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くらげ×寺島ヒロ 発達障害あるある対談 第18回 「特別鼎談:発達障害者の成長って『普通』になることじゃないよね」ってお話

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[く] さて、今回も前回に引き続き「発達障害者は成長するよ!」という話を。

[寺] 前回は感動的な(?)くらげさんの成長逸話が聞けてよかったですよね。

[駱] 一杯のかけそばがいきなり人間的成長を押し上げるとは…。驚きでした。

[く] いや、かき揚げそばでした。

[駱] 突っ込むところそこなのですか!?

[く] ボクの中ではかき揚げそばは食事、かけそばはおやつです。

[駱][寺] (こいつめんどうくせぇ

[く] しかしまぁ、最近、ボクがいろいろ気づいてきた、というのはあるのですが、寺島さんや駱駝家さんにとって「自分が成長したなぁ」と思った瞬間ってありました?

[寺] 私は人生が不安になった!抽象的なものに対して「怖い」と感じます!

[く] それは成長なんですか!?

[駱] あー、でも、わかりますよ。「未来を想像する力」が弱い発達障害者も多いですから。

[寺] 「想像する力」というか、「将来への想像と感情が自動的にひも付けされる」といえばいいんでしょうか。割とこれが最近で、37〜8ぐらいから少しずつです。

[く] 具体的にどういうことなんでしょうかね?お金がなくても今生きているからいいや、みたいな感覚なんでしょうか?

[寺] それはうちの旦那やくらげさんの方にありそうですけど(笑)

[駱] めっちゃくちゃありそうですよね。無駄使いとかの話を聞いてても(笑)

[く] 確かにADHDの時間スケールも結構独特な所ありますけどね。

[寺] 話を戻して。それまでは人生のことで「困ること」はあっても、「怖くてできない」とかいうことはなかったです。進学や就職の時に将来ツブシが効かないものを選んでも、感情的に怖くはない。でも、最近は「将来どうなるのか?」という想像と「怖い」という感じが結びつくんですよ。これからの人生が怖いです(笑)

[駱] 大変だ、というのと「心配だ・怖い」というのが結びつかなかったんですね。

[く] ある意味利点なのかもしれませんが、なぜ成長した、と感じたんですか?

[寺] 怖い、と思うことってすごく大事だと思うんですよ。なんというか、世界と私自身が結びついて人生に立体感が出てきた感じです。

[駱] 怖い、という感情は否定されるものと受け止める方が多いですけども、感情の無痛症的なものだったのかもしれませんね。

[寺] それだ!感情の無痛症!あのね、ちょっと飛び火かもしれないですけど、ビジネス書とか読んでいると「なぜ君はやらないのか?」みたいなこと書いてあるでしょう?で、ビジネスの場でADHDやアスペルガーの人が成功すると言われる…つまり、私たちのような傾向を持っている人は「怖さ」をあまり感じないんですよ。人生が怖いと自分自身が感じるようになったことで、他人の感情を少しは理解出来るようになったと思います。

[く] なるほど、たしかにそれは大きな成長ですね。これは発達障害と関係なく一般論なんですけど、成長って実は「より多くの困難と直面すること」だと思うんです。

[駱] 言いたいことはわかりますよ。私も投薬してから「人の話を聞くこと」が以前に比べたら格段にできるようになったんです。でも、最近は寺島さんの言葉を借りれば「怖い」事があります。

[寺] それはどういうところに「怖い」と感じるんですか?

