意見の束がその人の魅力。『自分の意見で生きていこう』感想
今日は『自分の意見で生きていこう』(ちきりんさん著)の感想を書きます。
軽く自己紹介すると、30代男性、教員です。メンタルダウンを経験し、3年間休職しました。その後復職し、「5年後も笑ってはたらくこと」を目標にしています。よろしくお願いします。
印象に残った部分はどこか?
なぜその部分が心に刺さったのか?
ちきりんさん曰く、意見とは、正解のない問題への「自分だけの答え」のこと。
自分の意見を持っている人は、シンプルにカッコいいと思ったから。また、その意見が束となって、その人らしさを作る。もっと言えば、その人の魅力を作るというのが腑に落ちたから。
今の自分とどう重なったのか?
自分は昔から、バランスの取れた意見を言おうとするクセがある。また、人が偏った意見を言っている場合に、その偏りを修正しようとするクセがある。
平穏が好き。場をかき乱す人が嫌い。
僕みたいなタイプにも魅力はあるとは思うけど、「自分の意見」を堂々と言える人のほうが魅力的だ。その意見の手前に、思考のプロセスがあるから。
「バランスの取れた意見」はあまり考えなくても言える。また、ちきりんさんの主張ではそれは「意見」ではないらしい。
もっと「意見」を言える自分になりたい。最近そう思うことが増えた。
これを受けて、今後どうするか?
ふたつのことにチャレンジしたい。
まず、意見の日記をつける。
メンタルダウンして3年、復職して1年7ヶ月。毎日日記をつけている。ただそれは、何をした、何があったという事実の記録だ。
それとは別に、「○○についてはこうじゃないかと考えた」というような、意見の日記をつけたい。
思考のプロセスを他者に見せるのがハードルが高いなら、まずは自分だけが見る日記で、練習をしてみよう。
次に、自分のホーム(Twitterとnote)で意見を発信する。
Twitterとnoteの使い方は試行錯誤している最中だ。今は「5年後も笑ってはたらくこと」を実現するために、学んだことを書き残している。
ときどき、休職中につらかったことや、復職したときにやってよかったこと、メンタルダウンで得られた学びなどを発信している。
ここに正解のない問題に対する自分の意見を加えていきたい。無理やりに突飛な意見をひねり出す必要はない。自然体で書きたい。
若干、受け手の「反応」を気にしている自分がいる。だから、「いい反応がもらえるかどうか」よりも「自分なりの意見を正直に書けるかどうか」に注目していきたい。
意見の束がその人の魅力。自分なりの魅力を出していけたらと思う。
今のTwitterは意見があふれているというより、たくさんの反応があふれている。
反射的な嫌悪感、苛立ち、怨嗟など。ずっと接していると疲れるし、エネルギーを奪われる。
そんな中、自分の意見を持って、背筋を伸ばし、にこやかに発信している人には好感を持つ。自分もそんな人のひとりになりたいと思う。
以上、感想でした。
おわり。