見出し画像

Back to the late 90’s 第18話 今は無きクラブ④

『Back to the late 90’s』で登場した今は無きZOZ’S BARやRING & BOOM、CLUB JJ’Sと言ったクラブの特徴は、オーナーが皆アフリカンで、出身としてはアフリカ西海岸のナイジェリアやガーナと言った国々が多かった。


当時のミナミにいた黒人達は大半がアフリカンだった。にもかかわらず彼等は日本人の女の子をナンパする時に口を揃えて「Hey!Common Girl!I'm American From NewYork!」などと平気でウソをついて声をかけていた姿がとても懐かしい。そしてナンパが失敗に終わると、アフリカン同士仲間うちで話し始めると、英語ではなく、アフリカの言語で話始めていたので、彼等が何を言っているのか、全く聞き取れなかった。


さて今回取り上げるのは、東心斎橋編と言う事で、CHOCOLATE CITYとCAMEOについて話したい。2店舗ともにオーナーはアフリカンだった筈。違ったかな?ひょっとしたらCHOCOLATE CITYのオーナーB.Qはカリビアンだったかな?B.Qの奥さん(彼女だったのかな?)は、確かヨンジュウと言う名前の日本人だった。

CHOCOLATE CITYから話そう。店舗名は、アメリカのP-FUNK系バンドPARLIAMENTが1975年にリリースしたアルバム『Chocolate City』から拝借したと思われる。フライヤーを見ると1999年5月22日で、出演者はヒロ君、私、アッキー君で、ゲストにまさかず君、そして有馬君(DJ ARIMA)だ。


有馬君は同じ大学の同い年で、四ツ橋にあったCLUB FLATtの店員をしながらDJ活動を続けていた。当時から玄人受けする実力派DJとして名を馳せていて、ゴンタ君が主催をしていた『Melting Pot』にレギュラー出演した後に、関西のNO.1 SOUL系パーティーだった『SUPER SOUL SHOW』に参加し、その地位を確立した。大阪の主要HIPHOPパーティーでもたびたびブッキングされ、今は亡きGANG STARRのGURUは、有馬君のDJ PLAYを観てその凄さから、思わず「Excellent!」と言わしめた程の腕前だった。2000年代に入ってからも『Opus』をはじめ、様々なイベントでDJ活動を続けていた有馬君だが、2009年頃に忽然と姿を眩ましたまま、現在に至っている。本当にどうしてしまったのだろうか?

有馬君(DJ ARIMA)。
同じ大学で同い年。もともとスクラッチからDJにのめり込みクラブDJへと転身した経歴を持つ。卓越したスキルと知識、そして内に秘めた度胸も併せ持ったハイレベルなDJで『浪速の名工』と言われた。今でも私のスキルは、到底有馬君の足元にも追い付いてないと思う。ただし当時からプライベートは秘密主義を徹底していた。2002年から2009年までの7年間、アメリカ村のBar Lockstockで毎月第4土曜日に2人で一緒にDJしていたが、通な音楽フリーク達が、有馬君のDJを見ようと、よく来ていた事が、とても懐かしい。最後Lockstockのレギュラーを2人で降りた後に、忽然と姿を消して以来、一度も見かけなくなり携帯電話も繋がらなくなってしまった。本当にどうしているのだろうか……
有馬君が、ROMAN CREWのDJ TOKNOW君と合作でリリースした『スーパークロイ』のMixCD。有馬君のスキルが光る力作だ。


有馬君の消息を知っている人、もしくは有馬君本人でも、万が一この『Back to the late 90’s』を読んでくれているのならば、連絡頂ければ、とても嬉しいのだけど………。

写真嫌いだった有馬君は、上記のイラストをプロフィール写真に使用していた。


と言ったところで、続きは次回。

つづく……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?