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【エッセイ】人生の呪いを解いた話
「自分の事は二の次でいい」
「人に迷惑をかけるな」
「常識外れな事をするな」
これらは私が子どもの頃からずっと周囲に言われ続けた呪いの言葉だ。
昔は呪いだなんて思わなかったし、
世の中はそういうものなのだと信じて疑わなかった。
自分よりも他人を優先し、
人に迷惑をかけずごくごく普通の人生を送る。
それがこの世界を生きるノウハウだ、そう教わってきた。
私自身も、人並みな人生のレールに乗る事を望んでいた気もする。
普通の人生を生きていれば人から認められ、私は堂々と生きられる。
「普通の人生」を歩むのは私の夢だと錯覚していた。
しかし、現実にはレールなどなかった。
現在進行形で私は思いっきりレールから外れた人生を突き進んでいる。
結婚したけど離婚した。子どもは産みたかったけど産めなかった。
離婚して日本に住むのが嫌になり、海外で暮らす事にした。
海外で会社員しながら占い師を始めた。
現地人のパートナーと一緒に住みはじめた。
結婚する事と子どもを沢山もうける事が美徳とされる宗教観をもつ彼だが私たちに結婚する気はさらさらない。
自分で書いてて訳が分からない人生模様だ。
でも「楽しい人生じゃん。」とニヤニヤしてしまう。
そうはいっても私は自分の人生と生き方に誇りをもっているが、
最初から自信をもっていたわけではない。
「私の人生は唯一無二で素晴らしい。」と心から思い、公言できるようになるまでに
すさまじい葛藤があり莫大な時間を要した。
そもそも「普通の人生」とは何なのか?
人は唯一無二の存在だから100人いれば100通りの人生がある。
普通の人生などありえないのだ。
「普通の人生」という言葉は矛盾を孕む。
私が聞かされていた「普通の人生」とは
そこそこの大学に入り
そこそこの会社へ就職し
そこそこの人と結婚し
そこそこの子どもを産み
そこそこのキャリアを積む。
そこそこの収入でそこそこで生きる。
「目立たず、ごく平均で生きましょう」という教えだったようだが
この違和感はなんなのか。
人生の主役は自分であり、主役は誰にも譲れないのだ。
主役がオール3の映画など誰も観たくないだろう。
主役のあるべき姿は、輝くオーラを放ち観客を虜にする事だ。
そしてもう一つの根深い呪い。
「人に迷惑をかけず、自分よりも他人を優先する」
この呪いがかかった事で
人の顔色をうかがいまくる自己肯定感ゼロの人間ができあがった。
以前の私だ。
自分の意見は言わず、相手に合わせる。
相手を怒らせないか不愉快に思わないか気に掛ける。
私はこうしたいけど、それは普通じゃないからやめておこう。
そんな調子で過ごしたもんだから
自分のしたい事が分からない
自分が分からない状態になってしまった。
私は常に自分探しをしていた。
今でこそ人目を気にせず
自分のしたい事を思いっきり楽しみ
自分の好きな物を堂々と好きでいる。
人生を自分でクリエイトしている私だが
ここに至るまで様々な学びと気づきを得てきた。
詳細は割愛するが
(今後noteにどのような経験や学びがあったのかについて書いていくかもしれません。)
結果的に私は自分で呪いを解いた。
「そこそこで普通の人生なんて存在しない。
もちろん人に迷惑をかけてはいけない。でも自分を殺してまで
人に気を遣うのは間違っている。
自分の事は第一優先。たとえ全世界が敵に回ったとしても
自分だけは自分の味方でいよう。」
呪いが解けて気づいた人生観だ。
つまずいたり立ち止まってしまった時
私はこれらの言葉を自分に投げかけるようにしている。
そうする事で本来の自分に立ち返られるのだ。