その花は開こうとしている
「コスモスがいいわ」
およそ1年前、自宅前のサビれたパチンコ屋の閉店が分かった時、妻は開口一番そう言った。もちろん、咲き誇る一面のお花畑を眺めながら優雅に暮したい、という意味ではない。ドラッグストアのコスモスに出店してほしい、という意味だ。すでに近隣に5店舗出店しており、さすがにこれ以上はあり得ないのだが、「チェーンストアっていうのは1店舗ごとに商圏っていうものが設定されててな・・・」などと理屈を述べても機嫌を損ねるだけだ。「俺はゲオがいいかなあ」と乗っかってやり過ごした。
「絶対コスモスやで」
以後、およそ3日に1回の頻度で、何の根拠もなく自信満々に連呼するその姿に、憐れみを超え、哀しさを覚えたものだ。
しかし、お花畑は私の方だった。コスモスはやってきた。
「やっぱりコスモスや!!」
「諦めなければ夢は叶う」をここまで他力本願で実現させた人物を私は知らない。まさにその瞬間に立ち会えた奇跡も。
信号待ちの車中から更地に立てられた建築看板を見つけ、そこに「コスモス薬品」の文字を見つけた時の妻の雄叫びと私の驚愕の表情を誰か撮影してくれていないだろうか。「写真で一言」でお題にできるクオリティだったはずだ。
パート募集のポスターによるとオープンは12月。現在は店舗と駐車場が完成し、内装工事が行われている。来月には商品が搬入され、陳列作業が始まるのだろう。
チェーンストアの新店は、その時点での標準型をひな形として、オートマチックに各部署の担当がそれぞれの業務を落とし込んでいく。おそらくコスモスも同じだ。私たち現場担当の仕事は、最後のピースを埋めること。そう、パート従業員の採用と教育である。現場のオリジナリティを発揮できる唯一のタスクと言ってもよい。そして、個人的には結構燃える。なんせ、今後の店舗運営を左右するとてつもなく大きな要素を、ゼロから、しかも好きなように組み立てることができるからだ。代表監督がワールドカップメンバーを選ぶように、ミュージシャンがセットリストを決めるように。
そのためにはまず候補者が必要になるのだが、ご存じの通り、昨今の小売業は深刻な応募不足だ。ただ意外なことに、新店となると少しばかり様子が変わる。多くの先輩がいる既存店に入社するのは、少なからず勇気と覚悟を伴う。そういう意味で「オープニングスタッフ」という響きには、ゼロから店舗を作り上げていくという魅了以上に、しがらみのない人間関係からスタートできるというメリットが含まれているのだろう。それなりの人数は集まってくれるのだ。
「コスモスで働こうかな」
予感はしていた。今勤めている検品バイトのシフトが減ってきていると愚痴をこぼしていたからだ。実は、妻は私が20年前に店長をしていた店舗でパートとして働いていた。だからよく分かっている。それなりに愛想も良いし、テキパキと動く。おそらく採用されるだろう。
私の中の商圏設定の常識を覆して出店する店舗だ。ぜひ繁盛してほしい。大丈夫、どれだけ売れて棚が空いても、私が叩き込んだスキルで、妻が瞬時に補充するはずだ。
夢を叶えてくれたステージで、妻の次なる人生が花開こうとしている。