ライゼン通りのお針子さん~新米店長奮闘記~4
「ん、ふぁぁ~……あれ?」
鳥の鳴き声と窓から差し込む光で目を覚ましたアイリスは見慣れない部屋に自分が今どこにいるのか分からず辺りを見回す。
「あ、そうだ。朝方まで服を仕上げてて、そのまま二階のお部屋を借りて眠ったんだった」
頭がはっきりしてくると今朝方の事を思い出しベッドから起き上がる。
「昨日は眠気に負けてよく考えてなかったけど、このお店に二階があったなんて知らなかったわ」
部屋の中を見回しながら言うと小棚の上に置かれた写真立てを見つけた。そこには若い女性と男性の結婚式の写真や小さな男の子と女性の写真などが飾られている。
「このおばあさんが先代の人なのかしら?それじゃあこっちの男の子は?」
おばあさんと一緒に写っている男の子が誰か分からず首を傾げた。どことなくイクトに似ているようにもみえるが若い頃の彼の姿を知っているわけではないのではっきりとした答えは出なかった。
「この若い女性がこのおばあさんよね。それじゃあこのタキシードを着ているのがおばあさんの旦那さん?そしてこっちの茶色い髪の男の子が息子さんなのかしら」
先代がおばあさんの可能性はあるがだとしたら旦那さんと息子さんはどこに行ったのだろうかと疑問がわいた。そしてなぜイクトがこのお店を引き継いだのだろうかと。
「……あ、いけない。もうそろそろ開店の時間じゃない。急いで準備しなくちゃ」
疑問がふつふつと湧き上がって来るが、壁掛け時計の時刻を見たアイリスは開店時間が迫っていることを知り、慌てて部屋を出て一階へと向かった。
「おはようございます」
「おはよう。ゆっくり眠れたかな」
一階のお店に行くとイクトはすでに出勤しており降りてきた彼女へと声をかける。
「はい。あの、あのお部屋はもしかして先代の……」
「ああ、そうだよ。二階が先代の自宅だったんだ」
アイリスの言葉の意味を理解した彼が小さく頷き答えた。
「やっぱり。……イクトさん先代ってどんな方だったんですか」
「ん~そうだね、先代はとても優しい人だったけど仕事に関してはとても厳しい方だった。俺もよく失敗しては怒られていたな」
「イクトさんが?」
イクトの言葉に彼女は驚く。失敗なんかしたところなんか想像もできないくらい完璧な彼が怒られていたなんて思いもしなかったからだ。
「うん。俺だって最初から何でもできていたわけじゃない。先代にいろいろと教えてもらって一人前の仕立て屋の主人になったんだ」
「二階の部屋に写真立てがあったのですが、そこに写っていたおばあさんがもしかして先代の方ですか?」
アイリスは二階に飾ってあった写真立てに写っていた女性の事が気になりそう尋ねる。
「そうだよ。本当は先代がいなくなったのだから遺品は整理してしまわないといけないんだろうけど、どうにも思い出ばかりが溢れて……しまうに仕舞えなくてね」
「そうですか。あのイクトさん……」
それに笑顔で答えたイクトへと次の質問をしたくて口を開くが考え込むように黙る。
「ん?」
「……いえ、また先代の事についてお話し聞かせてくださいね」
写真に写っていた旦那さんや茶色い髪の男の子に、イクトに似た少年のことなど聞きたい事はいろいろあったが、聞いてはいけない事のように思えて小さく首を振るとそう言ってごまかす。
「うん、君にもちゃんと先代の事を教えていかないとね。何しろこの店の店主なのだから」
「あ、あははっ」
彼の言葉にそうだったと言わんばかりに空笑いをしてごまかす。自分が店主として一年間やっていけなければ先代のことを知ったところでこのお店で働く事ができないのだと思い出し溜息が零れる。
「さて、そろそろ店を開ける時間だな」
「はい」
イクトの言葉にアイリスは頷くとお店の鍵を開けて「オープン」という看板を掛けた。
「よう」
「いらっしゃいませ……ってマルセンさん?」
開店と同時に鈴がなりお客が来店したことを伝える。その音を聞いて入口の方へと顔を向けた彼女は驚く。
「あ、ああ……やっぱり昨日預けた服の事が気になってな。あれ、どうなった?」
「アイリス」
「はい。少々お待ちください」
不安そうな顔で尋ねてきた彼の言葉にイクトがにこりと笑い促す。アイリスも笑顔で頷くと店の奥から服を持ってくる。
「こちらになります」
