Back to the late 90’s 第29話 CLUB ItoI『Freakin' Time』①
GRAND Cafe『Lesson』終了後に、今度はKOMA君からCLUB ItoIの木曜日レギュラーに開催されている『Freakin' Time』でDJをやらないか?とオファーを頂き出演する流れとなった。
確か私の記憶では、元々KOMA君とTOSHIBO君とMANHATTAN RECORDSの店長をしていた長谷川さんと同じくMANHATTAN RECORDSのスタッフだった曽我さん、それにCISCO RECORDSのスタッフだったAKITO君の5人で1999年の5月ぐらいから始まったDJイベントで、紆余曲折ありイベントが開始して間もなくMANHATTAN RECORDSのお2人が抜け、代わりにMANHATTAN RECORDSの田中君(DJ TE LA SOUL)が加入。次にAKITO君と田中君が抜けて、KOMA君とTOSHIBO君だけになったタイミングで、私とDJ BEATBANGが加入した。
DJ BEATBANGは、私と同い年で同じ大学出身。大学校内の1Fのベンチで私が座っていたタイミングでBEATBANGに話かけられたのが、知り合ったきっかけだ。確か私が大学2年生だった時だと思う。
これまでに同じ大学の同い年DJと言えばCLUB FLATtで働きながら活動していた有馬君(『Back to the late 90’s』の第13話と第18話参照)がいたが、DJ BEATBANGも有馬君と同じく当時からHIPHOP DJとして活動を開始し、TOSHIBO君といち早くリンクし始めていた記憶がある。
TOSHIBO君が登場したので、TOSHIBO君について紹介すると、私より2歳年上で、大学入学と同時に小倉から大阪に来て、KOMA君と一緒に『Back to the late 90’s【番外編】第6話』に登場するDJ's STOREのスタッフをしながらDJ活動をしていた。
KOMA君同様に知識スキル共に、私より数段上のDJで、当時からその名は、大阪HIPHOPシーンでは知れ渡っていた。当時の大阪HIPHOPシーンは、LOW DAMAGEを中心に、その周辺で活動しているDJ達がスポットライトを数多く浴びる中、また彼等とは違った立ち位置で実力を認められているDJが何人いたが、その筆頭角がTOSHIBO君やKOMA君、それにCLUB ItoI日曜日『AWAKING』に出演していたCHU君だった。
当時のフライヤーを見ると、RESIDENT DJがKOMA君とTOSHIBO君で、WEEK DJが私とDJ BEATBANGとあり、4人体制になって間もなくは、私とBEATBANGが隔週で参加していたが、徐々に私もBEATBANGも毎週出演するようになっていった。
そしてイベントが始まって2、3ヵ月ぐらい経つとDJ NAN-JYOやDJ CHAN-Uが新たにメンバーに加わる事になった。
NAN-JYOは、当時上記に登場したCHU君のセレクトショップ『CRADLE』のスタッフをしており、まだDJ活動は始めて間もなかったが、2002年ぐらいから大阪のHIPHOPシーンで地位を築き始め、彼を慕ったDJ BATAやDJ KENT(現DJ KENTOで、のちに自身のプロダクション『Axcell』を立ち上げる)が、NAN-JYOが立ち上げたHIPHOPレーベル『Monster Music』でスタッフとして働き始めるのであった。
DJ CHAN-Uは、彼の出身大学の仲間同士でHIPHOPグループM.M.T(マイクマニアテロリスト)を1999年に結成し、2000年代以降の大阪HIPHOPシーンで人気グループになっていく。なかでもメンバーの4WDの人気は凄く、DOBERMAN INCやMAGUMA MC'S、餓鬼レンジャーと言ったアーティストのアルバムに参加していく。個人的にはN.G HEADさんとの『ASOBITe』が気に入っていた。
ざっと『Freakin' Time』の出演者を振り返らせて頂いたので、次回はその内容やイベントでのエピソードを書き下ろしていきたいと思う。
つづく……
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