Back to the late 90’s 【番外編】 第2話 1998年①
久々に番外編。
前回は1997年だったので、今回は1998年について私的な内容ではなく、一般的な関西HIPHOPシーンや出来事について、自分の記憶や、当時の雑誌などを頼りに振り返ってみたいと思う。
はじめてお読み頂いた方もいるかと思うので、簡単に説明すると、通常は基本的に自分まわりの話を書き下ろしている。それに対して関西HIPHOPシーンの一般的な内容は【番外編】と題して書かせて貰っている。
1998年と言えば、2月にJAPANESE R&Bの元祖歌姫とも言うべきMISIAが『つつみ込むように』でデビューし、その前後ぐらいにアメリカ村にあった今は無きCLUB ItoIでMISIAのライヴが開催された。残念ながら私は、このライヴには参加出来なかったのだが、このライヴをオーガイズしていたのがDJ TANKOさんだ。
『LOW DAMAGE』として関西HIPHOPシーンを黎明期からKENSAWさんと、共に支えてこられたTANKOさんは、オーガナイザーとしても活躍され、今は無き天保山にあったBAYSIDE JENNYのブッキングマネージャーをはじめ、国内外問わず様々なHIPHOP、R&Bアーティストを関西へ呼んでくれた。またご自身もアメリカ村にセレクト・ショップ『B-MATIC』を経営され、関西でのHIPHOP文化普及に尽力された。
そのJAPANESE R&Bについてだが、MISIAのデビューを皮切りに様々な歌い手が登場してくるのだが、ここでは、当時シーンに登場した関西出身のアーティストを中心に取り上げたいと思う。なお、あくまでJAPANESE R&Bと言う文脈に沿って取り上げるので、そこにカテゴライズできる関西出身の歌い手について私の知る限りエピソードなども書き下ろしたい。
まずYOKO Black Stone(のちにYOKO Blaqstoneへ改名)さん。実はMISIAよりも、ひと足先に1997年11月にミニアルバム『’s All Right』をリリースした大阪出身の歌姫。ニューヨークへ渡米し武者修行後にリリースした上記のアルバムからはタイトル・トラック『’s All Right』と『Calling You』がアナログレコードでリリースされた。実は、私自身、アメリカ村にあった今は無き『SUNSPLASH CAFE』で、プライベートで遊びに来ていたYOKOさんとお話した事があった。白のドレスアップで一際目立った美しいお姉様で、とてもノリが良かった事を今でも覚えている。
次にMASAYO QUEENさん。野性味溢れるステージ・パフォーマンスと太い歌声が印象的なMASAYO QUEENさんのアナログ・レコード『Sticky Sticky Wild Sing』がリリースされたのが1998年の4月。確か彼女は、元々REGGAEフィールドで活動していて、R&Bへ転向したと聞いたが、デビューに至るまでの詳しい経歴は、私も知らないので、誰かこのnoteを読まれている方で、ご存知の方がいれば教えて頂きたく思う。彼女のライヴを、第2話にでも登場したGRAND Cafeで確か観たが、全身豹柄でド派手!インパクト大だった。
最後に嶋野百恵さん。上記のお2人と違って、私が唯一直接お目にかかった事がない大阪府八尾市出身の歌姫。1998年の7月にリリースされたデビュー曲『Baby Baby Service』は、私が今でも大好きなR&B / NewJackSwingクラシックZAN『Want To Be With You』にインスパイアされたような仕上がりで、リリース当時からよくZANをかけた後に選曲していた一曲。
他にも、のちに2000年代に入ってからREGGAEフィールドでデビュー曲『The Perfect Vision』が大ヒットしたMINMIさんも、この時期から今は無き心斎橋にあったDONFLEX Loungeで『Keep On Steppin'』と言うパーティーにレギュラー出演し、マイクを握ってR&Bを歌っていた。世間一般の認識からすればREGGAE歌手だけど、この時期の彼女が関西HIPHOP界で、R&Bを演じていた事を伝えておく。
1998年については、まだ書き足らないので、続きは【番外編】第3話で書こうと思う。
つづく……