幸せの本質
いつものように唐突に文字にしたかっただけで考えながらヨタヨタ書いております。なので文末が違う内容になっていたらごめんなさい。
本当に<けいと>さんて、なんだか幸せそうですね。
と言われることが多くなった。
一緒に飲んでいても、打ち合わせをしていても、Facebook(我々世代はこれで繋がってる)の投稿に対するコメントでも。
勿論、当の本人が「俺は幸せだ」「俺、運がいいから」「楽しかった」をすぐに口にする癖があるからであって、楽しかったことを「楽しかった」と書くからであって、顔も笑顔というよりニヤニヤしていることが多いからであって・・・。そう見えてしまうらしい。
そう。言葉って本当に大事だなと思う。
「ありがとう」の一言。
これだって、心から感謝の意味を込めて「ありがとう」と口にすることは100回に一回かもしれないけれど、対面では常に相手の目を見て「ありがとう」という。ネットでは相手の言葉をなぞりながら「ありがとう」と書く
そうすると、言葉のほうから心に影響を与え始めてくる、ということに気づく。つまり、口にすることで脳が【反応】して、心がありがたい【状態】になるということかなあ。って思う。
これを心理学用語で・・・なんというかは・・・知らない(笑)
「ありがとう」と言葉にすれば、本当に「ありがたい」と思うようになる。
「楽しい」と言葉にすれば、やたら「楽しく」なる。
「嬉しい」と言葉にすれば、なんだか「嬉しく」なる。
「面白い」と言葉にすれば、ジワジワと「面白く」なる。
「運がいい」と言葉にすれば、ぼんやりと「運がいい」俺になる。
「幸せ」と言葉にすれば、人から見ても「幸せ」な俺に見えるし、実際、幸せ。
本題に戻るね。
前回、還暦になる前日投稿したときから考えていたのだけど『自分にとっての幸せ』について。
今の私の幸せをありきたりに言葉にすると
笑顔で明るい家族がいる幸せ。
健康であることの幸せ。
仕事があることの幸せ。
素晴らしい仲間がいる幸せ。
ということかな。随分、平凡だな。あ。これって結構毎日のように「幸せ」って言葉にしてる内容だな、と気づいた。
え?お金は?
と自分でも驚いて今一度考えてみたら「お金はない」。だって、本当にお金がないからね。ないにもほどがあるというほどないからね(しつこい?)。借金だけは唸るほどあるからね。ただし「お金はないけど朝ごはんが毎日食べられるくらいは大丈夫だから幸せ」と言えるかもね。
あー。幸せのバーが低すぎる。なんてこった。
ごめんなさい。もう一回本題に戻るね。
自分の幸せをどう感じるかは、自分でしか決めようがないということですね。人がどう言おうと「幸せの基準」がそもそも違うのだから、どう見えたって、勝手にそう思われたって、妬まれたって、叱られたって(それはないか)、どうしようもない。
・・・・。
何を書こうとしていたのか・・・迷子状態。
ということで、中途半端な駄文を見てしまった、そこのあなたは、おそらく不幸せな人なのかもしれません。わは。
続きは、いつか!必ず。
【けいと】