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『目的への抵抗』感想

思考メモとして走り書きしたものをそのままアップします。

『暇と退屈の倫理学』の続編を読んだ!という記号が欲しいのではなくて、「読書のために読書をする」という贅沢を欲していた…はず。

まず前半のコロナの状況下でアブのようにチクっとした意見を投げかけた哲学者とそれに関する諸々の話はとても面白かった。

コロナで様々な異常事態が生じた中で、僕自身、自ら思考停止した部分があるので、それでも考えることをやめなかった人たちの話が聞けたのは参考になった。

後半の目的への抵抗の話のほうがわかりにくかった。でも、著者が『暇と退屈の倫理学』で伝えたかったこととともに示してくれたので、なんとなくわかったようなわからなかったような

浪費は、簡単に言えば焼肉食べ放題で満腹まで食べること

消費は、「焼肉食べ放題に行った!」とSNSにアップすること

消費においてはSNSにアップするという目的があり、焼肉食べ放題に行くこと、食べることは手段である。

消費は目的が先行している。「世間の流行についていかないといけない」「SNSにアップしなきゃいけない」ここで、食べることは目的のための手段になっている。

実際、インスタにアップするだけアップして食べ物を捨てる人というのもいたとか聞くよね。

以下、引用

それに対し、浪費において食べることは手段ではない。もちろんいかなる職においても栄養摂取という目的が無になることはない。しかし、食事が栄養摂取に還元できないのは、食事がこの目的からはみ出る部分を持っているからです。このはみ出る部分を、僕は贅沢と呼んでいる。

『目的への抵抗』p111より

ちょっと整理しないとわからなくなるけど、食事を食べるのは何のため?と聞けば、栄養をとるため。じゃあ、毎日カロリーメイトでいい?と聞かれたら、それは物足りないと思う。

今時でいえば完全栄養食があるけど、それじゃ味気ない。

そういえばコロナの状況下なのになんで会食するんだおじさんたちは!と思っていたけど、やはり会食には栄養摂取以上の何かが存在している。

僕はZOOM飲みで十分に満足していたけど、やはり対面でないと得られないものもあるのだろう。これはオンライン授業と対面授業にも通じる。

大谷翔平選手がトンカツの衣の部分を外して肉だけを食べるという話もあったが、あれは彼がアスリートとしてよいパフォーマンスをするため、食事を目的を達成するための手段としている。徹底的に。もちろんそれは悪いことではなく、僕は大谷選手のパフォーマンスに感銘を受けているためどんどんやってもらいたいが、それを自分が強制されるとしたらちょっと嫌だな。

書籍中に「チェスのためにチェスをする」という表現が出てきたが、これは少しイメージしにくいなと思った。「バスケのためにバスケする」のほうがいいかもしれない。安西先生、バスケがしたいです。

バスケをするのは地位や名誉のためじゃなく、バスケそのものが楽しいからというのは幸せなことだろう。

例えば脂肪を減らすためにジョギングを始めたとして、それをやっているうちに走ること自体が楽しくなって、気づけばカッコいいシューズをAmazonで探していた…なんてなる人はなんというかその行為自体にハマっている人である。

その象徴的な例として、書籍ではアーレントによる『少年キム』の読解が紹介されていたけど、これは面白かったのでぜひ読んでみてほしい。

僕の場合は食事や運動が身近な例として挙げられたけど、みんなはどうだろう。食事をすべてコントロールされたら嫌だし、歩くことそれ自体が楽しいのに「あいつは健康のためにうんぬんかんぬん」と他人に言われたちょっと腹が立つかもしれない。

無目的の魅力

目的ー手段のどうのこうのをとっぱらった、無目的な没頭。あるいは遊び。熱中。これは人間にとって非常に大切なものだ。

例えば子どもが砂場でひたすらトンネルを掘るような遊びは、大切な行為であって、それを奪い去るようなマネはしたくない。でも時間が来たら「帰るよ!」って言うけど。

学びを育児に還元するなら。最近『スマホ脳』『ストレス脳』『運動脳』などが話題になっているが、それらの本の主張は一貫して「運動せよ」である。運動すると脳の中でなんやかんやが起きて、メンタルにもいいし、頭もよくなる。これは多くの研究で裏付けられている…らしい。運動は最強。運動はすべてを解決する。そんなノリ。

ではそれが事実だったからと言って、子どもに向かって「運動しようぜ。運動したほうが頭がよくなるらしいから」と声をかけ、サッカーをするのはどうだろうか。なんとなく野暮な感じがしないか。

サッカーをするのは、サッカーが楽しいから。ボールを蹴って遠くまで飛ばすとか、高く飛ばすとか、トラップがうまくできたとか。そういう小さな喜びで、気づけば夢中になって汗をかくのがいいのかもなぁと。

「運動したほうが頭がよくなるから運動する」はなんとなく目的があって、消費行動的で、「サッカー楽しいからサッカーする」はなんとなく無目的で、浪費行動的だ。

子どもには、目的、メリットで動くようになるのではなく、それ自体を楽しむ、自由な感じのアプローチを提示したいし、そう育ってほしいというような何かが存在しているなと感じる。

うん、なんとなくつかめてきた。今日はこの辺でやめておこう。

実際、書籍を読んでみたら、もっとコロナのこと、政治のこと、哲学のことがガンガン書かれていますので、ご注意ください。今日の僕のnoteは、とりあえず自分の中でいったん咀嚼した感じです。

読んでいてとても面白かった。でも一旦ダッシュで読み進めてしまったので、もう一度じっくり読みたいと思います。

おわり。

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