僕の歩いてきた道(深)#参【T先生、そしてF井くんに会いたい】
※こちらは「僕の歩いてきた道(深)」です
「僕の歩いてきた道(浅)」で同じことを書いている記事はこちら
内容はだいたい同じです。そうね、だいたいね※
小学3年生になるとまたクラス替えになった
今でも印象深い、男の先生T先生が担任だ
T先生はそのあと4年生の時も担任だったから、2年連続だった
とても熱い先生で、学級新聞を頻繁に発行してた。お母さんたちも、もちろん僕たちも読むのをいつも楽しみにしていた。僕たちのことが書かれていたりとかすると、恥ずかしくなったり、誇らしくなったりしたけど、それも楽しかった。
毎日提出することになっている日記は、書いて出すと毎回何かしらコメント書いて返してくれるのが嬉しかった。(ほかの子はどう思ってたのかは知らないけど、いやだとか言っていたのを聞いた記憶もない)どんな返事が返ってくるんだろうといつもワクワクしていた。何を書いていたのかとか、先生のコメントのどこが嬉しかった、とかいうのはもはや思い出せないけど、やりとりが楽しかった。(実家にもしかしたら残っているかもしれない)
そんなT先生の授業もとにかく楽しかった印象しかない
怒るとちょっと怖いけど、それでもいつも楽しかった記憶しかない。僕のこともちゃんと見てて、もちろんクラスのほかのみんなのこともちゃんと見てて、覚えてる限りではみんな仲良かったクラスだった(3年も4年も)
親たちにも好かれていた記憶がないし、前にも先にもここまで好かれていた先生はいないんじゃないかな。思い出補正できっと美化されてるのかもしれないけど、大学まで含めてみても生涯いちばんの理想の先生だったんじゃないかなと思う
先生の話から離れるけど、このクラスでは仲の良い友達もできた
よく遊んだりゲームしたりしてたF井くんが一番印象深い。最初の記憶では一緒に横に並ばされて(背比べ的な?)、
「ほら、俺はこいつより背も高いし、足も長いぜー!?」
とか言われてた。なんだこいつとか思ってたかもしれない。(言ってはいないはず)だけど、仲良くなってからは基本的には引っ込み思案な僕をひっぱってくれてた。いつも遊ぼうぜーって言ってくれたりして。おうちにも遊びにも行ったりした。
でも、引っ越してしまったんだよね、彼も…。仲良くなった人はなぜか僕のところからはいなくなってしまう
その上、2年の頃に親友って言ってくれたF岡くんとは違って、引っ越した先のこととか何も聞いてなかったからその先のことは本当に知らない
なぜ聞かなかったんだよー!と当時の僕に言いたいけど、ン十年経った今も印象に残るほどだとは当時の僕は思ってなかっただろうし、仕方ないと言えば仕方なかった・・
だけど、今でも時々彼のことを思い出す。頻繁にというわけではもちろんないけど、ふと思い出してしまう。彼が引っ越しせずに、ずっといっしょに近いところにいる友達のままだったら、どうなっていただろうって思ったりもする。もしかしたら好きになってしまったりして…なんてね。そうしたらまた違う後悔したのかもしれないな。とかなんとか、そんなことを思うのだ。
この時は彼の存在の大きさにちっとも気付けていなかった僕だけど、ン十年経ってしまった今も、彼のような友達を追い求めている節がある。F岡くんだってそうだ。別に性格とかが同じじゃないと、とかいうことでもない。F岡くんのように親友って言ってもらえたり、F井くんのように先導を切ってもらえたり、そんな友達がいたらいいなとは思うけど、同じような友達じゃないとイヤだいうわけではもちろんない。ただ・・ずっといっしょにいたいという友達を今でも僕は追い続けている・・。それは本当に「友達」を求めているのかは今の僕にもわからないけどね
そんなことを今、T先生に言ったら、相談したら、なんていうかな。わりと本質をズバリついてくるような先生でもあったからちょっと怖いけど、聞いてみたい気がする。前のように日記みたいに書いて送ったらなんて返事をくれるだろうか・・。そして、先生が先生ではなくなっても今でも奥さんと元気でやっていることを祈りたい。
できることならばそんなT先生や、F井くんにまた会ってみたいな
その時のクラスメイトも…(名前ちっとも覚えていなくてごめん…笑)
そうして、宝物のような小学校3、4年生の時は過ぎていったのでした
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