[駱] 以前は「興味ある人・話題」だけしか視界に入ってなかったんです。なんとかそれ以外のことにも気が回るようになったのですがそうなると「どんな話をするのが良いのか」「何を言うべきなのか」みたいなことを考え始めてかなり大変なんですよね。

[く] あー、前は「興味あること」だけに意識を集中できたけど、それが散漫になると。

[駱] でも、そういう散漫さが普通の人との会話には重要なんですね。成長したが故の苦悩なのかな、と。

[く] そういや、あおが薬飲んでから「頭のなかが静かになって他の人の話を聞くことができるようになったけど、発想力が落ちた」というって嘆いていますね。

[寺] なにをもって「成長した」といえるのかが難しい、という話になってきましたね。発達障害を「成長させる」ことが、尖った才能を削る可能性もありますよね。実際私も「怖い」を封印して、仕事を進めるのに苦労するようになりましたよ。

[く] 確かに「普通の人に近づく」ことが発達障害者の「成長」だとしたらちょっと寂しいところはありますね。かといって、尖りすぎて一般社会で生きにくいのもやはり苦しいわけです。

[駱] 尖った才能を活かしきれる人ってそんなにいないんじゃ…。寺島さんやくらげさんみたいな才能豊かな方にとっては重要かもしれませんけど、私達一般的な発達障害者にとってはやはり「日常的に苦しくない」方法を選びたいかもです(笑)

[く] 寺島さんはさておき、ボクに才能はないと思いますけど(笑)まぁ、発達障害者の場合は超早熟型か大器晩成型が多いイメージあります。

[寺] いや、くらげさんも駱駝家さんも才能あると思いますけど…まあ、こんな場でお互いそんなこと言いあってもキモチ悪いので流して…と(笑) 超早熟型か大器晩成型か、そのどちらに入れればいいんですけどね。そこがデコボコのデコボコたる所以で、世間から注目される部分が先に発達すると早熟と言われるのでは?将棋の天才とか、数学の天才とか、会ってみると驚くほど幼い物言いしますもの。

[く] 発達障害型の天才、というと非常に尖ったそちらのタイプが真っ先に出てきますね。

[駱] 我々にはもう手がとどかないところです(笑)

[寺] でも、凸の部分に合わせられるぐらい他のところも発達すると、人より大きいスキル値になるわけだから、そういう人が大器晩成型なんじゃないかなあ。

[く] ああ、トップ部分を保ったまま底上げすることで全体が活かされると。

[駱] コレは成人した発達障害者当事者にとっても希望のある話ですね。

[寺] 先ほど、発達障害者の成長って「普通の人」に近づくこと?という話ありましたけど、もちろん「普通の人」に近づくんだけど、それでも「尖ってる部分」をどう生かすかも忘れない、という感覚が必要なんじゃないでしょうか。

[く] まず、自分の凹凸を理解することからですねぇ。それ。

[駱] でも、「凹凸をうまく理解して成長することができれば今よりも生きやすくなる」って考えることでかなり気が楽になりましたね。

[く] さて、うまくまとまったところでかなり長くなりましたので。かなりよい記事ができるのではないかと。で、最後に辛辣なこと言いますけど、「発達障害者だから天才」ってのはないんですよ。健常者全員が天才でもバカでもないのと同じ仕組ですね。発達障害者でも頭いい人も悪い人もいるわけです。

[駱] 今回の話を全部ぶち壊しに来たわ!?

[く] でも、どんな天才でもバカでも「成長しない」ということはないわけですよ。だから「成長し続ける」という意識は発達障害をもっていようがもっていまいが大事だと。

[寺] 「成長の形」が健常者と一律になりにくい、とだけのことなんですよね。

[く] そういうことでしょうか。だから、「普通の人と同じように成長しない」って嘆くんでなくて、「あ、ちょっとレベルアップしたな」と自分自身も周囲も気づいていくことが大事だと思います。

[駱] そうですねぇ。私もいろいろ「レベルアップした」とお話してて気付かされましたもん。

[寺] こういう「褒める」じゃないですけど、「発達障害者が集まって自分のことを話し合う」ってことの意味も考えさせられますね。

[く] そういう自助会的なことについてはまた今度話しましょう。というわけで、ありがとうございました。

[寺][駱] おつかれさまでしたー!

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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。