐露できる今、むしろ乙武さんが正しい意味で「政治家」になるために必要な過程だったとすら感じています。
そんな「人間」としての今の乙武さんが私は好きでなりません。そんな乙武さんが国会に行くことを願うことをあきらめずにはいられないのです。
選挙の情勢をみると、乙武さんの当選は厳しい状態であります。しかし、この一ヶ月半の間、何度もチラシを配り、街頭演説の場でボランティアをしました。そこで感じた熱意はホンモノでした。
ここにも若い方が何人もおられますし、高校生や普段は政治に興味を持っていないように見える方々も大勢チラシを受け取ってくれました。
この熱気を感じているからこそ、選挙情勢に現れない、熱いエネルギーが最後の最後に乙武さんを当選させてくれるのではないか。そう信じて、今この場に立っています。乙武さんの当選を諦めない!諦めたくない!どうぞ、乙武ひろただに皆様の一票を投じていただきたいのです。
私たちは諦めない!どうぞよろしくお願いいたします。
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