「これは……クルクル牛皮とマクモ蜘蛛の糸で作った服じゃないか。どうしてこれを選んだんだ?」
「はい、マルセンさん丈夫な服に仕立て直してくれとのご要望でしたので、それならしなやかな質感で破れにくいクルクル牛皮と少しの衝撃じゃ切れない丈夫なマクモ蜘蛛の糸を使ったらいい服ができるんじゃないかと思って。それからマルセンさんごめんなさい。最初に預かった服を私の失態でビリビリに破いてしまって……それで型から作り直したんです。大事な仕事着を駄目にしてしまって申し訳ありません」
カウンターの上に置かれた服を見て驚くマルセンに彼女は説明すると申し訳ないと言った顔で謝り頭を下げた。
「そうか……」
「……」
静かな声で呟かれた彼の言葉に怒られるのを覚悟して固く目を瞑る。
「ありがとう。こういう服が欲しいと思っていたんだ。早速着てみていいかな」
「は、はい!勿論です」
だがマルセンは怒るどころか喜び笑顔でそう言って服を見詰めた。アイリスは驚いたものの直ぐに頷くと店の中にある試着室へと案内する。
「うん。何だかもう何年もずっとこれを着ていたみたいに着心地がいい。これなら破ける心配をしながら仕事をしなくてもすみそうだ。ありがとう」
「いえ、喜んで頂けて私も嬉しいです」
着替えて出てきた彼が笑顔で言うと彼女も嬉しさで満面の笑顔に変わる。
「今日から早速こいつを使わせてもらうな。で、仕立て料金の支払いなんだが……」
「はい、少々お待ちください。今伝票をお持ちして参ります」
マルセンの言葉にアイリスは慌ててカウンターへと向かい伝票を用意した。
「アイリスの仕事ぶりはどうだい」
「お前からもう服ができたって聞かされた時は正直疑っていたが……本当にたった一日で仕上げてしまうとは驚いた。だがどんな無茶したんだか」
彼女の姿を眺める彼へとイクトがそっと声をかける。それにマルセンが思っていたことを伝えた。
「俺から無理はしないよう言っておいたから問題はないよ」
「しかし彼女は本当に国宝級のレベルの服を手縫いで仕上げたのか?」
それに同感だと言った感じで苦笑しながら彼が話すとマルセンが信じがたい事実は本当なのかと尋ねる。
「ああそうだね。彼女は仕立て屋が天職なのだろう。あの人の血を引いているのだから」
「それじゃあ彼女が……」
「お待たせいたしました。こちらが伝票になります」
イクトの言葉に彼が驚いた顔で呟いた時アイリスが伝票を持って近寄ってきたので二人の会話はそこで中断された。
「ああ、ありがとう。これがお金だ。また何かあったらよろしくな」
「こちらこそ。またごひいき頂けるとありがたいです」
お金を渡し伝票を受け取るマルセンへと彼女が微笑み言う。
「ああ。それじゃあ俺はこれから仕事があるから……じゃあな」
「はい。ありがとう御座いました」
彼が言うと店から出ていくその背中へと深々と頭を垂れて見送るアイリス。
「ふぅ~」
「お疲れ、初めてのお客様に満足してもらえたようで良かったね」
マルセンが店から出ていき気配が消えると大きく息を吐く。その様子にイクトが声をかけ褒める。
「イクトさんのおかげです。イクトさんが型を出してくれなかったら私は動揺して泣いてばかりで何もできなかったと思います」
「そうだね。初めての失敗は誰だって動揺してしまってどうしたらいいのか分からなくなるものだよ。だけど経験を積んでいけばアイリスだって自分で考えて失敗を成功に導く道を見つけ出せるはずだ」
アイリスは小さく首を振るとそう答えた。それに彼が笑顔でそう語りかけるように話す。
「そうなりますか?」
「うん。俺だってここの仕事を始めたばかりの頃は失敗ばかりだった。だけど先代が色々と教えてくれて今は何でも自分一人でこなせるまでになった。だからアイリスも一年後には自分で何でもできるようになっているさ」
「はい、そうなれるよう頑張ります」
不安そうな顔の彼女にイクトが安心させるように微笑み力強く頷くと少し恥ずかしそうに過去話をして激励する。彼の言葉に励まされたアイリスは意気込み力拳を作って見せた。
「さあ、それじゃあお客様がいない間にお店の経営についてもう一度復習しようか」
「はい」
こうして新米店主としての初めてのお仕事は失敗もあったもの無事に終わりを迎える。しかしこれはまだほんの始まりに過ぎなかったことをアイリスは知る由もなかった。