僕の歩いてきた道(深)#壱【悪くないのに、ごめんなさいの気持ち】
僕は広島東洋カープが初優勝した年、そしてちょっとだけ暑くなったかもしれない季節に、広島で生まれました。
ある家の長男と、またある家の長女の間で生まれた初めての「男の子」でした。
だけど、その時両親が思い描いていただろう通りにはきっとならなかったので、少しうしろめたい気持ちになったりもしました。今でもそれは0ではないかもしれません。もちろん悪いことをしたってわけじゃないけど、その頃の多くの両親が思い描いていただろう、大きくなったら、いづれ嫁さんもらって、結婚して、やがて子供が生まれて孫ができて、そんな未来を自らすすんでというわけではなく、自然にそうなっただけであっても、なくしてしまったから。
もちろん生まれてすぐの赤ちゃんに、そこまでのことを両親が考えていたってことはないだろうけど、それはできないってことを打ち明けるその数十年後のその時まではそんな「普通」の未来を描いていたんだろうなと思うとやっぱりね。
そして、その頃は2階建ての家での2世帯住宅で、1階には父方の祖父母、そして祖父の妹(「裏の叔母さん」と僕ら子どもは呼んでいた)が少し離れの部屋に、そして2階には両親と僕ら(妹と弟がいる)とが住んでいた。(食事は基本一緒に、お風呂は1か所、お手洗いは2か所)
中庭には鯉がいて、いつのころからかインコ(名前は「ピー子」)も飼っていた記憶がある。たぶんビデオカメラにも記録していたはず。
そして、「チョロ」という名の猫も飼っていた時期もあったなあ。悲しいことに、交通事故で轢かれてしまったけれど。
それから、3歳になる頃には両親共に働き始め、僕は保育園に通うことになり、親や親戚、ご近所以外の新しい出会いが始まる。
いちばんの年少のひよこ組はいつも年配の女性の先生といっしょ。(園長先生のお母さんにあたる方だったと記憶している)具体的なことはほとんど覚えてないけど、車いすにいつも乗ってる、とてもあたたかくて優しい先生だった。
ほかのお友達のことも覚えてることは少ない。唯一の記憶はみんなとおやつのじかんのこと、その中の1人の女の子と「ミルクの膜がおいしいねー♥」みたいなそんな他愛のない、というか謎な話をしたことだけはなぜかおぼえている(笑)
そして、ひよこ組以降はもはや何組だったかは覚えてないけど、1年ごとに新しい組にあがり、友達もできたり、ちょっと年上のお兄さんと仲良くなったり(ちょっと元気な兄貴分、名前も何にも覚えてないけど、お兄さんいなかったし、結構子どもながらに慕ってた気がする)、みんなと、そしてたぶんそのお兄さんに誘われてドッチボールしたり、同じ組の子同士でお昼寝したり(仏教系のとこだったので仏壇の前で布団敷いていた)、お泊り会なんかもあったりして、そこでお友達とお風呂に入ったりしてなぜかドキドキしてたり、楽しい記憶でいっぱいの保育園時代でした。
そんな保育園に通いながらも、僕が生まれて約2年後に妹が生まれ、そのまた2年後ぐらいに弟が生まれ、いつの間にかなかなかにぎやかな家族になってきました。
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