消えることのない君との時間の中
ずいぶん間が空いてしまった。
10代の頃からの親友が急逝した報せを受けてから、日々をこなすことが難しくなった。
住むところが違っても、ライフステージは似たようなものだった。お互いもうすぐ結婚に向けて動き出すね、という段階であった。
親友という存在を、いつどこにいてもずっと一緒にいると信じて疑っていなかった。喪ってから、思い知らされた。
働いている時間以外は悲しんでいるという状況になり、悲しみが急に目を覆ったり、首を絞めてきたりした。ふとした行動にブレーキがかかるようになり、悩むことが増えた。
幸い良いお医者さん、良い恋人、良い友人、離れて暮らす家族がサポートしてくれ、素晴らしいタイミングでAぇ!groupのコンサートに赴くことができ、3ヶ月ほどで病的な状態からは抜け出すことができた。
3ヶ月というとそんなもんかと自分でも思ってしまうが、とても辛かった。とても。5年ほど前に倒れた祖母が2週間で亡くなった時よりもよっぽど心身へのダメージが大きかった。
通院し始めてからしばらくして、悲しまないと彼女を忘れてしまうような気がして怖かった時は、聖飢魔IIの「永遠の詩」を聴いて踏みとどまった。
この歌を聴いたから泣いているのだ、と思うことにしていた。
悲しまなかったら彼女を忘れてしまうような気がして怖かった。高校生活のこと、社会人生活のなかでの記憶を思い出しては悲しみ、途方に暮れる。その時間が短くなると焦る。
そんな私に気づきを与えてくれたのは、やはり聖飢魔IIだった。
自分の状態がほぼ健全なものに近づいていってから、グリーフ(大切な人との死別の悲しみ)ケアの本を読んだ。
「あなたが悲しみから立ち直りつつあり、心に変化が訪れても、故人への気持ちが薄れたんだと解釈しないこと」と記載があった。
聖飢魔IIが先に教えてくれていたことだった。つくづく聖飢魔IIに助けられ続ける人生だ。
少しでも何かが足りなかったら、判断が遅かったら、間違いなくもっと悪くなっていたはずで。いま周囲にあるものを大事にしていこうという気持ちでいっぱい。
グリーフケアの本を読んだことをきっかけに、ほんの少しずつ読書の習慣を取り戻したり、放置してたソシャゲを再開したりしている。
自分の心を動かす何かに、自分から出会いに行けるようになった。
お盆はとても迷ったけど、親友のご自宅には贈り物をお送りして、私自身は恋人のご両親に挨拶をした。よい方々で、心が穏やかになった。自分の人生を歩むことを優先した。
結婚に向けて少しずつ動かしていこうと話し合う中で、ふと亡くなった親友のことを思う。同じライフステージにいたはずなのに、時間が止まってしまった彼女と、歩み続けている私を感じてしまう。その度に自他境界が曖昧になっている自分を恥じる……というのを、最近繰り返しがちになっている。
まだ服薬はしている。調子が悪いとがっくりと落ち込んでしまうこともあるので、そろそろ通院日を決めないといけないかな、と思っている。
間違いなく、良い方向に向かっている。それでも、まだ「思い出すこと」「思い出した時に覚える感情」をコントロールすることは難しい。
ショックで置いておいた好きなものをひとつずつ思い出しながら、私の人生を歩んでいきたい。
いつかまた会えたらいいな、と思わずにはいられないけど。