はるちゃんの初ライブ
「本当はやりたくないねん」
我が家のソファーでフォークギターを抱えたまま、はるちゃんはそう言った。
はるちゃんは、保育園から仲良くしている私の娘の幼馴染だ。キュートなルックスと負けん気の強い性格で、小中学校ではリーダー的な存在だった。高校はバラバラになったが、今も時々家に遊びに来る。いや、厳密に言うと遊びにではない。練習にだ。
若い頃、少しばかり音楽をやっていた私は、娘が小学校に入るなりギターを買い与えた。叶えられなかった夢を子に託す、なんて気持ちは微塵もなく、習い事の予定もなかったため、興味を持ってくれれば嬉しいという程度だった。しかし、興味を持ったのは、隣で娘のギターを眺めていたはるちゃんだった。
小5の時「この曲にコード付けてほしいねん」と鼻歌で作った歌の動画を送ってきた。それはそれは、お世辞にも曲と呼べるような代物ではなかったが、我が子同然のはるちゃんからの頼みだ。久しぶりに本気になった。コードを付け完成させた音源を送り返すと、ひどく感動してくれ、それ以来私は、kura先生としてはるちゃんの曲づくりをサポートすることとなった。
中学校では2人ともギターマンドリン部に入ったのだが、ギター枠が2人だったらしく、なぜかはるちゃんはギター、娘はマンドリンとなった。ギターでないことを悔しがっている様子はなかったため、そんなものだと納得しつつも、少し残念な気持ちになったのも事実だ。ただ、卒業前の発表会で、back numberの「水平線」を2人並んで一心不乱に演奏する姿を見た時は、やはり感慨深いものがあった。
はるちゃんは曲づくりと並行し、中学校時代にとある芸能事務所から声をかけられ、地元のイベントや映像作品などに出演するようになっていた。そして今年、高一の夏、初の単独弾き語りライブを行うこうととなったのだ。
そこに向けた初練習で飛び出した「本当はやりたくない」発言。どうやら事務所の社長が、はるちゃんに多大な期待を寄せているようだ。プレッシャーを感じているのだろう。
「もう日も決まってるんやし、今回は頑張るしかないな」
こんなアドバイスしかできない先生を許してくれ。相手が社長と聞くと尻込みしてしまうのだよ。先生失格だ。もう1曲オリジナル曲を作らなければいけないというノルマにも焦っていたため「もし無理だったらこの曲歌っていいよ」と以前自身のバンド用に作った曲を渡した。ちょっと渋めのラブソングだったが、簡単なコードで弾けるものを選んだ。
そして迎えた当日。会場は20人ほど入れば満席になる小さなカフェ。高校で離ればなれになった同級生との再会にはしゃぐ娘とその親たちと話す妻、そして見知らぬ顔も多かった。すでにはるちゃんのファンもいるらしく、身内だけのお飾りイベントではない雰囲気だった。
目を引いたのは、最前列に陣取っていたおじさんだ。坊主頭に赤いバンダナ、赤いTシャツにワインレッドのベスト。いかにも、という格好だった。ミスターレッドと名付けた。この人がすでにいるファンの1人なのだろうか。ポジショニングと風体と事前情報を踏まえると、そういう結論が導き出される。もし、ペンライトを持ち踊り出そうものなら、マイクスタンドで羽交い締めにしようと決めた。
午後7時。噂の事務所社長が登場し、簡単なあいさつと今後の野望を語った。確かに、有無を言わせない威圧感がある。話も上手い。キャップにグラサン姿でないのが救いだった。オリジナル曲は一緒に練習したが、本番でのセットリストは知らされていなかったため、こちらも緊張してきた。
1曲目はWhiteberryの「夏祭り」。いきなりサビをみんなに歌わせるという豪快な演出。若干戸惑う観客たち。社長のアイデアだろうか。顔を見たが、有無を言わせない威圧感だった。3曲目を歌い終え、はるちゃんが話し始めた。
「次に歌う曲は、私にギターを教えてくれているkura先生が作ってくれた曲です」
そんなMCを用意していたとは。まるで奥田民生になった気分だ。打ち上げにカニ食べ行こう。でも、ちょっと違うよはるちゃん。「作ってくれた」ではなく、元々あった曲を渡しただけだ。しかも渋めのラブソング。「悲しみの音色が今もこの部屋に鳴り響いている 君のいない毎日を誇示するかのように」なんて、高校一年生に提供する歌詞ではない。
「ちょっと背伸びさせすぎだよね」
「なんで失恋ソングなん。しかも暗いし」
観客の心の声が聞こえた。作詞作曲家としても失格になったようだ。曲が終わり、おもむろに社長がマイクを握った。
「どうでしたかkura先生!点数付けてあげて下さいよ!」
突然の採点要求。観客全員が私に注目した。
「・・・ひゃ、100点満点です」
「100点もらいましたー!はるちゃん良かったねー!」
パチパチパチ・・・。
いや、パチパチじゃない。保育園のお遊戯会ではあるまいし「100点満点です」はないだろう。もっと気の利いたことが言えないのかkura先生。自分のアドリブ力のなさに嫌気がさした。娘を見ると、真顔でiPhoneをいじっていた。
こうしてオリジナル5曲とカバー5曲の計10曲を弾き語り、本編は終了した。そして再び社長がマイクを握る。
「せっかくなんでもう一曲、アンコールどうですかみなさん!」
もちろんそうくるだろうと思っていた。失格続きだが、一応私はギターの先生だ。はるちゃんがどんな曲を弾けるのかを把握している。今こそ名誉挽回の時。「あいみょんの・・・」と言おうとしたその瞬間、最前列のミスターレッドが手を挙げた。
「やっぱり最後はみんなで盛り上がって終わるのがいいんじゃないですかねえ。もう一回夏祭りどうですか!ねえみなさん!」
「イエエーイ!!」
はるちゃんが戸惑うことなく、かつみんなで盛り上がれる曲。「夏祭り」以外に選択肢はなかった。フィナーレに相応しい演出。ひゃ、100点満点だ。
もし私がタッチの差で「裸の心」をリクエストしていたらと考えるとゾッとした。終わるに終われない微妙な空気が漂ってしまっただろう。ミスターレッド、あなたを正真正銘のはるちゃんファン第一号と認定する。そして、私をマイクスタンドで一発殴ってくれ。
そんなこんなで、無事はるちゃんの初ライブは幕を閉じた。友達がはるちゃんの元へ駆け寄り、写真撮影が始まった。娘たちのはにかんだ笑顔とはるちゃんの安堵した表情。それを見つめるミスターレッドの眼差しは、仏のように優しかった。
帰りの車中、ふと娘に聞いてみた。
「なんで中学のギタマン部でギターやらんかったん?はるちゃんと2人でやればよかったのに」
「もう1人やりたい子がおったから、手挙げんかった」
「・・・譲ったん?」
「そう」
「本当はやりたかったんちゃうの?」
「・・・どっちでもよかった」
バックミラーに映る娘は、相変わらずiPhoneをいじっていた。
キュートなルックスと負けん気の強い性格で、小中学校ではリーダー的な存在だったはるちゃん。高校一年生で単独ライブを成功させたはるちゃん。華やかな幼馴染の隣で、娘はこれまでどれだけのものを譲ってきたのだろう。ピンと張りつめた心の弦が、少し震えた。
似ているようで、形も大きさも役割も音色も、少しずつ違うギターとマンドリン。あの時の「水平線」をもう一度聴きたくなった。